デレマスの7th名古屋公演の円盤みせてもらった話とかしていいっスかね。

日記的な部分。

 アイドルマスターシンデレラガールズの7thライブであるとこのナゴヤドーム公演のBD円盤の感想戦をしたいので持ってっていいかとのたいへんありがたいお申し出を知人様から頂きまして。
 よのなかにひとのくるこそうれしけれ。断る理由など欠片もなく。
 ただまあ。きちゃないんだよね。私の部屋。
 せめて私の部屋免疫のないひとが滞在しても病気にならない程度には片付ける必要があるんだけど。と。
 鑑賞会期日は七月の最初の週末か二度目の週末かの提案を頂いて、敢えて近い日付を選んだのは自分を追い込むことで醸造される危機感を片付けのモチベに変換しようという試みだった。結果的にそれが成功したかどうかはわからない。
 取りあえず床はみえるようになった。
 床がみえるとデスクチェアのキャスターの便利さに気付けるね。


 知人さん(以下K氏)の滞在時間はおよそ30時間で、そのうち29時間45分くらいアイマス関連の話をして過ごしたので観光らしきものは駅から私の部屋にまで移動する小一時間のみで、要するに日記めいたネタは発生しなかったのだけど、面白い偶然は発生した。
 K氏はナターリア担当ガチ勢である。
 氏を駅改札まで迎えに行き、ちょうどそんな時間帯だったので一応と地元の名店的なところでカレーをば食べているタイミングでそれは発生した。
 デレステのガチャ更新。
 フェスを挟んでの限定ガチャのテーマは浴衣で夏祭りで。
 K氏はナターリア担当ガチ勢である。
 今日この日にもののみごとに限定ナターリアが着弾した。
 まあ。そうね。なんかね。あるよねこういう偶然。そんな予感はあったよねとお互い頷き交わしつつ……実際に氏がガチャを回したのは円盤の Day1 を視聴し終え、晩飯タイムに入ってからだ。取りあえずピザの宅配でも頼もうかとアバウトに決めていたけれど、ナターリア祈願ということで出前スシ(特上)に切り替えた。


 体験としてちょっと面白く貴重なように感じたのは、アレだね。
 隣で猛烈な勢いでガチャを回している(現ナマを溶かしている)ひとがいるとなかなか心臓にくるものがあるねということだった。
 思ったよりは物見遊山な気分になれない。いっそ切実に当たってあげておくれと祈りがち。
 ピックアップからのすり抜けが三連続で起きたときの胃の締め付けられっぷりとか……。
 そのへんは単にわたしの肝が細いせいもあるだろうけど……物見遊山の他人事になりきれないのも当然と言えば当然で、たぶんコレあれだ。私自身に降り注いだ小梅ちゃん限定ガチャ時のフラッシュバックも含まれてるわ。

 結果的に特上スシはナターリア引けますように祈願ではなく、ナターリアガチャ天井到達記念になった。

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奢りにさせてもらったけどもそれでも10連程度。

 貴重な体験でした。
 実際に引いている当人は「天井まで行くと決めたあとだから案外気楽なもんだよ。いやほんと。ほんとほんと。いやほんとに。ほんとに」とのことでしたが。



肝心の円盤の感想だけど。


 ライブって感想を言いにくいところがあるよな。それは体験のものであるからに。
 起きた出来事を起きたようにいうのが精々なところがあって。ライブに関する文章は感想てよりかはレポートという言葉を用いられがちという事実もある。
 しかも観たのは起きた出来事のログであるところの円盤である。
 既に諸々の形で参加された有志のレポに触れており、起きた物事を起きた通りに言うのが精々なライブという催しにあって既に何が起きるのかを知っているのだから。こう。その鑑賞は確認に程近く終始してしまう部分がどうしてもあるよな。


 とはいえ。当然のこっちゃけど、ついったの伝聞で知った気になっているのと実際に観るのとでは大違いだ。
 有志のまとめたセトリの時点で驚いたけど、極めてコンセプチュアルな、ダンスサウンドを強く指向し揃えられた楽曲は、デレマスが七年という蓄積を経て、単一のテーマで、二日間の公演を十分に埋めうるほどの楽曲的豊かさを獲得していたその結実と評せる。楽曲だけでなく、歌唱メンバーの大胆な入れ替えもまた多様性あってこそ出来ることで。そのコンセプトに合わせたディレクション……というよりも、有り体に言えば『編成』はいかにもシンデレラガールズだ。
 多様性は豊かさに他ならない。
 わたしのデレマスのいちばん好きなところがそれだ。わちゃわちゃ感。
 理想論に近いけども強弁していきたいことだし、それを現実にみることが出来たのがこの公演であって。シンデレラガールズというコンテンツの、現時点でのマスターピースがコレだともう断言していいのではないか。


 現地参加もしてないし人様の購入された円盤でどんだけ語るんだって話だけど。
 あと現時点での、な。まだまだ声付いて欲しいのに声付いてないアイドルも多いしな。


 幕間にも多用されるミラーボール・ラブもすごい楽曲だ。
 ライブで初披露、ではなく、ライブを象徴する楽曲として書き下ろされた曲。それは一般的な「ゲームを通じての総まとめのライブ」ではなく、ゲームとライブとが主と従の関係ではなく共にコンテンツの主体として並び立つものだとの宣言であるように感じる。
 後にコレライブで初披露だったんかいとおののいた Secret Daybreak の、それでも万全の完成度に改めておののいたり。バベルの濃密さに、しきあす推しの担当諸氏がビョーキがちなのはどう考えても当人達のせいと思い知らされたり。セクギルの楽しげなさま。ドームだからと思うさまやきうネタぶっこんでくる杜野まこ氏と、反面きらりに感染させないためかやきうネタ控えめな松嵜麗氏。イリュージョニスタのコールの異様な完成度に、大阪公演の開演前の会場放送で既に温まりまくってたコールを思い出したり。縦横無尽に立ち働くバックダンサーさん達が20人ちょいしかいないと知って驚き、「大変なんで」「難しい曲なんで」とややネガティブな感想を多用するけどもそういう言葉を使う度に嬉しそうな顔をする飯田友子氏とか、ショコラティアラにせよNUDIE★にせよ豪華な編成だなとか、いっそオリジナルメンバーの一人もいないNation Blueとか、編成を大胆にいじくるからこそ映えるソロ曲とか。初登場の初ライブで初披露曲とかいうアイマスは演者を千尋の谷に突き落とし問題とか、バックステージ含めて生田輝・花谷麻妃両氏が出る度に当人達よりも泣く山本希望氏とか、メガネー!! オタクー!! とか。そして今に至るまで「……なんで?」て疑問に一切答えがなく、そしてその疑問を灰燼に帰すパワフルなプレイをぶちかますDJ KOO。高橋花林氏の挨拶になんかもうすごい泣いてる福原綾香氏からそうよね……凛は、きっと自分のためよりも誰かのためにばっか泣くんだと思うわ……とかもらい泣きしたり、Spin-off ! が発表された瞬間の悲鳴にも近いPの歓声や小市眞琴氏の「晴の、大切な女の子が……」て落涙にこんなもんもらい泣きしないヤツがいるかよとか。


 それから、改めて確信したけど。おれデレ楽曲のなかで Stage Bye Stage がいちばん好きだわ。ステージからステージへと渡り、繋いでいく、何度もたった一度を繰り返すその意味を歌うこの歌が。この確信は、ライブで、ステージで歌われる姿を経てこそ至れた確信なのだと思うのだわ。


 そうした諸々のなかでも特に印象に残ったのは森久保乃々と高橋花林氏。
 憑依型と評される由縁がわかった。
 思えば彼女が小梅ちゃんの代わりに歌ってくれた全然平気そうじゃない「平気ーちゃんとーみえるからー!!」をナマで聴けなかったという禍根が私を大阪に向かわせたのだ。そういう意味では恩人でさえある。円盤の感想の最初に「確認」とか言ったけど、そうなのだ。このへいきーちゃんとーみえるからーこそ一番確認したかった。これを聞きたかった。


 結びの挨拶で彼女の語った「プロデューサーさんが、辛抱強く森久保のための森を作ってくれたから……」という言葉から思い知らされるキャラクターへの理解の深さ。確かに彼女は、何もかもにアグレッシブに消極的で、だから多くの人が自分に呆れ見捨てるタイミングでもなお執念をみせるプロデューサーに絆されてアイドルの道を選んだのだ。その経緯を当人の言葉で表すならば、メルヘン趣味に寄ったその表現以外にないように感じるし……そしてその直後の「だから……そろそろ、ゴールしていいですか……?」も素晴らしい。素晴らしいというかもはやスゴい。あんだけの観客を前に、あんだけのしんみりとしたいいこと言ってるねムードを叩き壊す森久保らしさをぶちかます。それは度胸とかそういうもの以上に、「森久保ならばまちがいなくこういう」という確信があってこそのぶちかましだったんじゃなかろうか。もしくは、確信以上の。森久保と高橋花林とが同一化しているからこその。



 デレステってのはなんとも複雑なコンテンツであること よなとK氏と事前に話をしていた。
 ライブひとつをとってみても、ライブに臨む我々はどんな立場なのか判じかねる部分がある。Pとしてアイドルの晴れ舞台を観に来たのか、声優さんの歌う楽曲を楽しみに来たのか。声優とアイドルとはどれだけの同一視が許されるのか。仮想のコンテンツを現実に見立てて、意識的に、或いはライブという場の力を借りて感情移入をして。
 それらの区別や区切りはとても難しく、渾然一体とした、切り分けの出来ない、色んな事情も感情もごっちゃになった、とにかくなんか複雑だよなみたいな話をした。
 生田輝氏は挨拶で「ナターリアなんだから、泣いたらダメだってずっと思ってたんですけど」と泣きながら語り、K氏はそれをみて「泣いていいんだよ。ナターリアだって感極まったら泣くよ」と感極まっていた。
 デレマスは複雑なコンテンツであり、その複雑さは言葉に出来ない。
 言葉に出来ない、その場にしかない類いの現象をみたいかたこそ人々はライブに参加する。
 ステージという場は、それらがぶつかりあって、最も強く観測できる場所なのだと思う。思った。思ったんだよ。