シャイニーカラーズの芹沢あさひという獣が繋ぎとめるアイドルとファンの関係性みたいな話。

 アイマスにおけるプロデューサーとは、アイドル当人の夢や自己救済の手助けをする立場である。
 たぶん。ということで芹沢あさひについて語りたいんですが。


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 芹沢あさひに憧れを持たないオタクなんていないんじゃないのか。
 もう少し詳しく言えば、芹沢あさひの発揮する過集中に憧れをもたないオタクなんていないんじゃないのか。
 そうでもないだろうか。まあそうでもないとしても。

「オタク」という語句の意味が拡散してからずいぶん経つけど、それでも核となる部分はあまり変わってないように思う。それは「趣味に生きる」とか「生活よりも大切なものがある」とか「楽しい事への優先順位が常人より高い」とか……。

 楽しいことが何よりも大事とでも言えばいいのか。

 だから「オタクとして強度が高い」とかいえばそんだけなんでもかんでも趣味に結びつけられるヒトを指すし、
「オタクとして尊敬できる」て評されるヒトは趣味で身を持ち崩しがちな様を指して言われたりするわけよね。それにしたってガチャの爆死自慢はそろそろおしまいにした方がいい文化な気もしますけど。

 そんなだから。
 世間体なんぞに目もくれず、他者の評価も埒外で、自らの肉体さえも枷のように扱い、透徹された槍で貫くが如く「好きなもの」へ一直線である芹沢あさひに、憧れをもたないオタクなんていないんじゃないのか。

 まあそうでないとしても、芹沢あさひに理想を見出すオタクは相応にいるんじゃないのかしら。私もその一人である。
 自閉の気味があり過集中を発揮しがちであり、興味を引かれないものにはどこまでも淡泊だという。そうした評判を聞いたときにはア。なんか、やばそうと予感するところがあったし、いざ恐る恐る触れてみれば果たして「アア。コノ娘、ヤバい」と、底知れぬ沼にまさに身を浸している最中のよな居心地のよさと、行く末の見えぬ深さにおののいている真っ最中ではあるんだけど。


 そんでさ。
 私が芹沢あさひをみる際に去来する感情は。どれだけ普遍的で共感してくれるひとがいるのか正直わからん感情だったりする。
 暴力にさえ喩えられるより純粋なもの。かりそめにひとのすがたをもつひとならざるなにか。遠く遠く遠くより遠くただ遠くもっと遠くを目指す為に洗練された飛翔体。
 なんか急にポエットになってきましたが、しょうがないじゃん。オタクならずともひとはみな形容しがたい感情を詩情に託してきたのだとかどうとか。

 もう少し具体的にかみ砕いて芹沢あさひに関してお話するには、急にマンガの話をする必要がある。
 シュトヘルをみつめるアルファルドの想いに近い気がする。といえば伝わるヒトには一発で伝わるからだ。たぶん。
 まあほんのちょっとな。ほんのちょっと。アルファルドのあの激情と私のこの卑しい感情とを比べるなんぞ恐れ多いんで、ほんと、ほんのちょっとな。


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抜粋だけだと変態さんにみえるけどちょうカッコイイんですよこのひと。


 あれ? 『シュトヘル』の説明っている? 要らないよね? まあ要らないだろうけど、説明したいからさせてください。
シュトヘル』てのは完結済みの伊藤悠大先生の大マンガで。
 ちょうどチンギスハンが大暴れしている時代が舞台。戦禍に仲間を惨殺され復讐の為だけに生きる悪霊「シュトヘル」と、滅ぼされゆく一族の文字を後世に託すべく旅を続けるお坊ちゃま「ユルール」の伝奇オネショタロマンマンガです。

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悪霊ことシュトヘルちゃん。


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こっちがユルールちゃん。

 で。滅ぼされゆく文字を守るべくモンゴルから逃げるユルール。
 それを撃退し続けることでいつか仇が向こうから寄ってくるのを待つシュトヘルと。
 利害関係が一致しともに行動するようになるんですね。

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安易な言葉で片付けたくないけどもまあオネショタなんですよ!


 復讐のみに生きるシュトヘルは次第に、ユルールの強情にほだされていきます。
『殺す、奪う。それ以外に生きる手段はないのか。繋ぐ、託す。そういう生き方だって――』
 生きる手段として復讐を選んだシュトヘルにとってその言葉はとんでもない劇薬なんだけど、彼女の心に『文字』という力の持つ意味がゆっくり浸透していきます。

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 名残惜しいけども脱線をこらえてアルファルドのお話をします。
 順にほだされていくシュトヘルの姿を面白く思えない者。それがアルファルド。

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 理由は、純粋でなくなるから。です。

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 この感情。すごくわかる。
 すごくすごくわかる。


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アルファルドってPとしての才能ありそうよね(ええー?
 

 この感情。私が芹沢あさひに対して抱いた感情はこんな感じ。
 ……というだけだとやっぱ伝わりきってない気がするんで。もう少しだけ詳しく書いていきますとね。


 芹沢あさひが、より純粋に、「好きなもの」へのエネルギーで動く純粋な存在であるとの直感は概ね正しかったなと、プロデュースを経て感じるわけです。
 私のような、もしくはそう換言することが許されるなら我々のような、世間体や生活や体力や、多くの都合で折衷案や挫折を選んでしまう「好きなものに半端な態度で生きている」連中ではきっと及びも付かない存在になってくれるのであろうと。
 我が身を鑑みぬ体力で壊れる寸前までダンスレッスンを続け、ライバルを蹴落としオーディションに合格しても「あ。そっすか」で済ませてしまう。
 そして、それらへの順応も「体調が万全でなければパフォーマンスも発揮しきれない」「オーディションに合格すればもっとすごいひとと出会える」といった、興味の延長線上のぴったり先に新たな興味を設けることで達成されていきます。
 スタートラインから引かれた直線上から逸れることがない。
 直線であるということはそれだけ純粋であるということです。
 その、頼もしさ。こころよさ。うらやましさ。
 まぶしい。
 この娘はこのまま脇目も振らずどこまでも一直線にいけるんだろうなと。
 半端者のオタクとして託していたそんな感情が。
 彼女自身の望む形に達成できたライブの直後に呟かれたひとことで、じわりと滲むんですよね。


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「わたしのことが、誰かに伝わるって……」

 この呟きに触れた瞬間の私の感情をどう言えば伝わるだろうか。
 こう。握っていたマウスをかちゃーんと取り落として呆然とするような。いやマウスから手を放しても落ちはせんやろ。でもそんな気分だったんですよ。
 何分間かわからないけれど、テキストを送れないまま呆然としました。
 ログを確認して文脈も確かめました。
 でも、芹沢あさひは誰かに自分のことが伝わったことを喜んでいる。

 なんで。

 なんで、そんなことを言うんだ。
 芹沢あさひは、傍若無人で、好きなことだけに目を奪われ、好きなこと意外に眼が入らず、ただそれを純粋に純粋に追える、そんな少女じゃ、なかったのか。

 なかったとしたら。
 それは。
 それは……。
 ええと、どういうことだろう。
 とにかくその一言が妙なほど意表を突かれて戸惑ったんですよね。

 自分のことをわかってもらえることが嬉しい。
 逆に言えば。わかってもらえないという自覚があったということか。

 ともあれ、モニタの前で呆然としたオタクはほっぽってゲームは進行します。
 そんでまあ、デビューしたばかりのアイドルとしての一区切り。WING優勝にまで到達してひとまずのエピローグが流れます。
 そこでの一言に、自分がしていたことが何だったのかを思い知ります。

 WING優勝。ねぎらいの言葉をかけたくともあさひがいない。
 探して探して、果たして、芹沢あさひと初めてであった街頭モニターの前にいます。
 街ゆく人々も思わず振り向かざるを得ないアイドルの姿に、同じく、あさひも脚を止めたその場所ですよ。
 万人の脚を止めることの出来るアイドル。
 そのモニターをみつめながら、あさひは改めて自らの思いを、自分のことを言葉で表現するのが苦手な彼女なりに言葉にします。


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 たのむから。
 ああ、たのむから。
 その先を、その先は言わないでくれと。

 このテキストが画面上に表示されたとき。私はな。このオタクはな。
 ほんとに顔を覆って、文字送りしたくなくて数分間うめきごえをあげてたのよ。
 それまで、オタクにとって理想である獣のようにみえていた存在が。美しい獣が。
 お願いだからそんなことを言わないでくれと。


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 自らの身や、生活や、世間体や、周囲の人々を顧みず、孤独でさえあっても、自らが何かを欲する衝動に身を任せどこまでだろうとも進み得る存在。
 理想に殉じることのできるほどの衝動と、それを実現し得る力を持つ者。
 オタクとしての理想の権化であるそれが、その先に感じているものが孤独だとしたら、そしてそれに自覚さえ出来ないままもっと、もっとと先に進んでいるのだとしたら。そんな悲しい話があってたまるかと。

 芹沢あさひは、自分が楽しいと思うものを誰かと分かち合うことができずにいたのだ。それはそうだろう。それがどれほど楽しくても、芹沢あさひほどに耽溺できる存在なんてそうそういるはずがない。
 楽しいことが大好きで、楽しいからこそのめり込めるのに、のめり込むほど孤独になっていく。こんなにも楽しいのに、それが楽しければ楽しいほど誰もついて行けない深度にまで潜り、それが為に孤独を募らせていく。
 芹沢あさひが孤独をやめるためには、楽しいことを手放すしかない。
 そして彼女はそんな選択はきっと思いつきさえしない。
 楽しいことだけに生きる彼女は、ずっと孤独なままなのか。
 せめてそれを孤独と感じさえしなければ。
 しかし彼女はそれが「ひとりぼっち」だと気が付いてしまったのだ。楽しいと感じていたことの一つの理想にたどり着いてしまったが為に。

 そんな、こんな、悲しいことがあってたまるかと。

 ああ。でも。
 そこは芹沢あさひですな。楽しいことへの嗅覚の鋭さ故に、言葉にはまだ出来ていないけれど彼女はもうすでにそれへの回答にたどり着いているよう察せられます。
 ひとつは、プロデューサーがずっと側にいてくれるということ。
 だからもう寂しくはないと、彼女自身の言及がありますが、同時に「それだけなのかな……」と呟きます。


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 彼女の孤独を慰められる何か。それ自身に彼女はもう無意識下に気が付いているのでしょう。
 実際のところ、彼女のスタート地点がそれだったはずです。
 彼女が思わず足を止めた、街頭スクリーン。
 街角でみかけただけのそれに、思わず惹かれたことそのものがたぶん答えなんじゃなかろうか。
 アイドルに限らず、ライブやパフォーマンスてのは、半ば強制的に、多くの人々と情熱を「共有」することが出来る行為です。
 それこそが。
 芹沢あさひがステージに立ち、パフォーマンスでもって「こんなにも楽しいことがある!」と主張し、それに「芹沢あさひが楽しそうで楽しい!」と声援でもって応える何万人だかわからない『ファン』達が、芹沢あさひを孤独から救える存在なんじゃなかろうかと。

 アイドル自身にも、プロデューサーにもそれを手伝うことしか出来ない自己実現と救済。それを果たし得るのがファンという存在であると。
 なんかこう、同じアイマスシリーズではオミットされがちな存在である『ファン』て存在の意味が、新たに立ち上ってくるのが芹沢あさひを通じてみるシャニマスの世界なのではないかと。
 アイドルとそれを取り巻く要素の全てを輝かせる。
 そうです。我々は今一度あのポーズを思い起こすべきなのです。


 ジャキィーン。

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シャニマスに触れる限り何度でも思い出すんだろなこのポーズこのYOSHIKI





 ……とかいうのが私なりの芹沢あさひ解釈なんだけど。
 C97で頒布させて頂きました本ではそのへん言及しきれなかった気がするのでなんかそのうち言及し直したいなあとか考えてましてね。
 サンプルはこっちなので少し覚えておいてほしいなっつってですね。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12139059