シャニマスのプレゼンフォーユーのシナリオをストレイライト側からみた「走れ……アイドルよ。走れ……!」みたいな話。
コミケ前で死にそうなのに何書いてるんだろう!!!!!
でもまあ可能な限り早足で睡眠時間(命)あたり犠牲にして書くけど!!
ハイ。
おシャニさんの2019のクリスマスイベント。良かったスね。良かったよね。
なんかこう、読みながら天井を仰いでしまいましたよ。
あー。これがアイドルかー。
誰かが、どこかの、それがたった一人だけでも、喜んでくれるひとがいるのならば、それを選ぶ意味はいつだってある。
そうか。それがアイドルか……。
なんだろな。眩しいや……天井じゃなくったって、どんな角度みても、なんだか無性に……。
みたいな気分になりましたけど。
今回のシナリオは多少特殊な特別さもあって。こう。ストレイライト、及び彼女らの感謝祭シナリオというフィルターを通してみるとその意味が先鋭化する部分があると思うんです。
解説にあたって段階を踏んでいく必要があるんで踏んでいきましょう。
芹沢あさひが追い抜いたなにか。
説明するのも野暮なことを説明していくけど!
今回のプレゼンフォーユーのシナリオを読む際に、サブテキストとしてぜひ嗜んで頂きたいのがストレイライトの感謝祭イベです。
独特のキャラクター、愛嬌、そしてダンスへの一途な希求でもって冬優子と愛依よりも数歩先にアイドルとしてのスターダムを進む芹沢あさひ。
しかし彼女は、具体性はないもののなんかだいぶ栄誉で相応に立派な舞台で、ダンスを中断し凍り付いてしまいます。感謝祭イベのシナリオの大きな曲がり角ですな。
なぜ凍り付いたか。
目標の喪失を予感したからでしょうな。
芹沢あさひはその無軌道なまでの動力を、しかし「なんか楽しそう! なんか面白そう!」という予感だけでぶん回しています。これは燃料としては相当にピュアなやつで、かなりの効率を誇りますが一方で希少性が高く、一度枯渇すると調達が困難です。
という比喩であってるかな。
なんで車に詳しくもなんともないのにこんな例え選んだかな。まあいいや。
芹沢あさひはトップアイドルに向かって脇目も振らない一直線で進んでますけど、その足下はだいぶ危ういんですね。アイドルとしてステージに立つことを「なんだかキラキラしてるっす!」という言葉以上で説明できたことがなかなかない。
あんだけの馬力で突き進んでるのに、アイドルとは何か、が、未知のままなんですね。
だから、それに疑問を感じてしまうと急にぶっこわれる。
「なんだか楽しそう!」に少しでも「本当に楽しいのかな」が混ざってしまうと途端に動けなくなる。
とんでもない速度で突っ切ってるのに目的地がどこだかわかっていない。
そういう危うさを持っているのが芹沢あさひです。と思います。
冬優子と愛依がみせたものとみせられなかったものとみられてないもの。
感謝祭のシナリオでは、そうして擱座した芹沢あさひを、冬優子と愛依とが、あさひの気を引くに十分なダンスでもって救い出します。
美しい話です。実際のとこは、ダンス云々よりも、自分たちがいると、そう主張してみせたことこそが大事なんでしょうけどもまあ言わずもがなということにしまして。
それにしても愛依ちゃんのカンの鋭さはすごいね。ほとんど直感なのに大事な何かを外すことがない。
「それ、言っちゃダメなやつ」とか「アタシら時間あるし、ダンスのレッスンもっとすればいんじゃね?」とか。急所にびたりとハマる。三峰はじめ距離感と空気読みの鬼みたいなキャラがいるなかで直感だけでそれらに比肩しうる逸材というか……。まあそれはともかく。
だけれども。
ダンスてのはアイドルの一要素でしかないんですよね。
おシャニさんのシナリオを通じて「アイドル……そうか……これがアイドル……」みたいな気分を散々味わってきた私らはそれを知っています。そもそもおシャニさんMVないし。
だけれども。
ストレイライトはそもそもがそのコンセプトからして迷光てのがあるわけで、そうやって正解の片鱗を少しずつ集めていくのが彼女らの道であってシナリオでしょうから、それはそれで大事な一要素なのでしょう。
要するに、冬優子も愛依も、アイドルとして未熟で、その先を見通せていないから、あさひにみせられたものと、みせられなかったものと、そもそも彼女ら自身がみえてなかったものが多分あった。多分。
背中という言葉と、待っててくれたという言葉。
芹沢あさひにとっては酷かも知れないことをこれから幾つか書くけど。
プレゼンフォーユーのシナリオをみるに。あと、冬優子と愛依が、あさひの気を引く為にダンスをみせたあたりから察するに。283プロのなかに、現時点での(現時点で!)あさひが気になるアイドルってそんなにいないんじゃないだろうか。
それと。それから。
皆が「誰かが喜んでくれるならばそれを選びたい」という見事に透明にキラキラした理由で駆けたあのプラス10分の距離を、あさひ唯一人、たぶんただ「サンタに会いたい。存在を確かめたい」という動機だけで走っていたんじゃなかろうか。その動機を不純と呼ぶ気は一切ないけれど。
ただ、「誰かを喜ばせる為だけに走れる」という他の皆が備えていたアイドルという資質(の一つ)を、少なくともあの瞬間、芹沢あさひは持ち合わせていなかった。
時間が押してるのもわかってる。という意味で呟いた「わかってるっす。『みんな待ってる』」という呟きと。
企画の失敗を経て事後に、あさひの呟いた「わかってたっす。みんなが、待っててくれたの」という一言の差がとても象徴的に思えます。
考えてみれば、この認識は少しだけ事実とは食い違ってる部分があります。
彼女も、皆と一緒に走ってはいたのに。
それでも彼女は追いかける立場として描写された。
感謝祭のシナリオで、冬優子と愛依は、あさひの「背中」を追いかける描写がありました。そこから一転、今回のプレゼンフォーユーではあさひが、待ってくれている皆の背中を追いかける立場として描写されたんですな。
あさひはもしかすると19人のなかで最もダンスに秀でていて、それ故に、283プロのなかにはあさひの気を引ける程のダンスを披露できるアイドルはいないかもしれない。
それでも、16人が見出せた「誰かが喜んでくれるなら」という満場一致は、あさひと冬優子と愛依よりも先んじて過ごした一年を経てこそ近付けていたのであろうアイドルとしての資質であって、ダンスでもボーカルでもビジュアルでもない、あさひが未だ見出せていない、アイドルとは何かという答えの一つだったのでしょう。たぶんな。
あさひからバトン袋を受け取った冬優子が「なんて顔してんのよ、アンタ」と呟いてたけど、どんな顔だったんでしょうと想像します。
切望とか焦燥とか罪悪感とかいろいろ想像はつくけど、たぶん冬優子にとっては初めてみるあさひの顔だっただろーなーと。だいたいあさひを追いかける立場として描かれる冬優子が、誰かを追いかけてるあさひの顔とかたぶん初めてでしょう。
それでもあの時の冬優子は、あさひよりもどのくらいかはわからないけれど、あさひを待つ立場にいた。愛依ちゃんはほぼ完璧に待つ側だったね。流石。
待ってくれているひとがいるならば、そっちに行かなければならない。せっかくだし。
16人か17人か18人かはわからんけど、先にいる待ち人の背中をみた芹沢あさひは、たぶんそっちに向かって走ってくのでしょう。
目的地がどこかさえわからない猛進も、いくらかなりとも方向を定めて。
「誰かが喜んでくれるなら、それを選ばない理由はない」て言われてた「誰か」って、ぜったいあさひのことも混ざってるよな。
尊い話だぜ。
あとさあ!!
あの『行くよ』って選択肢のさあ!! あの、プレイヤーに意思決定のみを託す美しい残酷さがトリガーを引くのは他ならない自分自身的な往年のSTG的演出を思わせてさあ!! すっげーよかったよねって話していい!? 時間!? ない!!!! ところであのシナリオのなかで唯一「がんばらなくてもいい」的なことを言ってくれるジュリちゃんの優しい弱さがすげえ気になって!!!! 時間!!?? ないー!!!!!