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白坂小梅ちゃんのお誕生日まとめ。

死生観のあわいをほのゆらめくアイドルこと小梅ちゃん。
なのであればお誕生日はお祝いするのにうってつけと言えましょう。
何度続けられるかはわからないけれど、何度も続けるためのまとめです。


2012 モバマスの小梅ちゃんの特技をLv10まであげる。

正確にはあげようとしたけどもLv8で挫折したらしい。
そこからもはや数年経過した現在ではそれを実施した私にさえおぼつかない記憶だけど、
当時のモバマスの特技Lvあげはお貴族さまや石油王のお遊びと称されていたような。

2013 ケーキでお祝い。

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正調お誕生日のお祝い。
正しくはハロウィンのものも混ざってる。メイド小梅ちゃんへの返礼を兼ねていたからね。
料理やお菓子作りにはいまいち興味はないけれど、こういうのを作るには工作めいた行程のが多くなるのでその点では楽しめた。

小梅ちゃんもハロウィンメイドで目覚めたのか、凝り性な面があるのか、年々料理の腕をあげているのだけど、
それと比べれば停滞もいいところではある。

2014 ホラースポットへお散歩。

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こちらにまとめました。
tehihi.hatenablog.com

ただ楽しかった。
噂としての存在であるホラースポット。しかしそこは現実に存在し、歩き、空気を感じられる。
架空と現実とが隣接したそのお遊びは、架空の存在である小梅ちゃんに現実であるこちらから触れる一つの手段であったかもしれない。
なにいってんだモバマスは現実だよ。

2015 Don't Starve 出演。

Don't Starve という素敵ゲーの小梅ちゃんMOD。
youtu.be

いけどもいけども悪夢のような世界観に、ひとまずはただ飢え死なないことを、生き延びることを目指し活動する。
小梅ちゃんならきっと楽しく過ごしてくれるに違いない。

Koume of the NecroDancer ?

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クリプトオブネクロダンサーというステキゲーの小梅ちゃんMOD。
武器をすべてホラーな題材に、鎧をすべてアイドルの衣装に一新と、それなりにたくさんドットを打ちました。
ほんとはストーリーモードの追加とかやりたかったんだけど。
こちらにまとめてあります。

tehihi.hatenablog.com


2017 ドット絵

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www.pixiv.net

だいぶスケールダウンしてしまった気がするけどもまあ心意気はね。
ドット絵で風景という私としては極めて小規模なりにしても挑戦ではあったものの。

本当はもうちょっと手の込んだことをしたくてひと月半ほど前から準備はしていたのだけど、凝りすぎててひと月半程度じゃとても時間が足りなかったつってな。
半端な成果物となったそれはまたいずれ日の目にあてる機会があるかしらとは思います。




さて、また来世。じゃなくて来年。

白坂小梅ちゃんのお誕生日まとめ。

死生観のあわいをほのゆらめくアイドルこと小梅ちゃん。
なのであればお誕生日はお祝いするのにうってつけと言えましょう。
何度続けられるかはわからないけれど、何度も続けるためのまとめです。


2012 モバマスの小梅ちゃんの特技をLv10まであげる。

正確にはあげようとしたけどもLv8で挫折したらしい。
そこからもはや数年経過した現在ではそれを実施した私にさえおぼつかない記憶だけど、
当時のモバマスの特技Lvあげはお貴族さまや石油王のお遊びと称されていたような。

2013 ケーキでお祝い。

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正調お誕生日のお祝い。
正しくはハロウィンのものも混ざってる。メイド小梅ちゃんへの返礼を兼ねていたからね。
料理やお菓子作りにはいまいち興味はないけれど、こういうのを作るには工作めいた行程のが多くなるのでその点では楽しめた。

小梅ちゃんもハロウィンメイドで目覚めたのか、凝り性な面があるのか、年々料理の腕をあげているのだけど、
それと比べれば停滞もいいところではある。

2014 ホラースポットへお散歩。

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こちらにまとめました。
tehihi.hatenablog.com

ただ楽しかった。
噂としての存在であるホラースポット。しかしそこは現実に存在し、歩き、空気を感じられる。
架空と現実とが隣接したそのお遊びは、架空の存在である小梅ちゃんに現実であるこちらから触れる一つの手段であったかもしれない。
なにいってんだモバマスは現実だよ。

2015 Don't Starve 出演。

Don't Starve という素敵ゲーの小梅ちゃんMOD。
youtu.be

いけどもいけども悪夢のような世界観に、ひとまずはただ飢え死なないことを、生き延びることを目指し活動する。
小梅ちゃんならきっと楽しく過ごしてくれるに違いない。

Koume of the NecroDancer ?

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クリプトオブネクロダンサーというステキゲーの小梅ちゃんMOD。
武器をすべてホラーな題材に、鎧をすべてアイドルの衣装に一新と、それなりにたくさんドットを打ちました。
ほんとはストーリーモードの追加とかやりたかったんだけど。
こちらにまとめてあります。

tehihi.hatenablog.com


2017 ドット絵

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www.pixiv.net

だいぶスケールダウンしてしまった気がするけどもまあ心意気はね。
ドット絵で風景という私としては極めて小規模なりにしても挑戦ではあったものの。

本当はもうちょっと手の込んだことをしたくてひと月半ほど前から準備はしていたのだけど、凝りすぎててひと月半程度じゃとても時間が足りなかったつってな。
半端な成果物となったそれはまたいずれ日の目にあてる機会があるかしらとは思います。




さて、また来世。じゃなくて来年。

小梅ちゃんの誕生日2014の思い出。

小梅ちゃんと一緒に心霊スポットにお散歩してきましたという記録。

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デレステの小梅ちゃんイベントで2000位を目指した記録。

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何が起きたか。

 小梅ちゃんが笑った。

何が起きたかを詳しくいうと。

 小梅ちゃんが幸子と一緒に笑った。しかも輝子もいるに違いない。

前日。

 イベント上位2000位に入賞すれば☆15のアイドルが手に入る。
 という仕様変更のおかげで2000位のボーダーが跳ね上がったのはつい最近のことなので実際どうなるかはわからんにせよ、やることはひたすらスマホをぺちぺち叩くのみだし、アクティブユーザーの1%以下の席を奪い合う争いなんぞ参加する気になる人間からして限られているに違いない。
 だから過去に一度行われた同形式のイベントの数値だけでも、2000位を目指すにどのくらいの労力が必要か十分な精度で予測可能なはずだ。
 ざっくり計算してみると。

・一日のノルマ
 15000pt

・ ノルマ達成に必要な曲数
 95曲(前半/スタミナ2倍)

・必要石数
 1250個

・一日分の所要時間
 240分

 正気?

 イベント開始前は終了日が明示されてないので何日分かかるかはわからない。
 とりあえずは一週間だとして、日数はもちろんだけど終了日が祝祭日ならそんだけ競走人数が増えてボーダーも加速する。
 あ。吐きそう。

 2000位争いに参加しない理由はいくらでもあるのだ。
  時間のムダ。カネのムダ。かかるコストに対しリターンが乏しすぎる。
 未だに納得のいかないソシャゲ経済の輪転に荷担するのも抵抗がないわけでもないし。小梅ちゃんへの愛を示すに手段はひとつにあらず。かかる時間を二次創作にでも回すべきでは。

 等々やらない理由はいくらでもある。
 しかし、予測のエグさにどれだけ嘔吐いたとしても、それが実行可能な数字である以上、求められるのは「やる」「やらない」の二択である。やらないと決めるにしても諸々の未練を断つ決断力みたいなものが求められるのだ。

イベント当日。

 YとDが混ざった。

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 早速「うちらの幸子はん」というジャブから入るD。
(大事な注釈:アニメ基準の設定なので輿水幸子はKBYDが唯一のユニットだからこの挨拶も当然なのだ!)


 うん。まあ。
「小梅ちゃんイベ!」「142'sがついに公式イベ!!」と前のめっていただけに飛び乗った踏み台の足が一本抜けてたみたいな気分になったのが正直なところではあるけれど。
 私が「142'sが次に公式に触れられるのはいつのことになろうかこのまま忘れ去られはしないか」とはらはらしてたのと同じくらいに「KBYDがアニメ限定の飛沫ユニットとして処理されるのではあるまいか」と気を揉んでいた人々がいるわけで。似た思いをあしざまに扱うのは難しい。

 ならば、30万アクティブユーザーになんなんとするデレステなのだから、無闇にユニットの登場を急ぐでなく、ロングテールに、徐々に、まずは142'sイベで。次にKBYDイベでと小出しにしつつ個別にユニット曲を設けるのが商売としては賢いやり口なのではあるまいかとの言いがかりに発展はするのだけど。
 それをいうならば。デレステがこのまま長くなるべく長くユーザーから搾取を続けていくならば、その最中にまた142'sイベが催されることも期待できるはずである。たぶん。
 だからまあ。今後に期待としまして。

 ぐちぐちと愚痴ってもしょうがない話は別にして、多少実利面での問題としては、イベント開始当日となっても結局小梅ちゃん☆15を目指し2000位以内という峻厳な崖をよじのぼるや否や、腹が据わってなかった点である。
 イベント開始して。
 ああもういてもたってもいられねえ。
 予測の数字なんか知ったこっちゃねえおれのこの滾る情熱は走ることでしか消化できねえよさあ石をもってきておくれあらんかぎりの石をおれの炉にかっ込んでおくれ的な気分になって選択の余地なく気が付いていれば走っていたみたく状態に陥るのがある意味では理想だっただけに。
 このつまづきはそれなりにしんどい。

 しかしカワイイボクとキノコに寄り添われ微笑む小梅ちゃんはかわいい。
 求めていた142'sはまさしくこれだろう。
 ならばこの特訓前の小梅ちゃんを特訓前のままに☆14で保管し続け、プロフ画面に固定してドヤる。あるいは、これこそが私がデレステに求めていたもの、求めているものだと運営に対し示すのが採るべき道ではあるまいかとかどうとか。

 まあ色々いっても結局はあきらめた方がよいものをあきらめきれるだけの精神を養えなかっただけではある。

実戦

初日

 どのみち使い切るのである。いわば実弾である石を消耗するよりも先にスタドリの在庫を一掃しとくべきだろう。
 実際のところ、スタドリMAXもこのときより他に使い道があろうか。

スタドリ30
 +++++++++
スタドリ20
 +++++++++++++++++++++
スタドリ10
 ++++++++++++++++++++
スタドリMAX
 +++++++


 ++++

LvUP
 +

・パステルピンクな恋、フルコンボ達成。
・オレンジサファイアフルコンボ達成。

二日目

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 ナチュラルにやみにのまれる端数分のゾンビート。

 イベントアイテムは9999個までしか溜められない。
 一日のノルマである15000ptを稼ぐには、7000個消費する必要がある。
 一日のうちに7000個消費しなければ、翌日は走ることさえ出来ない。
 考えればわかることだけど、いざ走るまで気付かなかった。

 4倍消費期間を前に7000個その日のうちに使い切れ、というのは相当な時間的消耗だ。
 それも見越したうえでの「一日4時間がノルマ」という計算だったので予定に差し障りはないものの。

 もちろん一日15000ptというノルマは全日通しての平均値であって、消費しきれなかったノルマは翌日に回したってかまわない。
 それでも時間は限られている。一日で稼げる上限は自ずと厳然と存在するわけで、安易にサボれるわけでもない。
 緩んだ結果に、2000位入賞をあきらめるほかない状態が待ち構えていると思えば、精神的になかなか来るものがある。

 ネイションブルーが100回達成。
 250石はおいしいもののSASという表示はなんだか。なんだか。
 ともあれプレイ回数のS回収という余録を意識するならこのままフルコンボを目指すよりも他の100回未達成な曲を埋めていくべきか。


スタドリ20
 ++++


 +++++++++++++++++++++

LvUP
 +

三日目

 諸々日常諸般の用事を終えておうちに帰って自分の部屋に寝転んでもこの作業が待っている。
 あんまり開放感がない。
 首輪の鎖が始終ちゃりちゃりと音を鳴らしているような、イヤな緊張感が持続している。もちろん望み得た束縛ではあるものの。

 そういえば、イベント期日は一週間ぴったりだった。開始前に恐れていた土日終了もなく最終日はド平日の金曜日である。ならばボーダーも緩むかというとそうでもないらしく、ボーダー予報士の楓さんいわく、現在の予測地点は102000ptだそうだ。
 つまり一日15000でも不足らしい。オェ。

 Coアイドル全員の有力担当の称号獲得を当面の目標として遊んでる。
 篠原さん30万人。ひじりん10万人をそれぞれ達成。
 LvUPによってスタミナ上限がひとつあがった。まだあがるんだな。

 この日のうちに小梅ちゃんをお迎えした。
 ここから即息絶えても正直構わないところではある。


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 3人の幸せな記憶。とナチュラルにYとDを員数外にする小梅ちゃん。
(大事な注釈:3人で小旅行に出かけたイベントコミュのことを言っているだけです)


スタドリ20
 +

スタドリ10
 +


 ++++++++++++++

LvUP
 +

四日目

 息抜きに小一時間でもゲームしようかどうしようか迷う。
 ……デレステも一応ゲームじゃなかったっけ。まあ。なんというか。人を撃ち殺す類いのゲームをしたい。

 イベントマラソンのお供にはするめが最適であるな。
 甘いものと違って食べ過ぎて胸を悪くすることもなく、豆菓子のようにカロリーが気になるでもなく、もっちゃもっちゃ噛んでいれば量も食べ過ぎず済む。空腹に中座する必要もなくなるし。

 モバマスのイベントも上位報酬の小梅ちゃん目当てに走ったことがある。
 あちらは映画でも観つついくらでもよそ見をしながら遊べたので楽は楽だった。
悪魔のいけにえ」で、レザーフェイスに追っかけ回される女の子が長く長く悲鳴を引いて逃げ惑う名シーンのさなかに、小梅ちゃんが8回くらい連続でパーフェクトを出したあの偶然が忘れられない。

 イベント曲を消化。今回のMaster+を続けてったらば腕にまでダメージがきそうだ。
 フルコンボを目指す道程はこのゲームにおいて最もゲームらしい部分ではあるので、イベントアイテムを消費している時ばかりはどんだけ時間を費やしていてもなんだか気は楽だ。
 しかし、後半の4倍消費を待たず普通に遊んでいたらば最終的には一曲ごとに6分損していることになる。地獄か。



 ++++++


五日目

 あれ……4倍消費の後半戦がこないんですけど……こないんですけど……。
 まあ4倍消費がこないほうが、それだけ競走も抑えられてボーダーも控えめにはなるのだろうけど、それよりも個人的なノルマ達成が短縮できない方が気分的に重いという本末転倒。

 実際のところ、五日目ともなれば逃避の具合が深刻化してきているのか、気が付けばただ天井を眺めるだけで30分ほど過ごしていた。何の退屈も感じず。
 スマホをぺちぺちせずに済むというだけでもはや娯楽に近い気分転換。


 音ゲをやりこむに相応しい態度とはいえないが、走りながらずっと耳だけで完結する番組や落語を聞いている。
 志の輔さんと談志の立川師弟の噺を聞き比べてみたりとか。
 Eテレの100分de名著て番組の録画を聴いてアドラー心理学だのレヴィストロースの構造主義についてなんか語れる様な気分になったりとか。



 ++++++++++++++

LvUP
 +


六日目。

 結局後半戦の4倍消費開始はこの日にきた。
 ボーダーの日速を確認してみれば最終ボーダーにもとくに影響はなさそうだ。
 最終日は調整として、できれば今日で決着を付けたいところだけど……眠気に負けてあまり走れず。
 マラソンの最大の敵は眠気だと悟る。手元が危うくライブ失敗を繰り返しては徒労もいいところだ。

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 ポイントは50000を達成し、ポイント報酬は全て回収済み。
 初めてみた表示だけど、しかし曲をクリアする度に「もうどんだけポイント稼いでもなんも無いからな」と確認されるのはなんだか辛いものがある気がする。



 +++++++++++++++++

LvUP
 +


最終日。

 本当の勝負開始。
 手持ちの石が10000切った。計算のウチではあるけども桁が下がるというのはそれだけでプレッシャーがある。
 これまでに消費したアイテムと石とを数えてはきたけど、アイテムを消費した個数や時間は計上してない。すれば良かったかな。ストップウォッチ片手に。

 最終日の弾みにしようと、それまで読むのを後回しにしていたイベントコミュを閲覧する。
 でも……なんかこう……142とYとDとの絡みがほぼ無くてさあ……これだと単に5回と限られたコミュ数を無意味に分け合うだけになるじゃん……? やっぱ個別にすべきだったんじゃねえかなあラブレターの前例だってあるしさあと唇をへの字に曲げただけに留まる。
 惜しいねん色々と。

 諸々のさぼりのツケの清算を迫られる。4倍期間のみじかさはどちらかというとこういう形で発露するのだな。
 いつもの最低ノルマに載っけて3時間の追加を求められて、それもなんとな捻出はしたもののボーダーが背後にあってはどんだけ稼いでも安心はできない。
 一時間で4000ptは稼げるから……いや、仮に現時点でイベントアイテムを9000個持っているならば……。

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 小梅ちゃんもボーダー確認してくれるし。


 ボーダーに脅迫観念を植え付けられながらも、結局できることもやることも変わらない。途中気分転換に遊んだEVER MOREがかんたんにフルコン取れたりと軽いイレギュラーはあったものの粛々と時間を迎えた。


スタドリ30
 +++++++++

スタドリ20
 ++++++

スタドリ10
 +++


 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

LvUP
 +

終わってみれば。

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 1142位くらいに軟着陸したかったけど最終的には1156位でした。

 事前に予想したのとほぼ寸分違わないしんどさばかりがあった。
 要するに何の救いも甘さもなかったということだけど。

 いずれにせよ計算通りに遂行さえ出来れば確実に目標を達成でき入手できるのだから、例えそれに一週間の期間を求められようとも、終わってみればたかが一週間である。
 その一週間も、月末限定で一瞬に消える2500石をガタガタ震えながら注ぎ込むあの小一時間に比べれば易く、はるかにマシだ。ガチャはやはり悪い文明。

 2000位以内を目指すのならば、課題曲もかなり遊び込む必要があるわけで、ならば初のMaster+フルコンもあり得るんかなとか思っていたけれども実際はMasterさえフルコンできなかった。一応銅トロフィーは取れたけど。
 これは、常時4倍で走らざるを得ず、単純なスコアアタックを試みるのよりもプレイ回数はかえって目減りしたであろうことが原因と考えられる。無論、私の腕前がへちょいところが大ではあろうが。
 同じく、難度26の曲くらいは全部フルコンで埋められるかなとか思ってたけど、3曲新たにフルコンできただけに留まった。これは、義務に近い感覚で延々遊んでいるさなかに1ミスをしたときの、それでも続けなければならない心理的負担が相応にのしかかってくるので、自然にフルコンに賭ける真剣味を薄れさせたことが原因ではなかろうか。無論私の腕前へちょ。
 そのへんを思うと、やはりイベントで走るという行為は、普段遊ぶ音ゲーのそれとはどこかが決定的に変質しているのである。

 ともあれ、これをもって、次回142'sイベ祈願のお百度参りの完遂としたい。
 アンダーザデスク&インディビジュアルでもいいし、りょううめでも構わないところはあるものの。とにかくよろしく。


リザルト

消費
 スタミナドリンク:2017ドリンク(石1250個分相当)
 スタージュエル:6250個

 一週間における自由時間の大半。
(曲数になおせばおよそ前半350曲・後半230曲の計580曲)

収穫
 LvUP 6回(Lv158→Lv164)
 ファン数 173万6470人(兼親愛度稼ぎ。スコア重視編成ならこの倍は稼げたかも)
 スタージュエル 875個(イベント報酬・プレイ回数称号・イベントコミュ含む / アイドルコミュ等含まず)


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バーナード嬢曰くの3巻のリアルタイム感想の残り半分。

 やってみたかったことではあるんだけど、初読時にやらなきゃ意味がないだろうと思ったせいで、それが出来るタイミングを待ってたら購入からおよそ半年経ってたなんつってな。
 一冊読むのに8時間くらいかかったけどかなりの満足を得られる読書法ではありました。


・動物の名前。
 そうね。私も「お前は私に飼育される存在になるのだ」みたいな気分で名前を付けることが多い。
 その一方で一応共同生活を送る上での機能性もあるんですよ。名前呼べば「なんか用があるらしい」て事に気付いて貰えるんで。

・平行して複数の本を読む。
 森川幸人というひとが集中力の逆として分散力って言葉を使ってたな。正確には最初に言ったのは糸井重里だった気もするけど。
 一冊読まなければ次を読まないなんてのもこだわりというよりかはいっそ悪癖なのかも知れない。

・どの本とも最後まで付き合えない、と自然と擬人化めいた言い方になってるあたりさわ子ももう相当本好き。


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・ふしだらだぞと叫ぶJKとかかわいすぎて国に保護されるべき。

・ところでさわ子のその行為がふしだらなのだとしたら「最後まで付き合う」てどういうことになんの? エロくない?

・読書家は見切るのが早い。
 たまに言われる「冒頭3行でその本の価値が分かる」的なのは要するにそういうことな気がする。

・神林しおりは未練がましい。はい覚えておきましょう。

・中断したまま数ヶ月。でもみんなまだJK。
 ……作中で明言されてないと思うけど、JKでいいんだよな。バイトしてるし。

・「みててもいいですか?」 お。踏み込むね長谷川さん。
 さっきの「最後まで付き合う」がどういうことか考えたら相当な覗き趣味だよね。


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・映画は別物。
 映画化を手がけたら原作者から「アレは違う」つって映画の不満点を改めて修正した続刊を刊行されたり、「まあ別物だよね」ときっぱり言われたり、「むしろおれの書いた小説よりもおれの言いたいことを表現してくれた」と褒められたりと何かと一言言われがちなキューブリックという爺さんのことを思い出す。


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・本を読んでもいいかなという遠慮。
 コミュ障というほどではないにせよ神林しおりは友達そんなにいないんだろうなというところが察せるくだり。
(あらゆるジャンルの二次創作界隈になぜか必ず存在する「○○はぼっちだよ」と言いたがる勢)

・二人で喫茶店に来ながら別々に小説読んでたりするのがおれの理想のカップル像です。

・さわしおが二人の関係に終始している中でちゃんと文学な話題は大体遠藤君の担当になってるのね。
 おじさんが若者だったときは『小惑星が地球に衝突して人類が滅ぶ可能性だってあるんだぜ』というTVの特番に対して「世の中にそんな劇的なことが起こるはずがないじゃないか」という態度を取ったのがそれに近いと思う。

・そっちの方が遠藤さんらしいです。町田さんは豊かな人生を送りそうですね。
 という長谷川さんの表情から伝わる施川ユウキ先生の魂の筆致。
 長谷川さんがだんだん図太さを身につけ始めている。

・殴った! 65ページにしてついに殴った!

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・ハートとか葉っぱとかを泡で描いたカプチーノを横に置きたい。
 具体性に笑う。

・基本的にさわ子のいいなりよね神林、

・エドワードゴーリーおれも好き。
 おぞましい二人は後書きまで含めてなんだかすさまじかったな。
 創作は誰かに奉仕するための存在などではないのだ。

・我々は村上春樹の呪縛から逃れることはできないのだ。
 時空を超えて何度私たちの前に立ちはだかるのだ……村上春樹!!

・関係の中の読書。て所から軸がぶれないよねさわ子。

・歯痛の話を取り扱った本……思い出せそうなそもそも読んだことがなさそうな……ああ……。

・誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
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 ものすごい名文にこのオチ。このダイナミックな冒涜がバーナード嬢曰くの大事な魅力といえる。いいたい。
 しかしほんと泣ける。


・この状態……ケンカだったのか! と今さら気味に気付くしおりさんはやっぱり今まであんまり友達がいなかったですね?

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・理性は、理知的であろうと努めることは、感情を蔑ろにするわけでは決してないし、
 常に問題を明瞭に平易にしてくれる。

「貸した本、結構ちゃんと最後まで読んでくれるんだよね……」という気づき方が、もうね。
 相手が本を好きだといってくれたこと。こちらが渡した本がどんな内容か知ろうとしてくれたこと。
 自分がその本でなにを感じたか知ろうとしてくれたこと。
 それがどんだけ尊い行為であるか。そこからほだされるあたりほんとにもー神林しおりがおれにとっての理想的な文学少女であると思いを新たにしますよ。

 一方で、町田さわ子は理性や理知でなく、「神林に嫌われたくない」という直感でまず最初に謝ってるんだよな。
 この関係ですよ。

 もちろん、ギャグ漫画と物語との間に優劣なんて存在しない。それを前提とした上で。
 バーナード嬢曰くは確かにギャグ漫画ではある。
 けれども物語としての機能も十全に備えている。
 読書を中心とした人同士の繋がりのお話である。



・タイムトラベルものに猫って良く出てくるよね。
 ごめん夏への扉しか知らない。

・さわ子はさわ子で 、「そっちは後で読むよ!」と断言できるその躊躇のなさが私にとって異星人みたくみえる。

・読み方を強制してはいけない……とこらえる神林しおりの人間的成長の軌跡をみよ!!

・人は何かを辞めるときでさえ何か理由を付けないと辞められない。
 とは立川談志の言葉。

・犬が出てくるSF。やべ。SFどころか文学全体でもちょっと思いつかない。

・ポチはポチで同じポチでもどの作品のポチかで違うのはそうかも知れない。

・あ、サンリオSF文庫だ。

・さるかに合戦とレザボアドッグス。
 まあ確かに、歌いながら耳を削ぐバイオレンスシーンみたく拷問が散見される昔話ではある。

・グフフフという笑い方をしてもなお神林しおりはかわいい。

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・それはそれとして除虫菊活字中毒の韻。普通によくない?

・手に入れたくてずっと探してた本ー。
 というと私にとっては詩人の夢かなあ。amazonとか日本の古本屋のおかげでもうそんなに探すことももはやないけど。
 それによって失われるロマンは確かにあるだろうけどそれでもその便利さは肯定してしまいたい。

・もしかして遠藤君このマンガのなかで一番キャラ濃くない?

・手に入れることが目的になると。しおりちゃんまたそういうめんどくさいこというー。
 古本屋さんでお手伝いしてたときにそういう、なんかもうとにかく本を買うのが目的になってるよねって爺さんを何人かみたな。上客でした。

・恥ずかしがってる神林を額縁にかざろう。

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・同じ話を何度だってする……!! てアレよね。マサシがいうところの関白宣言ってやつよね。
 お前を嫁にする前に言っておきたいことがあるってやつよね。まあちょっとは覚悟しておけってやつよね。
 その答えが「何度だって聞くよ?」ですよ。なんなんだよもうおれをどうしたいんですか。

・て、ネットでみた。とは我々凡人にとっては常にエクスキューズであるのにこの堂々さたるや。

図書館警察。怪物を掴んだときの「ふやけたティーバッグみたいな感触」て描写の生々しさを覚えてる。
 いや子供の頃にレイプされたのはわかるけど主人公男だよね……しかも子供だったんだよね……? て部分に釈然となかったあの頃。

火の鳥好きだけどどの編がどんな話だったか正直あんま覚えてない。
 でも確かに好きなエピソードを挙げろといわれたら「神よロビタを救いたまえ!」だよなー。
 でも確かに我王には勝てないよ……猿田博士だし……。

・しかし手塚治虫の修正に関して語れるとかどこの次元のJKですか。

・シンゴジラのまねをして手のひらを空に向けてる神林しおりをフィルムに残そう。
・だからゴジラ対へドラみてるJKとかトロピックサンダーとかフロムダスクテイルドーンとかを好きだと語るJKと同レベルにどこ次元のJKなんだと。

・能動的な没入が求められるからこそのVR。
 実際に最近そういうソフトウェアの話が出てたよね。初音ミクが座ってる横でゲームできるやつとか。

三毛別羆事件Wikipediaで読んでさえ震え上がるくらい怖いからな……。

・どんなに優れたレビューよりも。
 それはそれで寂しい話にも感じてしまう。
 それならば物語の意義とはなんなのだろう。架空の物語はいつだって現実に勝てないものなのだろうか。

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 けれども。
 バーナード嬢曰くは読書と人の関係みたいな話のように思ってる私としては、なんだか相応しいシメであった。

バーナード嬢曰くの3巻のリアルタイム感想前半戦。

 感想と言うより反応。
 読んでる最中に思ったことを即メモ書きしていくただたんにやってみたかっただけの行為です。



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・表紙絵。
 でもね、ド嬢。それがなければ読書家にはなれないんだよ。
 ていうかそこは「ドグラマグラ」あげてよー。
 人生変えられた本というと少し違うけど、さわ子はあの瞬間から読書家への一歩を確かに踏み出したんじゃんよー?


・表紙絵のインパクトはともかく、帯の時点でもうメモしたい。
「ド嬢は自分よりも読書家になっているんじゃないか……? と不安になっている読者もいるかも知れませんが」
 まったくその通りです。

 まったくその通りだけど、おれだっておれのそばに神林しおりがいたらそうなってたよ?


・人間臨終図鑑。面白そう。
 風太郎せんせが資料として集めてたついでにこれまとめたら面白いんじゃね? と思ったからまとめたみたいな流れなんだろうか。


トルストイ!? あの有名な!
 さわ子さんドストエフスキーと区別付いてなかったりしませんか。
 中編だから読みやすいっつっても罪と罰よんだ限りじゃ改行少なめのびっちりした文体でみためより文章量多いぞ。


・死をテーマにした小説。で、個人的な読書体験が即浮かばない読書筋の衰えが悔やまれる。
 なんかあったはずなんだけどな……すぐに浮かんだのは星新一小松左京筒井康隆の御三家が「おれたちの中で最初に死ぬのは星さんだよね」「いいひとだもんな」「そんで最後まで生き残るのは筒井」「だろうなー」とか話してた通りになったねとかそのくらいだけどこれ別に小説じゃないし……。


・ダロウェイ夫人が二人の挙げている小説に似て逆パターンかな。
 意識の流れを丹念に追う手法は似通っているけど、最終的には生きる活力を得る方向で終わったと思う。
 実際んところはそれを原作にした映画の「めぐりあう時の中で」のが印象に強い。映画の方だとヴァージニア・ウルフさんが入水自殺するシーンから始まる。


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・読書家二人で交換しあっちゃってハミ子にされて拗ねるさわ子だけどこれ大事な変化だよね。
 読書家二人のやりとりにちゃんと参加意識を持ててるってことだもんな。以前なら「読書家っぽくてかっこいいな二人」で済んでたところですよ。


・現実に引き戻される神林しおり可愛くない?

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・死ぬには良い日だってことですかね。トルストイの死に方。
 若者に檄飛ばして割腹自殺した三島由紀夫とどっちがどのくらいだろう。


・近代付近の作家って自殺した作家とそうでない作家で大別できる気がしてしまう。


・しつこいくらいしゃしゃり出てくるんじゃない? と、ひねた言い方しかできない神林しおり。
 やった! と素直に言える町田さわ子。

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・年の離れた弟がいるので赤ん坊の泣き声は身近にあった。気がするんだけどあまり思い出せないな。
 観察をしたことあった気はするけど、しかしここまで透徹とした視線であったはずがなく。


・「スランプ」な町田さわ子を慰める遠藤だけど、やはりド嬢周辺の人間はド嬢が読書家たろうとしているのを応援したがっているのか。


・私は電車に乗ってると妙に読書に集中できる。環状線のある地方を割と素で羨ましく思うくらい。
 生活の中でそうした強制的な余暇があんまなくなったから読書から遠ざかってるのもあるんかなー……環境は人を作るよなー……。


・教科書にも載っているお話をなにその変な話とはなんだ。
 夜の間に壁を伝い伸び屋根裏に潜む盗賊どもに近付き匂いを漂わせてくるノウゼンカズラの描写とかまさしく小説的であり文学ではないかとか書いたけどこれ羅生門ちゃう偸盗や。


・「本を読め」という神林しおりのコマが素で泣けるんですよ。
 もう神林しおりはさわ子に対し「いいから読め!」と暴力を振るわないんですよ。
 そんなことしなくたってさわ子が読むのをもう知ってるし、彼女が持つ読書への敬意ももう理解しているのだから。
 バーナード嬢曰くという作品全体のなかでも大事な一コマになると思う。


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 ああ、読書家の友人とともにアルコールランプを読書灯に読書するさわ子の幸福げな表情をみたまえよ……。


・文学はもはや文学史となり歴史であって偉人も多く、為に読書家は名作名画への敬意も欠かさないのだ。
 礼節が紳士を作るんだよ。たぶん。
 すいませんシリーズ通してあんまみたことないのに 「ルーカスはディズニーが作ったスターウォーズを気に入ってないらしいよ」とか話題の種にしてすいません。


・コイツみたいなことを考えてしまった。
 大丈夫だよ誰の心にも町田さわ子は偏在しているから。


・おらうーたん。検索した。そうか世界最初の名探偵か……。
 一生読まないからネタバレしてもいいやって私もやったことあるな。
 正確には、このゲームは遊ばないと決意してプレイ動画でエンディングまで観たんだけど。スゲエ後悔した。
 むちゃくちゃかっこいいBGMがさ。すげえ大事なシーンで流れて、ああ実際にプレイする機会があればこれ異常の衝撃と感動を覚えただろうに、おれは自らその可能性を閉ざしてしまったのか。今生での機会を自ら潰してしまったのかとそれはもう悔やんだ。
 Heartful Cryて曲なんだけど。


・おれネタバレを忘れるのけっこう得意。
 読んでない本のネタバレなんて身につかないからいつか忘れる。て実践的でいいね。


・ネタバレはマナーとかの問題でなく、作品とその作品に触れる体験に対する敬意であって自己規範の話だと思う。
 ネタバレしてたって面白い作品は面白いのであるからに。


・青春感じゃねえよ青春そのものだよ!!!


ツノゼミ早川いくを著のへんないきもので知った。
 それ単体で本に出来る勢いなのね……。


・神林しおりの「暑い」
「燃料投下」の実例というかもはや具現化をみた。

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・あーもー神林しおりかわええよーもーなんだよ萌えマンガかよー。


推理小説ってつきあい方が割と難しいよねと叙述トリックの話。叙述トリックがすごかったんだよーとかいうとネタバレになるわけだし。
 割と小説ならではな手法になるんかな。エンタテイメント。でも映画でもそういうのはあるにはあるかとタイトルがいくつか浮かんだけど伏せておく。


・オイルランプの実証主義(?)はSF畑と捉えればいいのか推理畑と捉えればいいのか。
 なににせよ「現実はこうでした」というネタばらしもなんだか名著の匂いだ(?


・古本屋で買った本に朱引きがしてあって、しかもそれが自分の気になったところに先んじて引いてあって、読みながら気になってしょうがなく読書に集中できなくてちくしょう前のこの本の持ち主はどんなヤツだったんだとイライラしながら読み終えたら自分の蔵書印が捺してあったという井上ひさし先生の話が好き。


・お前らエブリディ読書会じゃねえか。


・学研まんがシリーズが図書室通いの一歩という本読みは少なくないはずだぜ……あと世界の偉人シリーズとか。
 あさりよしとお先生のまんがサイエンスシリーズを読んで、後々の後々にるくるくを読んでしばらくして「え。あ、まんがサイエンスのひとじゃねえかこのひと!」とか気が付いたりするよね。


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・思いつきだけで生きてるのがよくわかるトンボと戯れる町田さわ子のシーン。
 秘密の共有を持ちかけるとかしおりちゃんむっつりだわー……そのくせに積極的だわー……。


・読んでもらえないの! つって髪を振り乱す神林しおりチョーかわいくない?

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・「お茶菓子つまんでガールズトーク! 楽しそーだな!!」という絶叫にこのこの将来が垣間見えた様な気がした。


・今んとこド嬢が取り扱ってない本読みあるあるに、『なんか大事にしすぎててかえって読めない小説』ってのがある気がする。
 ルグィンの闇の左手が私にとってそこそこそれ。他芥川作品を全部読んでから読もうと決めてしまった河童と或阿呆の一生とか。

 ……別にあるあるじゃない可能性もあるな。


・沈黙映画化しますねそういえば。メル・ギブソンに自作自演マゾ映画とらせてる場合ではない。
 しかしさわしおに比べて遠藤長谷川は全然進展しねーな。


新潮文庫はyondaとか色々キャンペーン張ってて立派よね(……て思ったら2014年でもうキャンペーン終わってた
 いやべつに他出版社がキャンペーン張ってないわけでもないのだが。


高慢と偏見とゾンビとか、ごく最近な話題が入ってるとなんとなく驚くアレ。
 作品と現実とが地続きに思えて少し不意を討たれる感じの。


・たぶん今頃アメリカには(名著)とゾンビてタイトルの本が豪華客船を沈ませかねない勢いで量産されているのだろう。
 あるいはそれの結実が高慢と偏見とゾンビなのだろうか。


・大丈夫だよ神林ちゃん世の中にはそれで結局アンドロイドが電気羊の夢をみるのかどうなのか知らないのにタイトルに借用したり、
 たった一つの冴えた方法がなんなのか知らないまんまタイトルに借用したりする’同人作家とかザラにいるから。


・なんとなく古本屋さんの文庫棚を眺めてるときに目に付いたらどうせ100円やそこらだし何冊も重複買ってたりする本があったりしませんか。
 私にはありました。古橋秀之ブラックロッドという電撃文庫です。


・膝を折って古本屋の棚を凝視する神林しおり以上に神林しおりらしい可愛らしさに満ちた存在があろうか。

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・本の価値はただの流通価値だからねー。
 どんだけ素晴らしい思想の書かれた本であっても必要なのは紙代と印刷代と流通費用だけってのはなんだかなんとも。


・さわ子の読書家っぽく振る舞いたい話も久々な気がする。
 それこそ「本の価値は自分で決める!」というしおりの反応と同じエピソードに収められていて好対照である。


・ガチ古書店新古書店と違って、古書店には「たくさん印刷されてない専門書の流通を助ける」て作用があるからね。
 古本屋が存在する限り、その本はいつかは必要とされている人のところへ届くのよ。そのあたりの話も過去の話になりつつあるけども。


・古本屋でこの本の値段いくらだろうと背表紙をみたら登場人物一覧の一人に赤線が引いてあったのはみたことある。買わなかったけど。
 図書館で借りた本に同じく登場人物に赤丸が書かれてて、オイオイ公共物だぜと思ながら読み終えたけど犯人でもなんでもなかったという体験談を聞いたことならある。


・それ面白いです。と感想を述べるだけに済ませてる長谷川さんかわいくない?

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グレゴリ青山というひとの書いた古本屋バイト体験談マンガに「仕入れてきてとりあえず積んであるだけの本にお客さんが群がってくるのはなんで?」てネタがあったね。
 店員からしてみてもあるある話なのか。


・雪国とぽっぽ屋がおれのなかで混ざってる。どっちも読んだことない。


・地の文っていいよなー……。


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・ 冷えた神林しおりの手を町田さわ子が暖めたというお話は微笑ましくみえる一方で、看過しがたいほの寂しさを感じるのは私だけだろうか。

 しばらくずっとさわ子としおりという関係が描かれたこのマンガにおいて、忘れものを取りにその場を去るという偶発時により神林しおりは久々の孤独を得る。

 読書は体験で、その読書をした環境もまた体験であり思い出である。
 より純粋な、書物の魅力に耽るならば環境という可変な要素は雑味であるかも知れないけれど。

 それだとしても、峻厳な世界を描く小説と、かじかむ手とを重ねてみる神林はその小説世界に浸り、一体化している。
 その瞬間の神林しおりは、読者と物語とが同化した純粋な存在のようにみえる。
 しかし、そこに差し伸べられ包む手は、神林しおりを現実に引き戻し、物語から引きはがし、その暖かさでもってしおりと文学との結合を融解させる手である。
 一時的にではあれ純粋な文学少女となっていた神林しおりの純潔が侵された瞬間でもある。

 その後の、表紙について熱く語るしおりに理解を示さないさわ子という構図もなんだか示唆的だ。

 読書というのは常に個的な体験であって、本を読んでいる最中の人々は常に孤独だ。
 純粋な読書というものは孤独でなければできない。
 例えば読書会のような感想の交換もまた豊かな体験ではあるけれど、そうして自分以外の感想とまざりあった感想は、純粋ではなくなるとも言える。
 無論その純粋に価値があるかどうかは別問題として。
「バスが来たよ!」という、帰路を指す一言でエピソードが終えられるのもなんだか象徴的ではないか。

 理解し合えないこと。共有の出来ないもの。そうした根本的とも言えるものを描いた様に思えるこのエピソードは、
 確かに冷たく寂しい出来事ではあるけれど、孤独というものがもつ価値もまた噛みしめねばならない。

・要するに純潔が汚されたエロいシーンだよねといいたい。


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ちくま文庫の表紙っていいよねー。と思いつつきょとんとしてた私を納得させるオチ。
 緩急もあって今巻で一番笑ったシーンになるかも。

この世界の片隅にを観たよという報告。

 まとまった感想とか言えねえよこんなもんというくらい感情移入してしまった作品なので。感想とか評論というよりかはただの観たよー報告です。
 断片的に思いつくまま書いていきます。


そのいち。選んだもの、選ばなかったもの、選べなかったもの。

 映画版のこの世界の片隅にですげー好感触を持ってしまったところがひとつあって。
 それは、すずさんの旦那さんである周作さんの女々しくも男子らしい部分であった。


 男らしいのに女々しい。表現が変な気はするけど女子に対して女々しいとは言わないので男子に女々しいというのは相応に正しいはず。
 バールのようなもの。という話はともかくとして。
 女々しいという言葉も男性本位な視点っぽく思える言葉だからあんまり好きじゃないんだけど、他に適した言葉が見付からないので続けて使う。


 周作さんは旦那として申し分なく優しい男性ではあるけれど、一方で煮えきれない女々しさもある。
 折に触れて「すずさんに選択権を与えず嫁としてもらってきた」ということに負い目を感じてるだろう部分があって、
 それと同時に「それでも自分に惚れてほしい・好いてほしい」という願望を隠せずにいる点である。


 黙ってオレについてこい。みたいな封建的男性像よりかはずっと好印象なのは確かなんだけど。
 その挙げ句に、水兵さんに女房を明け渡したりしてしまい、その後ずいぶん経ってすずさん当人から「夫婦いうのはそういうもんですか?」と怒りをぶつけられ「すずさんがわしにあんな顔をみせたことがあったか!? わしに怒ったことがあったか!?」と、幼なじみな二人の親密さに拗ねた末の行為だったと明かしてしまう女々しさ。
 自分が選んで連れてきた。相手に選択権を与えなかったという負い目。どっちが表かはわからないけど、その裏返しの、相手に自分を選んで欲しいという願望。
 そこからくる嫉妬や、義理に隠した自棄。それは作品を通じ長く尾を引いて色んなところで表層する。
 例えば、「わしは、すずさんを選んだこの現実が最良の選択じゃ思う」だったり、
「わしはあんたと夫婦になれて楽しかったで、あんたのいる家に帰れて嬉しかったで。あんたは違うんか! ここはよう知らん男の家のまんまか!?」だったり。


 一途なのだ。
 とにかく、すずさんに自分を選んだと言って欲しくて、その自信が欲しくて。
 ああ。ええ旦那さんや。すげえいいひとですよ周作さん。いやみんな知ってるだろうけど。すずさんといううわーちくしょーすげえーかーわーいーいー女性と所帯を持つに相応しい男性ですよ。




 主人公とは、お話の選択権を知ってか知らずか与えられた存在ともいえる。
 けれども、すずさんは何かを選んだだろうか。
 ぽやーとしているすずさんは、流されるままに流されるけれども、したたかさも併せ持っていて、持ち前の柔軟さで、懸命に順応していく。
 すずさんは何かを選んだだろうか?
「イヤだったら断ってしまえばいい」と言われたお見合いも、どっちかわからないとぼんやりしているうちに輿入れが決まる。
 広島の風景を絵に留めて「さようなら」と呟いても切符を買い損ねてもう一日広島に逗留する。
 幼なじみと再会しても「今はこんなにもあの人が憎い」と拒絶する。
 広島に帰ると周作さんに言っても、やっぱりここに置いてくださいと径子さんにすがる。
 あの人はここから離れられただろうか。家を壊してもらって、胸を張って別の土地にいけただろうか? と自問する。
 おさげを切り落として「連れて行ってください!」と懇願しても「いけん!!」と強くたしなめられる。


 選ばずにぼんやりしてたらいつのまにか決まっていたり。あるいは決めたつもりでも翻意にされたり。
 決定権を色んな形で逃し気味のすずさんだけど、自らの選択をどうしようもなく悔やむシーンがある。
 それは選択と言えたものだかどうだかわからないかすかなものだけど、それでも、自らの選択だと悔やむシーンがある。


 晴美さんとつないだ手が、右手でなかったら。


 書いててもうぼとぼと涙が出てくるけど。
 だってどうしようもなかったじゃん。
 どうしようもなかったじゃんかよお。もお、だって。選べるはずがないじゃないかそんなもの。


 それでもすずさんは自分の選択を悔やむ。
 繋いだのが右手でなかったら。もっと早く気付いていたら。 あの茂みに飛び込めていたなら。
 あのときの自分の居場所はどこだったろう。
 観ている側としてはそれはもう切実に、どうしようもなかったじゃないかと伝えたい。
 選択権なんてそこになかったじゃないか。 選びようがなかったじゃないか。


 本当にそうだろうか?


 この作品は日常を描いた作品である。
 どうしようもない世界規模の悲劇が起きたってそこには日常があるという話であり、日常の中にだってどうしようもない悲劇は怒るというお話でもあって、それでも日常は維持され続けるというお話でもあって。とにかく懇切丁寧に大事に、執念じみた情熱でもって日常というものが描かれた作品だ。
 だから、日常というものの残酷さだって描いている。


 玉音放送とともに戦争の終わった日、すずさんは何に気が付いたんだろう。
 何に気が付かずに、いっそ何も知らないまま死にたかったと怒り狂い涙を流した「何か」とは何だったのだろう。
「暴力でうちたちを従えていたということか!」という身を切るようなあの怒りは、何が故だったのだろう。


 径子さんは、なぜあのとき、晴美さんの名前を呼んで、一人泣いていたのだろう。
 それはたぶん、諦めていたのだ。
 そんなにも大事なものを失ってしまったのに、失ってしまったのも仕方がないと、諦めていたからだ。


 径子さんという小姑さんはとても強い女性である。
 何が強いかというと、何もかもを自分で選んで決めてきた女性だからだ。
 旦那を病気で亡くし、二人の店は戦時だからと取り壊され、息子は旦那方の親戚に取られ、娘は戦災に奪われた。
 思えばすさまじい来歴なのに。それを背負いながらも「自分で選んだ道だから悔いはない」とすずさんを励ましさえする。すずさんとはまったく対照的なひとだ。
 だから、同じ諦めるにしたって、理由もなく諦めたりなんかは絶対にしない。


 それなのに、戦争に負けたその日、娘の名前を叫びながら隠れて泣いていた。
 径子さんは何に気が付いたのか。何を理由に諦めていたのか。
 仕方がないと、諦めていたのだ。
 どう仕方がないと諦めていたのかはわからないけれど、おそらくは「戦時中だから」「こんな時代だから」
 だから「晴美さんがいなくなってしまったのも仕方がない」と。
 もっと有り体に、とても酷い言い方をすれば。「戦争に勝つためならば晴美さんを引き換えにしても仕方がない」と。


 径子さんがそんな選択をしたのだろうか?
 するはずねえじゃねえかばかやろう。
 事前にそんな要求をされたなら突っぱねたに違いない。知らぬ間に、気付かぬまに引き換えに連れさらわれたも同然だ。
 だけれど。
 あの慟哭は、径子さん自身がそれに気が付いてしまった叫びなのだと思う。
 日常と引き換えに晴美をあきらめてしまったと。諦めたということは、もう、そんな選択をしたも同然だったのだと。


 ずすさんが気づき、泣きながら怒り狂った何かの正体とはそれだ。
『日常』というものがどういう手段で守られていたか。
 日常を守るために何が引き換えに差し出されていたか。
 些細で、微笑ましく、ありふれていて、あんなにも、あるいはこんなにも愛おしい日常というものの正体が。正体という言い方が大げさならば、日常というものの持つひとつの側面がそれだったのだ。



 それを選んだのだろうか?
 選ばなかったからそうなったのだろうか?
 それとも選べなかったのだろうか?
 本当に?


 答えなんかでるはずねえじゃねえかよ。というのが正直なところではある。
 それとも、選んで選んで、自分で選んだ道だから仕方がないと言い、それでも泣いている径子さん相手に「選択の結果がそれだよね」だとか抜かせる人間がいるのだろうか。いるのならとりあえずぶん殴りたいけど。
 それでなくとも。この作品にはどこか、選択という行為そのものに疑問を投げかけている節がある。
 ぼんやりしているうちに、嫁に連れてこられたすずさん。
 選んできたと自負しながらも心が折れてしまう径子さん。
「過ぎたことも選ばなかったことも覚めた夢と同然じゃ」と語る周作さん。
 或いは、選択権という意味にほど近い、利き腕を失ってしまうすずさん。


 或いは。選んだこと、選ばなかったこと。
 選択という行為への疑問に、一つの回答のように、私にとっては救いのようにも思えるのがこのお話の最後にエピソードとして挿入される。
 広島にいた、母親を失ったみなしご。
 その母親は、左手で子と手を繋いでいた。右手ではなく。
 それを救いだと解釈してしまうのは私が捻くれているからだろうか。
 あのとき、晴美さんと繋いでいたのが左手だったとして。その結果に、もしかすると晴美さんと引き換えにすずさんが死んでしまったとしたならば、それは心に酷い傷を負った晴美さんがそこに残されたというだけなのではなかろうか。
 もちろんそれでも死んでしまうよりはマシだと言える。けれど。
 みなしごとともに描かれた、動かない母親にすがり、その母親に虫がたかるあの惨たらしい出来事にも似た悲劇が代わりに一つ増えるだけなのではあるまいか。
 そう思えば、もう、何が間違ってただとか、何をすべきだったとか、正しいとか正しくないとかそういう話ではなくなるような気がするのだ。
 それが自分が選んだ結果だろうとも、あるいは選び損ねたしっぺ返しだったりするかも知れないけれど……日常の正体とは、そういう話のようにも思えてくる。


 ならば、この映画がみせた日常の尊さとはなんなのだろう。
 たぶん、それの答えもこの映画は「すずさんのもつ強さ」という形で示してくれているように思う。たぶんだけど。


 それがすずさんの決めた作中唯一のことだったらばこの与太話もきれいに絞まるのだけど、残念ながらそうとは断言できない。それでも。
 母を失った子を抱いて、九つの嶺に守られているから九嶺というのだと由来を聞かせながら、呉へと帰っていくすずさん。
 その直前に周作さんに訊ねられる。「家を出て広島に所帯を持つか?」と。それに対して「いいえ。呉はうちが選んだ居場所ですけえ」と答える。
 それのもう少しだけ前に言っているのだ。

「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見付けてくれて」


 それは選択を受け容れる言葉であって。
 選んだものを、選ばなかったものを、選べなかったものを。もしかするとそれの無数の積み重ねかもしれない日常というものを肯定する言葉だ。
 そのときに初めて、すずさんというひとの強さを理解できた気がする。




 でもその強さは作中に常にすずさんの微笑ましさとして現れてるんだよねー小姑さんにいけず言われてもへこたれない素直さとかそういう形でさーとかこれ以上は蛇足に蛇足にょきにょきでしかない感じなんでこの項は終了。



そのに。この作品にあった透明な執念。


 最初に、文中のどこにも挟めそうにない個人的な体験を書いておくと。
 広島に原爆が投下されるシーン。この作品のとても象徴的なシーンだと思う。この世界にやたらと大きな出来事が起きた一瞬で、それもとても近いところで起きた出来事なのに、画面の中の人々は「……あれ? なんだろうね。今の」「光ったよね。なんか、気のせいじゃないよね?」くらいに、不思議げに不安げに顔を見合わせるばかりで、結局は、戦時下という独特な環境ながらもいつもどおりの日常に戻っていくというシーンだった。
 その一瞬の映像にはあの惨たらしい出来事を直接描くシーンはどこにもなかった。
 あくまでも「あれ? 通り雨でもくるんかな?」というのどかささえ感じさせる絵面だった。


 それなのに劇場中の観客のすすり泣きがすごかった。


 見え透いた予兆ではあるし、日本に生まれたからには折りに触れて散々覚え込まされる悲劇の起きた一瞬ではあるけれども。ちょっと怖いくらいだったよ。うめき声めいた嗚咽も聞こえたし、前の座席か後頭部の方からかも分からないくらい色んな方向で少なからぬ人がすすり泣いていた。
 おれも泣いてたんだけど。
 ちょっと希有な体験だったね。

 希有な体験ではあれども、日常の機微を、まるごと余さず描きつけたようなこの作品だからこその出来事だったようにも思う。




 感想を言いづらい映画ってあるよな。
 本当に大事なことは言葉に出来ないだとか、真の感動の前には言葉は無用だとか、そんな話ではなく。単にそういう性質を持つ作品てことである。
 じゃあどんな性質かというとこれもなかなか……なんと言ったものか困るんだけど。そういった類いの作品をいくつか思い浮かべてみれば……宮崎駿千と千尋だとか、ギレルモデルトロのパンズラビリンスとか……。
 そうやって思いついた、なんか感想を言いづらい作品とこの世界の片隅にとにむりやり共通項を探してみれば、えーと、なんかこう……世界を、ほい。と丸ごと渡されるような、渡されるだけのような作品群がそれである。


 こんなことがあったんだよ。と。
 世界をそのまま渡されたような映画。とかいう大袈裟な表現を使わず単なる実感で言うならそんな感じだろうか。


 こうの史代という作家のイメージはやはり「夕凪の街 桜の国」で形作られていて。
 大それたことに挑戦したもんだというのが印象として強い。
 戦争を経験してない人間が、戦争を極めて主観的に描いたお話だ。そう。主観的に、である。
 創作とはつくりごとだ。架空の物語というのはどこまでいっても嘘なのだという宿命がある。そして現実はかたくなだ。
 ヒロシマを舞台として創作をすると言うことは、ヒロシマを主題とした嘘をつくということだ。
 そしてその嘘は悲劇を誇張するでもない、「どんな悲劇が起きたって変わらないものがある」と叫ぶものであった。捻くれた受け取り方をすれば、悲劇なんて大したことじゃないとさえなる。
 そういう途方もない嘘をつくため、この作家はものすごく誠実になったに違いないと感じた。


 神性を保つには不可侵なものにしといた方がいい。目を伏せて、禁句にしといた方がいい。
 そんななかで、どこにだって日常はある。どんな状況でもひとは笑えると教えて貰えることの、なんと心強く、我々の後ろめたさを慰撫してくれることか。
 だがそんな慰めを、戦争を体験してない人間が口にしていいものか。
 そんな自問自答をこの作家先生はどれだけ繰り返したのだろう。自身の問いかけにどれだけ打ちのめされただろう。それへの答えはただ誠実に聞き学び調べること意外になかったのではなかろうか。
 そうまでして描きたいものがあって、そうして描き上げたものがこの作品だったのだ。
 どうあれ、とにかく私はこの 「夕凪の街 桜の国」 という作品を肯定したいと強烈に感じた。
 でなければ先に進めないような気がしたし、こうの史代という作家個人一人のその挑戦を賞賛したいし、何よりも作品そのものに心動かされたからだ。


 そのときの「おれはこの作品を肯定せねば」という独り合点な感情はだいぶ強烈に焼き付いてあって。
 オープニングに、コトリンゴの歌う「悲しくて悲しくて」が流れたときに。「この限りないむなしさの救いはないだろか」という歌詞を聴いたときに。
 ああ、これはそういう作品なのだと、観る側としての覚悟みたいなものはあった。


 執念のありどころ。というようなものを思う。
 映画に限らず諸作品は予備知識とかナシにみた方がなにかと都合がいい。
 けれども、視聴前に漏れ聞こえてきた評価に「4年がかりで描き上げたらしい」「クラウドファンディングで資金を募って」「監督は一日の食費100円の生活を続けてたとか」等々、執念を感じさせるエピソードが多く。無意識的にそこんとこへの期待があったかも知れない。
 感想を言いづらい映画があれば逆に言いやすい映画というのもあって、それらは監督の情熱が目に見える作品群のことだ。
 おれはこの映画でこういうものを表現したいんじゃうおおおおおおーという熱量が伝わってくるよな映画がそれで、抑えようとも溢れ出る熱意でフィルムを蒸着させたような作品に対してはぽんぽん感想が出てくる。それだけ作品としての意図を察しやすいからでもあるし。基本的に私はそういう作品を選り好みする。
 そんなだから、開始してからいつまでだかは少し拍子抜けのような印象があったと思う。
 それは見終わってからも続いた気がする。


 結論から先にいうと、監督の執念はこの作品を現実として現すことに費やされていたのではないか。というところに落ち着いた。
 日常というものがなぜ曖昧かというと、意識にとまらない些細な出来事の集積だからだ。
 自然とはもちろん不自然でなく、自然体であるということだ。人の創意が感じられては自然ではない。
 監督の情念はどこにあるんだろうと最初に感じたけれど、それはおそらく、この作品が自然であるために抑えられたのだ。
 この作品は日常を描くことに徹底している。これほどまでに日常を描くためには、既に過ぎ去った時代の空気を再現するためには、意識にとまらず忘れ去られる途方もない量の何事かに意識をとめて、いちいち気を配り、あの頃のあの呉を描くために必要なものを、厳選に厳選を重ねて、確かな筆致で描かなければならないはずだ。
 そこには膨大な思考が費やされたはずだ。
 それなのに、作品そのものにはそんな痕跡はなく、かろうじて感じられるのは徹底した無私だ。


 この監督が費やした情念は、そのほとんどを、この世界の片隅にという作品をこの世に、自然に、描くために、透明に燃やされた。
 それほどまでにこの世界の片隅にを「現実に」描きたかったのだろうか。
 なぜだろう。
 その理由もなんとなくわかる気がする。
 この世界の片隅に起きたその物語を、現実に起きたことだと観客に信じさせたく、そして監督本人もそう信じたかったからではなかろうか。


 予兆で劇場中がすすり泣いていた。というのは実際んとここの作品だからこそ行き会った出来事な気がする。
 大事なのは、目の前に起きた出来事ではなく、『予感』が心に突き刺さったという点だ。
 日常という形で、等身大という形で、強烈に感情移入を強いてくるこの作品に散々感情移入した今では、それも当然なことのように思う。


 これだけ愛おしい日常が、徹底して破壊されてしまう予兆に泣いたのか。
 すずさんという女性と、その近しい人々に起こるであろう災厄に泣いたのか。
 どれだけ日常を守ろうと立ち働いても、それを覆い尽くす出来事には無力なのだと思い知らされて泣いたのか。
 歴史上の事実であり、もはや不可避の行く末に他になすすべなく泣いたのか。


 ただ単に、日本に生まれたからには散々教え込まされる悲劇だから、もはやフラットな感情で観ることが出来なかったというのもあるとは思うけど。
 それでも、とにかく我々は、この強烈に、静かに暖かく、しかし速やかに感情移入を誘うこの物語の、目の前の日常がもはや他人事には思えず、そしてそれが壊されることを危惧して泣いたのだ。


 この作品から反戦的なメッセージを受け取りすぎると、見零すところが多いと思う。
 執念を感じさせる筆致で描かれた日常に、選りすぐられた日々の機微は、すべて架空の出来事で、それに現実感を与えるべく情熱と技巧の集結がこの作品だからである。極論すればヒロシマや戦時中の呉を舞台とした出来事でなくったって構わないはずだ。
 歴史的な知識や前提がなくたって、すずさんのあの日常や細やかな可愛らしさは万人共通で心を打つはずだと思う。
 だけれどもこの物語は、現実の出来事を敷き、この世界の片隅に絵空事の日常を描き足すことでこそ生まれ得る作品であることは違いない。
 この世界の片隅にこんな日常があったと信じたい、という信念や情念や……とにかく、そんなものが根底であり芯となっている作品だからである。


 どんな環境にあっても、日常はこんなにも強固だと信じたいのか。
 日常はこんなにも楽しいものだと信じたいのか。


 この世界の片隅にこんなことがあったかも知れないという物語であり、この世界の片隅にこんなことがあってもいいじゃないって物語でもあり、この世界の片隅にこんなことっだってあったに違いないって話なのだと思う。


 こうの史代先生がこのお話を描いたのは、こんな日常があったに違いないと信じていたからだろうし。
 それこそが、片渕須直監督の執念や情熱の拠り所だったのではなかろうか。
 とにかく、強烈に、こんな物語が、こんな日常が、この世に確かにあったのだと誰かに伝えたかったのではなかろうか。
 あるいは、これこそが創作の力なんだと、細やかな機微に共感し、起きてしまった悲劇と、その悲劇の予兆に涙腺を刺激される想像力と、それを惹起させる力こそがアニメーションもしくはつくりごとの力なのだと。
 そう信じたからこそ、それを証明したかったからこそなのではないだろうか。


 それを観た我々もまた感化されて思うのだ。この世界の片隅に起きたことは、この世界の片隅にもあるのだと。
 きっと、この世界の片隅に、すずさんは生きていたのだと。この世界の片隅に、すずさんは生きているのだと。
 そう信じたいからこそあんなに泣けたのではなかろうか(オレが)。こんなにも泣けるのではなかろうか(オレが)。
 この出来事はそれの端緒な気がするんだよね。



 そう思えばこそ、すずさんの呟いたあの一言がまた、強くて美しい言葉に思える。
「ありがとう。この世界の片隅に、うちを見付けてくれて」