戦車戦のこのへんが面白いよみたいな話。
おおざっぱに戦車のかわいらしい要点を述べて参りましたが、それの性能を発揮しあう戦車戦がかわいらしくならないはずがありません。
やはり兵器は戦場を走り回ってナンボ。そしてまた、戦車戦には戦車戦ならではの要素や駆け引きがどっさりあるのです。
ガルパンでもさすがのこだわりの描写で、初見ではわかりづらかったり意図のわからない戦車の所作にもいちいち根拠があったりします。たぶん。
しかしそれら魅力も一言で言い表すことができます。すなわちそれは
もどかしい。
これです。とにかくもどかしい。戦車戦 is もどかしい。
戦車対戦車という構図で産まれる戦車戦独自の要素って、要するに「戦車につきまとう厄介な特徴」てのばっかりな気がする。
あああああ頼むよそこで決めてくれよもおおおおおだとか、えええうまくいってたじゃんこれでもダメなのかよおおーだとか、あ、むりだわ。これ。無理無理。だとか。なんかそういうのが多い。
そうした膠着を突破してこその爽快感。カタルシス。そう表現することももちろんできます。
色々と細かい描写にこだわりの感じられるガルパンだからこそ、そのあたりの、戦車戦ならではの機微を察することができれば、勝負のアヤや展開の妙もなんとなく感じ取れて、ガルパンの複数回視聴にも深みと彩りがでてきたりするんじゃないでしょうか。
するといいな。
それでは、現実とフィクションの境目を区別する手段もなくそのへん順々に書いていきましょうか。
視界がせめェ。
いきなり映像作品ではオミットされがちな要素から攻めていきます。
戦車の視界の狭さを体感するには、霜の降りた早朝、車に乗る前に指で運転席前フロントガラスにスリットを作ってみるといいらしいですね。雪が積もってると装甲圧も再現できてモアベター。
まかりまちがってもそんな視界で運転したいとは思えない怖さを体験できるそうです。
とはいえ、装甲の前面にのぞき穴なんて付けちゃうと当然もろくなるんで、防弾ガラスで塞いでみたり、ガラスを組み合わせた潜望鏡(ペリスコープ)を装備が基本だったりと国や車種で様々。車種や国によってはこのペリスコープの出来が良いのもあったとか。
これは……射座の覘視孔……かな?(紹介してる割によくわかってない。
全天候型なんて望むべくもない限られた視界。それは運転手も砲撃手も同じこと。
なので運転手は基本「進め!」も「止まれ!」も進行方向の指示も戦車長に言われないとわかりづらいし、砲撃手も、方角を指示されなければ敵影の発見さえ覚束ない。
要するに、戦車長は目であり脳みそであるということ。どれだけ重要な立場かが察せます。
であればこそ戦車長は「みぽりん、危ないよ!?」と言われようとも身を乗り出して状況把握に勤めますし、そうして得た視覚情報で的確に迅速に指示を行う必要が出てくるわけです。
やはり戦車から身を乗り出すのはドイツ戦車がよく似合う。
実際にドイツの戦車長は身を乗り出しがちで、だからこそドイツは優秀な戦車長を多数輩出できたとも言われるし、一方でドイツはペリスコープの開発が遅れてたんでやむなくやってたという話もあるみたい。あと戦死率も高かったとか。
その他にも、ちょっと茂みに隠れられただけで索敵が困難になったり、欺瞞工作に弱くなったりとか。
そのへんの要素はしっかりガルパンのなかでも活かされてますな。
目と目があうー。
行進間射撃まじあたらねえ。
このへんはガルパンでも大事な要素として描かれています。
行進間射撃。文字通り、動いているあいだ(最中)に射撃すること。基本的に牽制目的のムダ撃ちと考えた方がいいくらい当たらない当たらない。
第一話の「大丈夫だよ。滅多に当たるものじゃないし」というのは「(行進間射撃だから)滅多に当たるものじゃない」て意味もあったんじゃないかな。そうでもないかな?
いや滅多に当たらないにしてもだな……。
考えてみれば確かに、まともに命中させるのが難しい要素がぽんぽん浮かびます。
射撃が手動で、角度も距離もそれぞれ暗算でやらなきゃならない点。そのうえで20kmなり30kmの速度で(場合によっては目標も)移動最中に撃つとか。
さらに移動最中の車体の揺れ。無限軌道で地をうがちキャタキャタピラピラと走ってりゃ車体はがくがく揺れるし、それに積まれた砲口だってぐらぐら。それでもって500mとか1000mとかいう距離に向かって放つのだから、誤差なんて勘定のしようがない。
なので、ギュッと制動し、かつ、慣性での車体の揺れが収まってから撃つのが基本。
逆に言えば「まともな砲撃は静止してないとできない」ってこと。これはなかなか大変なことで、停止という大きな隙を晒さなければ攻撃ができないという勝負のアヤが生じます。
だからこそ、相手に発見されてない状態での砲撃や待ち伏せなどが有効であり、
あるいは、至近距離のとにかく前に向かって撃てば当たる!! というシーンでの駆け引きが熱を帯びるわけです。
しかし誰もここまでやれとは(いいぞもっとやれ。
当たればいいってもんでもない。
当てるのが難しい。というお話の次にコレです。当たりゃいいってもんでもねえ。
ガルパンでもせっかく命中させたのにガインと装甲で弾かれる。そんなシーンが散見されますし、伝説の重戦車ティーガーと戦った量産型の代名詞なシャーマン乗りが「こちらの命中弾は簡単に砕け散った。まるでオレンジをぶつけてるようなもんだったよ」とか述懐してたりしましたな。
極端な例。
ガルパンだと白旗がスコンとあがるけど、現実における戦車への有効打とは装甲の貫徹。
分厚い鉄を貫き、穿った装甲そのものや砕けた砲弾が戦車内部を有り余る運動量でもって人員ごとめちゃくちゃにする。
あるいはエンジン部や弾薬庫に命中し大爆発炎上などなど戦車道が特殊なカーボンでコーティングされてて本当に良かったな……という有様。
どれだけ大砲に性能差があったとしても、装甲の貫通さえ果たせれば有効打になる。
というあたりも面白いポイントではありますが
それは装甲を貫けなけりゃどんだけ命中させても意味がない、というアヤも同時に生みます。
貫通さえされなければどうということはない。ならば装甲を増そう鉄板の厚さを増そう。
しかし厚くしすぎると重量に直接跳ね返ってきてしまい、速度が遅くなるとかならまだしも地面にめり込んでそもそも動けないなんてことになってしまいます。
よって、用意できるエンジン出力との兼ね合いや、大事な部分の装甲厚だけを増すこと等で妥協点を探ります。
この結果、たいていの戦車は「正面部分は重装甲」「側面の装甲は弱い……」「排気口とか外部に触れざるを得ないところは守りようがねえ」ということになりがち。
それにより「敵側面に回り込んで砲撃」や「敵車両と対峙するときは正面を向ける」などなど細かいテクニックが生じます。その他にも角度を付けて砲弾を受けることにより実質的な装甲圧を増すという通称「飯時の角度」など。
これは二次大戦中にドイツが戦車兵に配布したティーガーフィーベルという教本にも載ってる由緒正しい操縦法。
ほうら。ソーセージだって斜めに切った方が面積が増えるだろう?(わかりやすい。
要するに、11時や2時の角度で砲弾を受けましょうという戦術。
内容はティーガーの扱い方を婦女子に例えて教えるという「萌える戦車教本」みたいな。
そしてそれらは、ガルパンにおいて「戦車が停止している角度にさえ意味がある」という描写につながります。特に、皆が皆一定以上の経験を積んでいる劇場版だとその細かい描写は顕著。
避けるだけでなく弾くという選択肢もあるのが戦車戦の面白さといえるかも(中に入ってる兵隊さんは『釣り鐘の中にいるようだ』つってたまったもんじゃなかったそうだけど。
知っているひとなら誰もが「飯時の角度!!」と叫んだであろう絶好のシーン。
あと、貫通させる手段としては至近距離からぶっ放すという手段もありますな。
距離が離れていればそれだけ、貫通に必要な威力が運動エネルギーによって削がれてしまうわけで、逆に言えば至近距離でぶっ放せばそんだけ攻撃力が増すといえます。逆に相手からの反撃もまた怖くなる捨て身の戦法ではありますが。
しかも、そうやって懐に飛び込まないと勝負ができないような車両は、それだけでかい大砲を積む余力のない軽車両であることが多く、装甲もまた脆弱なはず。それを覚悟で敵に向かって突っ込むのは相応のくそ度胸もとい胆力が必要になるわけです。
みよ。この会長(ヘッツァーたん)の勇姿。
装甲以外の脆弱点もけっこーあるぞ!
構造上、どうしても潰しきれない弱点てのはあるもんで。それが必要上どうしようもないものである場合とか、単に設計上のミスだったりとか色々なんだけど。
例えばエンジンの廃熱部や車内の換気口なんかは外部と内部とをつながなきゃならないので脆くなりがちだし、
戦車によっては前面下部にエンジンを設置したせいでそこを集中的に射貫かれたり、燃料タンクの位置がわかりやすかったんで敵にそれを周知されたり、あるいは砲身の付け根、砲塔と車体の境目付近も、旋回させなければならないんでどうしてもウイークポイントが発生しがちだったり……。
このへんは戦車ごとに違ってくる特徴なので、戦車長にはそのへんの知識量も問われたりしそう。
シャーマンの装甲表示。http://gamemodels3d.com/worldoftanks/ より拝借。
他は戦車の底。底部。「そんなもん撃てることあんの?」という感じではあるけど、戦車は基本的に縦長いので、稜線を越えるときは丸々晒してしまう上に、砲門もお空を向いちゃうので牽制も不可能と、丘を跨ぎ越すのはそれなりに注意を払わなければならない場面だったらしい。
どっこいしょお。
あと、底も弱ければ天板も弱い。これまた「撃たれるもんなの?」というポイントだけど、こちらは、装甲に弾かれた砲弾が上に向かって跳ね返り、降ってきたものが運悪く突き刺さるというショットトラップて現象があったりもしたそうで。
他、内部からの覗き口となる貼視孔も弱点だったりするけど、ソ連で対戦車ライフルを持つ狙撃兵は比較的至近距離からここを撃ち抜くべく狙いを定めてたそうで、狙う側にしても狙われる側にしてもきんたまの縮み上がりそうな話。
装甲以外の話だと、どんなに重厚な戦車でも履帯を撃破されると動けなくなる。なんて脆弱なポイントもありますね。
実際、装甲を貫けない相手には有効ないやがらせだと思う。
……そういえば、履帯が破壊されても移動できなくなるだけといえば動けなくなるだけなんで、砲塔を動かして砲撃とかは全然できます。
修理すれば動けるんで、だから戦車道でも白旗はあがらないみたいだけど。
でも履帯が外れている最中に砲撃とか、そういうシーンないよね。あと履帯はずれた車体に追撃とかもしないし。
修理中は危険なんで追撃は反則+ただし修理中に攻撃するのもダメみたいな細かいルールがあったりするんかしら。
等々と、書いてみれば「言われなくても観てりゃわかるんじゃね」といった要素ばかりになったような気もしますが、あまり気にしないことにしつつまた次回。
戦車のここがかわいいよという話。
ガルパンの波及効果がめざましく。ファンとしてほんのりと喜ばしい次第ではあるだけど。
それとは別に「戦車かわいい……」「戦車まじかわいい」「戦車と散歩したい」「戦車を養子にとりたい」みたいな声が期待してたほどみられなくて首を傾げている昨今です。
なぜだろう。あんなにかわいいのに。
まあ。実際のとこ。感想はひとそれぞれ。それを個々人が文字とした際に「戦車カワイイ」の呟きが含まれてなかろうとも不思議がることはないのでしょうそう感じたか感じなかったかを問わずガルパン視聴者の深層心理にはもれなく無限軌道の残す轍がごとく「戦車かわいい」という感想は刻み込まれているはずだから。
口にせずとも当人にさえ気付かぬ心の底の奥深くにね? うん、わかってるわかってる。 実際んとこそんだけの力と熱量のこもった作品だと思うのだけども。
であればこそ、無意識下に潜り込んだ戦車カワイイ感情を呼び起こす助力をしたく思いこの文章をしたためる次第です。
ここがかわいいよ戦車。
といってもガルパンと同じく二次大戦中の戦車が中心のお話。
あと、こっから先に語る「ここが面白いよ戦車戦」と「ここがかわいいよガルパンの戦車編」との予備知識ととらえて頂ければ。
戦車という兵器は多くの矛盾や様々な感情を内包した兵器であります。
畏怖、信頼、蔑視、厄介、自負……など諸々諸々。まあ戦車に限らずたいていの兵器がそうかも知れないけど。
ともかくも戦車を、戦車をテーマとした作品に触れる度にその感情がない交ぜとなって、要するにこー、かわいらしく感じる不思議兵器な訳ですが、それを理解するのに肝要な点はおおむね一つ。
わりとポンコツ。
と、要するにここが一番大事なポイントです。ここだけ押さえておけばもうほとんどの戦車はかわいいです。
割とポンコツ。
命を預けなければならない兵器なのに、国の存亡を賭けた兵器であるのに、結構ポンコツい。
それもしょうがない部分はあります。
第一次世界大戦の最中に産まれ、戦争の常識を作り替えつつ、自らも進化し続けたのが戦車。
進化の余地があったってことはそんだけ未完成であり、実践にあたらなければわからないことも多く、改善すべき点や致命的な欠陥も各国の戦車各々が抱えておりました。
曰く、走攻守どれも万全な戦車だけど居住性が劣悪で人の乗ることが二の次三の次な戦車だったり。
曰く、戦場に顔を見せただけで敵兵が逃げ出すほどの無敵戦車だったけど生産性も燃費もメンテの手間もひどくて「これを作ったのが敗因だった」とまで言われたり。
曰く、よく燃えたり。
曰く、次世代の間に合わせのつもりで製造したのに様々な要素が絡み合って妙にたくさん生産されちゃったり。
曰く、突然変異のようなすげー優秀さだけど完成が遅れて船で輸送されてる最中に戦争が終わったり。
「そもそもまともに動けねぇ」というたいへんわかりやすいポンコツ例。
特に二次大戦中の戦車は(あるいは今の戦車もだろうけど)必ずと言っていいほどどっかに欠陥があった。
敵からしてみると恐怖の具現。しかし運用する当人には欠点も目をつむって命を預けなきゃなんない厄介者。
そういう虚実様々な逸話が各戦車にあります……そのいちいちがかわいくてねえ。そのあたりの話は後日としまして。
かたちが様々。
先のお国柄にも通じる話だけど、当時はまだ各国によって差の大きかった製鉄技術や工業的精密さによって、思想だけでなく実際の戦車の形状にも国ごとの不可避な特徴が現れたりします。溶接に優れたドイツは直線的なフォルムの戦車が多いし、ソ連は同じ戦車でも工廠ごとにフォルムが変わったりとか。
あるいは設計上の必然により「エンジンは後部に置いて守らなきゃなんないからなんか前につんのめったような形になった」とか「でっかい榴弾撃ちたいからって設計したら頭でっかちになった」とかの影響ももちろん如実に出ますし。あるいは、工業力が足りなくてリベット止めで間に合わせてたり……。
要するに、なぜそんな形になったのかという点にも合理的な、あるいは不可避の事情によるものなど様々な理由があるということ。
あと厳密には戦車じゃないけど、突撃砲や駆逐戦車みたいに砲塔をもたない戦車もあるわけで、それによってもまた見た目は大きく変わりますね-。
多砲塔に無砲塔の突撃砲。その奥に控える比較的普通の4号戦車ちゃん。
お国柄がでてて楽しい。
そりゃ国防機密の兵器だしね。技術協力や武器貸与などあれども大国たれば基本は独自技術による兵器を持ちたがります。
そこに「島国だし沿岸警備が中心になるならまず防御力でしょ」だの「大陸を走り回るんだから走行性は保証してもらわな」だの「戦争は物量だしウチの工業力活かして大量生産前提に設計すんべ」だの「え。戦車部隊とか作ってる暇も予算もないよ」と、基本思想の差違がのっかって国ごとの系統だった特徴が出てるのが面白いところ。
ガルパンが国別対抗みたいな物語の仕立て方になった所以もこのへんに求められると思います。きっと。
建築様式とか、服飾の模様なんかでも英国国旗な柄とかアメカジなスタイルとか、文字通りの国柄があったりするじゃん?
あれと同じかわいらしさが戦車にも求められる訳ですよ。
長いこと「戦車は快速と歩兵補助の二種類で」という思考を刷新できなかったイギリス戦車は鈍足重厚なのが多い。
マチルダⅡさんもその代表例。
アメリカさんの現代戦車エイブラムスは正式採用は30年前。しかも20年前に生産終了している。
にも関わらず、レストアによる使い回しと、優れた基礎設計を基に改良を続け今でも世界水準の性能を維持している……という大量生産による合理性は二次大戦中の米戦車からの伝統。っぽい。
ひとがたくさん乗ってる。
車両やお国の事情によりまたかわるけど、基本は4人から5人乗りなんかな。
3人乗りだと人員の少なさそのものが弱点にあげられたりもするくらい忙しいのが戦車戦。
そもそもエンジンと無限軌道で走り回り、かつてなかった速度でもって戦況をめまぐるしく引っかき回す元凶そのものが戦車で、しかも電子制御とかまだもうちょっとだけ遠い時代の話でしたから目視確認・指示・装填・操縦・砲撃・通信連絡と全部人力。
一人一人の責任が重大で、チームワークの求められる兵器が戦車。
なので、戦車長・兼・装填手・兼・砲撃手な桃ちゃんが多少ポンコツでも悪く言わないでやってくれ。
人がいれば関係がありドラマが産まれ、そして人間性能が戦車の性能そのものを引き上げます。
ついでに戦車の中で一週間も二週間も過ごさなきゃなんないこともあったそうで、チームの居住空間というか、家そのものでさえあり得た。
兵器でありながらコンパクトなおうちでもある。このかわいらしさ!
戦車映画なんかだと車内にずらずら靴下が干してあったり、エロピンナップや十字架がかけられてたりすることが多く雰囲気が出てたけど、あれらもなまじフィクションではなかったのだろうなーと想像する次第。
映像間の格差はともかく。
戦車乗りは兄弟。戦車乗りは家族。
ガルパンでもそのへんはこだわったポイントらしく、車内の資料集めに散々苦労した結果に専門家から「(車内に関しては)ガチで優れた一級映像資料」と評されるに至ったとかどうとか。
等々と。聞きかじりと思い込みで好き放題書き散らしましたが、この勢いのまま次回に続く。
XCOM Whose is that?
その銃には『It's mine』と刻まれていた。
それがどれだけXXXXことか、説明が必要だろう。
まずその銃は異様に高価である。といっても超国家的・超法規的組織であるXCOMにおいて通俗的な貨幣価値はあまり通用しない。地球を守る文字通りの正義の味方の行動が為替レートにより変動を受けたり、あまつさえ消耗品の購入も今なら米amazonで用立てた方がお得だなんぞと計算してる場合でもない。よって、諸々の手間を省くために組織内にて保有される資金的リソースはクレジットという単位で便宜上管理されていた。
だから、その銃が異様に高価だとしてもそのものずばりの値段を表現することはできない。ただ、多少は額面の想像が利くものと比較することはできる。
そちらの。コードネームでレイブンと呼ばれる戦闘機。地球上の、国家間の防衛機密などすべて棄却し、人類がこれまで積み上げてきたあらゆる航空力学と工学の粋を結集しあらゆる意味でのコストを度外視し製造される最新最強の空戦戦闘機。
これを一機用立てるのに必要な資金が40クレジットである。
先の銃の値段は200クレジットだ。
そのへんの都市銀行の一軒二軒をモノポリー気分で購入できる額面である。
とはいえこれが法外な価格なのかどうか判断は難しい。
その銃は、地球上ではまだ製造不可能な合金からなる、地球上の誰もが理解の及ばない動力で動く、人類がそれを手にするまでは未知のものであった威力を有した兵器であり、地球人類すべてをエイリアンの侵略から守るための実用品だ。一点ものという言葉さえ及ばない人類には製造不可能な銃である。正直にいえば兵器転用なんぞもったいない。その動力が解明できれば人類は原子力よりもはるかに高効率で後腐れのないエネルギーを入手できるだろうし、そしてそれだけの莫大なエネルギーを内包しうる強度と軽量さとを兼ね備えた合金はどれだけの応用が可能か、地球文明にどれだけの物質的な躍進を与えるか、想像するだけで目のくらむ品である。
だが。
人類は、人類を守る尖兵であり最後の砦であるXCOMは、それを一人の兵士の腕に託す。
持ち回りで。
何せ現在の人類では製造不可能な代物なのだ。
今現在、XCOMが保有しているこの銃は三丁ある。エイリアンから運良く無傷で奪取できた鹵獲品がまず一丁。そこから長い期間を経て、何とか修理めいたことのできた一丁と、粗悪な模造品一丁とを揃えることができた。よって、長くの間、この銃を所持できた兵士は部隊中ただ一人だった。
エイリアンと直接交戦する実働部隊は(人員の落命や補充など流動的ではあるが)約二〇名ほどで構成される。その中から、任務ごとに最大六名からなるアタックチームを編成し交戦を行う。
対エイリアンに限らず、長く戦場に身をやつす兵士が、己の得物を愛銃などと称し偏愛する傾向があるのは、何も彼らに特殊な性癖が宿るからではない。害敵の排除により直接的に己の命を守る手段となる武器に、信頼と親愛にも似た情を抱くのはむしろ自然な心理傾向といえる。対峙する敵が、なにもかも、あらゆる意味で人類を凌駕した存在ならばなおのことだ。より強力な武器を望むのもまた頷き得る心境だろう。
しかしどれだけエイリアンが脅威的であろうとも、担うべき人類の命運が重かろうとも、その銃は一丁だけだった。
そして、任務が通達されるまで誰がそれを所持するか判然としなかった。任務ごとに、アタックチーム内の人員の役割ごとに、司令官直々に適正と目された一人にのみその銃は所持を許可された。
実働部隊員。エイリアンと直接交戦を行う戦士達。人類総X〇億人の命運を守るという責務をたった十数人で、その中のほんの六名で分かち合う。これほどまでに失敗の許されない任務が他にあるだろうか。
故に彼らは、体力においても知力においても精神力においても、人類の到達しうる極点に手が届きうる人材であった。あるいは、知力的には多少遜色が認められてもそれを補いうる体力を有した人材であった。
その中の一人の誰が行ったのかは不詳なままだが、ある日、それは発見された。
莫大なエネルギーを人の抱えうる大きさに凝縮し、その圧力を押さえ得る硬度の合金からなるその銃に、擦過痕で文字が刻印されていたのだ。
It's mine
後の調査で硬貨によって付けられた傷だと判明した。
「これはオレの」である。
先に述べたとおり、長くただ一人しか装備できず、実戦にあたるまで誰に配備されるかわからない、人類には過ぎた威力を持ち、それ故に、地球上で最もそれを持つ者の命を守りうる武器であった。それを「自分のものだ」と称するのは率直な、しかし過ぎた本音であったかも知れない。
もちろんこれだけの短文なれば他に解釈も適う。例えば……エイリアンの有する未知の技術。それを人類が鹵獲し、解明し、やがて「人類のモノだ」と誇示してみせるという、外敵に立ち向かう気概の込められた刻印だったかも知れない。
しかし数日後にまた別の手により別のひっかき傷が付けられた。
It's mine
No! It's mine!!!
「ちがう! オレのだ!!!」である。
ご丁寧に先に書かれた文字にがりがりと訂正を引いた上で、力強い感嘆符まで付け足された。
資質と努力とにより、超人的な知力と体力とを有する、人類の可能性そのものを体現したかのような彼らである。その知性は凡人の想像の及ぶべくもないのかもしれず、彼らの交わすジョークもまたそれと同じことがいえるのかも知れない。
ひとたび銃口から熱線が放たれれば、その先にあるものは何もかも例外なく瞬時に融解するエネルギーが膨大な内圧とともに込められた銃である。仮の想像だが、それを膝の上に置いて、がりがりがりとコインでもって傷を付けるのだ。その心境たるや。少々想像を絶する。
もちろんこの銃に限らず兵器の類いは相応の管理下に置かれている。それら管理体制の責任問題にまで発展しそうな椿事ではあるが、何せ直接手にするであろう実働部隊連中の仕業となればその行為に及ぶ機会は少なからずあり、結果的にはうやむやになった。
……ん? ということは実際にエイリアンと交戦間近だとか真っ最中だとかに行われたということだろうか……いや……うーん。
その想像が少々恐ろしいものになる傷が、この後にもう一度だけ付けられる。
It's mine
No! It's mine!!!
Stated from the conclusion , it......
『結論から述べると、両者の主張ともに誤りであるよう感じられる。この銃は我々個人が所有するものではない。狭義には、実戦にあたり装備が許可される点からもわかるとおり、所有権は我らの属する組織にある。だが、私が両名に述べたいのはより広義の所有権である。この銃は誰のものか? 我々は、対エイリアンという目的のため、ひいては存亡の危機に立たされた同胞のため、あらゆる法と国家とを越えて集められた、人類の代表である。人類が持ちうるすべての力は我々に集い、そして我々はすべての人類のためその力を行使する。この銃は誰のものか? それを改めて問い、改めて答えるならばこれは、個人のものではない。人類すべてのものである。』
という旨の英文が刻まれた。ひっかき傷でである。長々と。
もちろん丁寧に先に刻まれた「オレの」「違う! オレの!」の両者の文字も改めて訂正が引かれている。
過ぎた本音に対する、過ぎたマジレスといったところだろうか。
己の命と、人類の命運とを賭して、エイリアンと交戦しながら、腕にはこのようなジョークともとれない文字の刻まれた銃を抱え、振り回すのだ。悪夢といえば悪夢だろうか。
ただ。
実際にエイリアンと立ち向かう実戦部隊がこの文字を眺めたならば、我々とは違う感想を抱くかもしれない。
ともあれ、誰の仕業かは判明しないままだが、ことさら犯人を捜す動きもなかった。あるいは、実働部隊連中には問わずもがなのことだったかも知れない。
口はばかる本音をあけすけに口にできるアイツ。それに冗談めいて乗るアイツ。それらを本気で受け取り誠実に返答してしまう冗談の通じないアイツ。
思えば個性的な行動ではある。
熱のこもった長文に感化されたのかどうなのか、その銃に四度目の傷がつくことはなかった。
それら文面は、過ぎた本音に、過ぎたマジレスだ。
XCOMは人類の擁する最強の尖兵にして最後の砦だ。一歩後退し、あるいは背後をみせれば、奴らエイリアンの飛来した、我ら人類が未だ知り得ぬ宇宙と同じく深い暗黒に呑まれ、その先は知れない。
無論、XCOMは実働部隊でのみ組織されるのではない。アタックチーム六名を支える作戦本部、技術者、研究員。あるいはその運営を支える出資者まで数えるならば相応の規模となる。だが、侵略を阻むにせよ反抗を試みるにせよ、彼ら実働部隊が踏みとどまり、踏み込んだ地点が人類に許された生存圏となるのだ。
エイリアンどもと交戦している間、全てを実働部隊が背負うのである。いわば、地球上の人類の命を、十数名で分かちあい、戦場に賭す。
その覚悟と、意思と、決意と、自負は、我々が想像するには余りある。
だから、彼らにとっては、そのようなマジレスによって今さら問われずとも既知であり、熟知のことだったと思われる。
『誰のものか? それを改めて問い、改めて答えるならば』
甲殻類を思わせる下半身に、蟻か蜂かに似た上半身にはもちろん獰悪な牙を持つ顎が備わっている。
それはクリサリドと渾名されたエイリアンである。
動体とみるや猛烈な突進を試みる攻撃衝動しか備わってないようなその行動原理は、悪いことに、強靱な外骨格に鎧われ耐久力に優れた体により合理的な戦術行動に仕立て上げられている。
何より恐るべきは口腔にある産卵管と、そこに繁殖するある種の細菌である。この細菌は宿主の意思を奪い、いわばゾンビに仕立てあげる。噛みつくことによりこの細菌で対象を犯し、それと同時に産卵を行う。この卵はすさまじい速度で宿主の肉体を食い破り、ものの数分で、成体となんら遜色のない姿にまで成長する。そうして瞬く間に数を殖やしながら侵略先にある生命体を駆逐する。
生物としては非合理な生態である。しかし兵器としては合理的だ。よってエイリアンにより遺伝子改造を施された生体兵器とする推論もある。
これに、部隊員の一人が殺害された。
形としては相討ちだった。エイリアンによるテロ行為下の救命活動の最中、死角から突撃してきたクリサリドの牙を受けながらも至近距離による射撃でこれを撃滅。しかし、彼は喉元に深く傷を受け、頸動脈より多量の血を吹きながら崩れ落ちた。
そして再び起き上がった。
部隊員の処置は速やかだった。
まるで脊椎反射のような、思考の分け入る隙さえなく、速やかに。
後方支援として射撃を行うべく長射程銃を構えていた二人の部隊員がほぼ同時に彼に対し監視射撃を、リアクションショットを行ったのである。
鮮やかなまでのその処置を可能にした所以はなんだっただろうか。
目前に現れた犠牲者により惹起させられた恐怖か。
人類の命運を背負う透徹された使命感か。
司令官による指示を下すため、研究材料として少しでも多く情報を得るため、彼らの交戦は詳細に映像記録が行われている。よって二人の部隊員の速やかな決断は多くの者が知るところであった。だが、それに対し彼ら本人に何かを尋ねた者は一人としていなかった。
あの状況下に選択しうる最適解を、可能な限りの迅速さで選び取ったその行為に対し、何かを問う必要もなかったのは確かである。
エイリアンとの交戦が行われ、これの制圧に成功した地帯には、交戦を行うのとはまた別の実働部隊が即座に派遣される。いうなれば回収部隊である。
エイリアンの所有する物品はたとえ破損した欠片でさえ人類には過ぎた研究材料だ。そしてエイリアン自身の肉片もである。それらを可能な限り回収し、必要であれば目撃者への情報統制を行い、また、死傷した民間人の遺体も献体として研究機関へ回すため彼らが回収を行う。無論、その意味では実働部隊の遺体も同じくである。 彼らは死して後も対エイリアンのため活用される。
そして、彼らの装備品もまた回収される。
これらは再利用可能である場合がほとんどである。
そうして、あの銃もまた、部隊員の手と手を渡り渡されてゆく。
もはや人の遺体とも見分けられぬ姿となった遺骸の、抜け殻のようにカラバスアーマーが転がるそばに横たわる銃を、回収部隊の一人が拾いあげながら、呟く。
It's mine
そうだな。やっぱり、コイツはお前のものじゃなかったな。
『誰のものか? それを改めて問い、改めて答えるならば』
――そう。あるいは、この命さえも。
八九式中戦車のしっぽがかわいいという話。
おれはおとこのなのにロボットの魅力がいまいちわかんないんだけど。
それをそのまんま放言すると傷付くひとがけっこーいるんだなということに最近気がつきましたがそれはともかくとして八九式中戦車のしっぽがカワイイという話をしたいと思います。
この部分。尻尾。カワイイ。なぜ八九式がアヒルさんチームなのか説明不要な可愛らしさ。
八九式というと、ガルパンを鈍色(というとても大事な色!)に彩る数多くの登場車両のなかでもたぶんブッチギリに最弱な戦車だろうけど。このかわいらしいパーツははっきゅんが最弱であることもまた象徴してたりする(はず。
正式には尾体(尾橇)と呼ばれる部位だそうで、塹壕を乗り越えやすくするための引っかかりとして付けられたのが主な目的だそうな。
塹壕ってのは戦場において即席籠城というか、弾丸を避けたり、それそのものを障害物にする為などに掘られる溝のことね。
塹壕越えの為に付けられた部分ってことは、戦車の誕生そのものに密接な関わりを持つ部位ということ。第一次世界大戦にまでさかのぼるお話になってきますが順を追ってお話をしていきますと。
戦争の歴史は兵器の歴史。新たな兵器が生まれることでそれの対策としてまた新たな戦術や兵器が生まれて戦場を塗り替えしあうイタチごっこ。
で。一次大戦をまずでっかく塗り替えたのは、大戦直前に大量生産が可能になった機関銃という存在だった。コイツがまず戦場を穴ぼこだらけにする。
弾痕で穴ぼこという意味でもあるけれど、当たれば即死な弾幕を途切れなく張れるマシンガンなんぞという兵器のせいで、その射線から逃れるためにもとにかく塹壕を掘らなきゃならなくなった。
今も昔も塹壕は防衛の基本ではあるけれど、ことに一次大戦は塹壕の戦争で、モグラの戦争なんて記述をどっかで読んだ気がするほどの勢い。
元々塹壕は弾丸だけでなく、騎馬の突撃なども防ぐ障害物みたいな意味合いもあったみたいだけど、それを乗り越えようとしたらマシンガンの雨が降ってくるのだから相性は最悪だ。
人だろうが馬だろうが人海戦術なんて無意味にダカダカダカダカと音が鳴れ鳴ればパタパタパタパタと人が死ぬ死ぬ死ぬ。
生身じゃ攻略なんてもうどうやったって無理。
だから、機関銃をはじける鋼板を、塹壕だの鉄条網だのをもりもり乗り越えて進める無限軌道に乗っけて突き進める兵器が生み出された。
それが菱形戦車ことマークⅠちゃん。
このフォルムでオスとメスが存在するってのがまたかわいいんだけどその話はおいといて。幾たびかの改修を経る必要はあったり、搭乗員の苦難だとかを置いとけば対塹壕戦において相当な効力を発揮したらしい。その威容は各国に影響を与えて同時進行的に開発が進む。その結果、「先陣切って要所に突き進むなら大砲があった方がよくね?」だの「敗走する敵を追うために騎馬と同等の速度がほしい」だの「指揮官のっけるなら回転砲塔があれば万全じゃね?」などの用兵上のニーズに十分応えうるポテンシャルを有していた戦車という兵器は、ただの塹壕突破兵器に留まらず、戦場の主役そのものへと変容していく。
というのが一次大戦付近のお話。ガルパンの登場車両は主に二次大戦なのでそこの話をしなきゃなりません。
で。機関銃の脅威が鉄の装甲と大砲とをエンジンに乗っけて突き進む「戦車というバケモノ」を生んだように、歴史の必然はこのバケモノを退治すべく兵器も産み落とします。
しかしてそれもまた戦車だった。
二次大戦下において、戦車の役割や性能は対戦車という形でシェイプアップされていく。
高速で移動できて、盾にもなり、陣容を破壊し敵兵を蹴散らし攻撃の先鞭ともなれる戦車はいうなれば防衛においても侵攻においても戦場の主役といえた。過言を承知でいうと、戦術や戦略という言葉はどうやって戦車を動かしてどうやって戦車を倒しどうやって戦車を活かすかという意味に取って代わられる部分さえあった。そうなるともう戦車誕生当初の目的であった「塹壕突破兵器」てのは二次的三次的な役目となっていた。
それもまあ当然の話ではある。戦争は人類の技術を猛烈に加速させるお祭り騒ぎでもある。
一次大戦で求められた役割なんてのは、それはもう恐ろしい勢いで古ぼけて化石じみた概念になるのも当たり前なのである。
ということでまとめると。塹壕突破用のパーツなんか持ってる八九式ちゃんはその化石じみた概念ということである(わー。
正確に言うと八九式中戦車ちゃんのあの尻尾はそのくらいの勢いでとっくに廃れた戦術を未だに引きずってる極めて前時代的な遺物のようなパーツであって。
あの尻尾ひとつで、八九式がどれだけ時代遅れな戦車なのかそのものを象徴しているといえるのである。
マジカワイイ。
尻尾てのは人類も進化のさなかになくしたものだよな。尾てい骨。
ついでに、オタマジャクシがカエルとして成熟するとしっぽがなくなったりするし、未だにしっぽを引きずってるのはそれこそ進化できてないというイメージそのままなのがなんだか面白いところだけど。
史実においてもあんまし意味なかったらしいねあの尻尾。荷物置きとしては便利だったって話があるけど。
そんなマジカワイイ尻尾だけど、プラウダ戦での「おっとっとぉ」てシーンではまさかの活躍をみせたよね。
そりがひしゃげてるのがおわかり頂けるでしょうか。健気さに涙出るね。
ガルパン劇場版のちいさめの感想。
- ネタバレに一切配慮しない最初から最後までを思い出せる限り思い出す細かな感想を垂れ流していきます。
- まあここまで書いておいてアレなんだけど制作意図として「劇場版は思いっきり荒唐無稽に行こう現実とか度外視して」て決定されててそのあたりあんま悩まず振り切ったて可能性ももちろんあるよね(おまえは今まで何を何のために書いてたんだ。
- でもまあ、フィクションとリアリティのバランスがガルパンというアニメで大事なのだと、それを確認できた劇場版でありました。
- そういや、フィクションとリアリティとのバランスって意味じゃ、だいぶ早い段階から「学園艦はちょっとやりすぎじゃね……?」てずっと思ってるんだけど。
- 他、全体的な感想としては、元々ガルパンですごい好きなシーンがある。それは戦車内からの視点、射座から目標へ照準を合わせるべく主観視点で描かれる場面だ。
- TVシリーズのおさらいから。OVA未見のひとへの配慮が少し窺える「ノリと勢いに翻弄されたり」て一言だけど
- それはそれとしてあんこうチームがもはや友情を逸脱して西住どののシンパと化してる感じがなんというか。
- 「イギリスにこんな格言があるのを知ってる?」というだけで笑えるからちょっとずるい。
- もっというなら紅茶に茶柱が浮かんだ時点でもう笑えるからちょっとずるい。
- 先にさんざん述べたとおり「劇場側が音量設定まちがえてるんじゃねえの」と疑わんばかりの砲音である。車内と外とで響き方が違うのがステキだけど、ダメージ表現て意味ではゴイーンて車体に着弾して響く感じの音がまたよかったね。爆音上映にいける連中がうらやましいよ。
- チハたん! ああああチハたんかわいいハチマキちょうかわいいでも新砲塔になっちゃうととれちゃうハチマキちょうかわいいあああ。
- しかも迷彩柄じゃないですか。TVシリーズだとコメンタリーで「かんべんしてください」とか言われてたらしい迷彩柄じゃないですか。
- 突撃が信条なのはわかったけど「バンザイ!!」と叫ばせなくてよかったんですかね。よかったと思うけど。
- いつか「バンザーイ!」つって突っ込むんじゃないかとはらはらしながらチハタンの活躍を見守ってたよ。
- 各校が各国にかぶれてるのを思うとチハタン学園は国粋主義だったりしそうで慎重に親交を結ぶ必要があったりしませんかね。
- チハタン学園のテーマ曲が雪の進軍なのは他になかったんですかネー大好きだけど。オーケストレーションで流れたのもうれしいけど。
- とはいえ愛くるしいスライムキャラなチハタンを擁する学園のテーマソングと思うと雪の進軍のへっぽこっぷりが相応しいのはそうだし……乏しいミリタリ知識で思い浮かぶほか候補曲というと……「おーとこーのなかのーおーとこーはみーんなじえーたいに入って花と散るー」とか……。
- ぽっこんぽっこん吹っ飛ぶチハタンだけど、単に戦車をキャラクターとして個性付けるとか、戦力差を覆すドラマとかじゃなくて、こんだけ簡単に吹っ飛ぶ戦車で迫力を演出できるんだからそういう意味でも登場する意味はあるよね。別にひどいこといってるつもりはないんだけど相当ひどいいいざまだな。
- 秋山殿は実はあんまし「あります!」ていわない。て話をどっかできいたけどその代わりを務めるような「あります!」キャラだな。
- うおおおリベットが多角形だ。
- ぬるぬる避けるチハタン学園隊長車だけど吶喊さえしなければ相応の実力者なのでは。
- カチューシャロシア語しゃべれないんかーい。カチューシャの耳に入れたくない話題はロシア語でとかマジ保護者ぽくていいですね?
- 「聖グロリアーナは例え車内でも一滴も紅茶をこぼさないの」とか隊長がいってたのに交戦が終わる頃には一口分も残ってなさげなローズヒップかわいい。
- 「挑発に乗らずフラッグ車だけ狙って!」て指示いいよね。TVシリーズだとおおむねそれが理由で負けた高校がほとんどだったし。
- それだけ大洗の基礎戦術が研究されたってことでもあるだろうけど。
- 作中でトップクラスにお気に入りのシーンがいきなりくるんだけど「重量差があるので気にせず突っ込んでください!」てシーン。
- 戦車の重さと、その重量差と、鉄塊同士のぶつかりあいという魅力を存分にだせたステキシーンだと思う。ぎゃりりりりという耳障りな擦過音もいいよねー。
- TVシリーズ最終回の誓い『目指せ重戦車キラー!』がさっそく挫ける瞬間。
- サキちゃんてアズサちゃんに懐いてるのかね。アンツィオ戦でもなんでか一緒に偵察にでてたし。
- 面倒見よさげな隊長ことアズサちゃんがしょっちゅうかまってるだけな気もするけど。
- モールを爆走する戦車……おかしいな。おれの記憶の中だと、序盤の市街戦はその後の荒唐無稽な戦車戦を控えてシブめな展開を基調とした交戦だったような記憶があるんだけど……。
- 眼鏡のぶつかった看板、WoTのじゃなかった?
- 40t制限。て標識に笑う。
- 折れて倒れた信号機をはじき飛ばすとか、イイ。ステキ。ほんといい。スバラシイ。戦車とは、市街戦とは、劇場版とはこういうことですよ。
- TV版を何度か見返した人間にならわかる「あ。この路地は」という展開。
今作最大規模の「え。死ぬんじゃね」という大爆発炎上っぷりだけど、そこで「ウチの店が! ひゃっほー!!」と歓喜してみせるのは、戦車道ってこういうもんですよという説明をなるべく早めに開陳しておくという演出意図がある気がする。
- 他の建築物なら「新しく立て直せてひゃっほー」だろうけど、歴史的建造物である神社仏閣を犠牲になるかも知れない舞台にするのはどうかと……。
- でも手を合わせるノンナで許せた。
- 海岸線にあの鉄杭がごろごろ転がってるとノルマンディーっぽさがすごいよねプライベートライアン。
- WoTの話なんだけど、全速力で丘陵を乗り越えてジャンプしたみたいになっちゃうと着地の衝撃で履帯にダメージがいったりするんだけどガルパン世界じゃそのへん大丈夫なんスかね。
- 最初の市街戦は大洗含めて各チームの成長具合を説明する意図もあると思うんだけど、そのなかでもカバさんチームのナポリターンいいよね。
カバさんチームというか三突はこれまでにも散々「回転砲塔が欲しい!」つってたけど(最終戦でM3を助けているシーンで、牽制にみなが黒森峰へ砲撃している最中の「このときほど回転砲塔が欲しいと思ったことはない……!」てのはお気に入りの台詞の一つだ)その欠点を克服すべく工夫がみてとれる。
-
- まあ結果はともかく。
- 稜線を越えるときが戦車がいちばん注意しなきゃなんない瞬間て理屈で砂浜からの上がり口を確保される緊張感いいですね。
- そこをフラッグ車みずから突っ込んで捨て身のおとりで状況を打開と。きっちり意図を汲んでみなで突撃する大洗もいいですね。
- 上をとった聖グロプラウダ連合も実は俯角がとれなくて優位ではあれにらみ合いの膠着状態て状況だったりはしないだろうか。
- カチューシャて勝ち方を選ぶ悪癖さえなければ優れた指揮官になれそうだよな。TVシリーズでの交戦も「あえて包囲の甘い箇所を作ってそちらに誘導する」とか、装甲で勝ってる戦力としてはかなり最適解ぽい戦術を選んでたし。
- フラッグ車の盾になって砲撃を誘発し差し違えて勝ちーて必勝パターンもいいし「おねがいね?」て一言で以心伝心もいい。
- しかしこれだけ市街をぐるぐる走り回れたら、また新たな聖地巡礼先になっただろうし、何度も大洗巡礼で「ガルパンさん」になってるひとはより楽しめただろう。粋なサービスと言える。
- 戦車道がどういう競技かを示す意味でも、よくできた試合展開と決着だったように思います。
- 入浴シーンまで劇場版スケール。
- 「説明は彼女から受けてください」つって、文科省のひとの背中に表情を押し隠した表情で立ちすくむ会長のシーン。
- 真っ正直に告白しますとものすごいエロいシーンだと感じてます。ものすごいエロい気がします。エロいよな。エロいよね? え? 何がエロいか説明しないとダメ?
- 「そんな! 元々の約束でも3月の解体だったじゃないですか!」「それでは遅すぎるということらしい。8月までだってさ」「なんで繰り上がるんだああー」
……おれのカンだと、次シーズンもまた今の年度で今の学年で今の登場人物を維持したまま話を進めたいんで徒に時間を進めたくないから、というオトナ都合が裏にあるからではないかと思うんだが、どうか。
-
- あったらいいな。あってくれてほしいな。
- 大洗でなくともどこでもやっていけそうな自動車部ことレオポンチームもそれなりにショックを受けてるのがちょっと意外ではある。
- でも、もう存在しなくなるコースの走り納めって独特の感傷がありそうではある。
- ところでばりばり運転してるのは「私有地なら=学園内なら免許不要で運転OK」みたいなアレですかね。
- バレー部は参戦チームのなかでも強い目的意識があるからショックも相応だろうけど、逆に、そんだけバレーに執着しているなら転校すりゃそこでバレーできるみたいな思考にはならんのじゃろか。
- この四人でもう一度バレーやりたいとかそんな感じなんかな。
- ところで、タッパの求められるバレーという球技で、あからさまにいちばんちっこいのがリーダー張ってるってのがいいよね。
- どうにもならない不利を努力と根性で覆すことがもはや日常なのか、そうした彼女らが登場するのが作中ぶっちぎりの最弱車両八九式てのがまた。
- あと他校との対話時にいちばん敬語というか丁寧語がしっかりしてるのがバレー部だったと思うけど、それは体育会系だからってことでいいんですかね。
- ゴモ代とパゾ美のどっちかはわかんないけど、どっちかは操縦士でちょっと気弱なところがある風紀委員として描かれてはいたけど、もう片っぽは発言機会に恵まれずどんなコかわかんなかった。けどこんなコだったんですね「冗談だから本気にしないでね」
- 何にせよ校門に立てかけられたバールをみた瞬間からおれのなかの風紀委員の株がうなぎのぼりだ。
- 風紀委員の仕事が遅刻の取り締まりしかなさげないいざまだけど……実際そうなんかも。少なくとも大洗って服装規定はそうとうユルいよねとすぐ隣にいる歴女チームをみながら。
- 風紀委員チームことカモさんチームはプラウダ戦からの参加だったけど、即戦力っぷりが印象的だったね。
- しんがりを勤めての冷静な敵車両の把握と伝達。命令には忠実なあたり、集団戦闘の一員としての才覚は確かにあったのだろう。
- 彼女らに参戦するよう声をかけてたのは会長だったけど、その真意が知りたい。
- 「私たちが一年生じゃなくなっちゃったら一体どうなっちゃうの!?」ほんとノリとその場の雰囲気だけで生きてるよねこのコら。
- ウサギさんチームがウサギさんの世話してる。
- にー。
- にー。
- これが劇場版でなく家庭での再生だったらばこの「にー」を何度リプレイしたかわかったもんじゃないのだぜ。
- にー。
- いっつも丁寧口調な秋山殿の、母ちゃんに向けた「うん」がすごくかわいい。ちょっと異様にかわいい。
- 家庭の都合で大好きな戦車道のある高校に進学できず、大好きな戦車道のせいで友達が出来なかった秋山殿にとって、大洗が戦車道を復活させてからの今までは一発逆転で相当に幸福な環境だったのではあるまいか。そこから再度の急転直下である。
- そう思うと、母親から「大丈夫よ。ね?」「……うん」というやりとりの重さが重い。
- そういや、ちょっと期待したんだけどサークルKサンクス従業員劇場版もとい秋山スパイ大作戦劇場版なかったね。まあ相手が大学選抜だしな。
- 今作航空機が割といい具合に出張ってきてるけどコメンタリー芸人こと岡部いさく先生へのサービスだったりするんだろうか。
- サンダース校のロゴが世界的なレスキュー部隊であるアレっぽく。こないだたまたま新作をみかけたんだけど作品の是非は置いといてやっぱマリオネーションから3DCGになると損なってしまう魅力はどうしても出てきちゃう感じがしたなあ。
- 学園艦から退艦して整列中。
- 出航の汽笛(?)にみなよりも一瞬早く反応する生徒会チームにおれの涙腺も反応します。
- 一年生と言うことで(艦のうえの生まれでなければ)一番愛着の薄いであろう一年生チームがいちばん感情をあらわにしてるけど、たぶんなんかそういう雰囲気だからっつって自発的に流された部分があるよねこのコら。
- さらりと校長室らしき如何にも偉い人のっぽい部屋を私物化して寛いでる会長マジ生まれながらにして人々の上に立つことが定められた傑物。
- 会長への心酔っぷりがすごいモモちゃんだけど、会長はとにかく偉くてすごくて正しい人という認識が強く、だからその手先であり直轄にある自分も偉いーみたいな思考パターンがあるのではなかろーか。
- 放送室に三人固まって寝てる風紀委員チームかわいい。
- やさぐれてはみるものの思いつくことがとりあえず夜のコンビニで買い食いというレベルにとどまる風紀委員チームかわいい。
- 劇場版の音響効果でキュウリをかじる「こりこりこりこりこり」を思うさま客席に響かせる風紀委員チームかわいい。
- 今作におけるキャラ萌え要素はほんとほとんど風紀委員チームに持って行かれてしまった。
- 大洗がもうちょっと服装規定に厳格な高校であったらばスカートを異様に長くしてケバめの化粧をしてうんこずわりした風紀委員をみれたのだろうか。
- 「まさかコンビニにまで戦車で行くようになるなんて……」
- この数分後に幼女が戦車で田舎道を乗り回す画が入るんですけどね?
- そういや現実の戦車って動かすのになんか免許いるんかな。要らんはずがないだろうけど。
- 公道ってことで戦車を動かすための免許がいるあたり、先のレオポンチームがドリフト決めてたのはやっぱ私道だから免許不要なんですよと言うエクスキューズにもなってるんだろうか。
- 「止まってください!」「このまままっすぐ後退してください!」と私生活でも指示が戦車戦やってるときと変わらないあたり西住どのの萌え要素だと思うんですよ。
- アンデスチャッキーを思い出すボコのテーマ。アレもまあ元ネタはあるんだろうけど。
- そういやボコられグマって監督肝いりのオリジナルキャラなんだっけ。
- ボコられてる熊のテーマパークだからボロい内装にしてるのかと思ったけどそういう話でもないのか。
- テーマパークの廃墟っぽくデザインしたテーマパークとかあれば絶対行ってみるんだけどなー。
- 「せっかくみぽりんが譲ってあげてるのにお礼も言わないなんて!」て台詞の女子グループっぽさ。
- そういやー、それぞれに家庭事情が描かれてるあんこうチームだけど、ゼクシィ武部の両親だけは出てきてないまんまだよね。
- 高校で一人暮らしだからと言うのもあるだろうけど。なんかの伏線だったりしませんかね。しませんかね。
- 西住どの帰還する。
- 西住姉が愛犬にどんな名前付けてるのか知りたい。
- 西住どのの部屋にかけられた、きっちりクリーニングされてるであろう黒森峰のパンツァージャケットが、実は黒森峰に帰ってくるのを待ってた感じがして好きなんですよ。
- 夏休みと、入道雲と、畦道と、お姉ちゃんと、Ⅱ号戦車。
- いいシーンだと思うんだけど脚本意図の不明っぷりもちょい感じる。
- 高校連合vs大学選抜はいうなれば西住姉妹vs島田流という構図だったし、西住母の後援もあっての実現ではあった。
- その展開を思えばもうちょっと姉妹愛というか、「西住流とはまた別に、みほが見出した自分の戦車道のその先」みたいなテーマが最初に設けたけど、それが次第にぶれてったんじゃなかろうかとか疑ってしまう。
- うるせえ幼女とⅡ号戦車という組み合わせの前じゃそんな小理屈無効じゃ。
- 要するに、あのこれ描きたかっただけですよねという感じがすごくて、あのその、ありがとうございます。
- とか思ってたけどそういえばこんな設定が遙か以前からあったね。なんか泣けるね。
- それはいいんだけどお姉ちゃん推定小学生で戦車運転してるけどどうなんつい先ほど戦車免許って話がでたばっかだけど。
- 法律で軽戦車と規定される戦車は免許不要で乗れるよ説。
- 西住流家元は富豪だからあのへんもぜんぶ西住さんちの敷地内だよ説。
- おねーちゃんとこっそり大人の目を盗んで運転してたよ説。
- なんか登場するたびに違う乗り物でやってきてんなこの自衛隊員。
- コメンタリーの方で「自衛隊員が高校生に戦車指導しにこないだろう。という突っ込みがあったが、まあ、会長のコネで個人的に便宜を図ってくれていると言うことで」みたいな話をしてたけど、それが補強されてるような展開である。
- 蝶野さんは蝶野さんで腹に一物抱えてそうな人材ではあるよな。単に会長とのコネで色々手を回してくれてるというよりも、戦車道の振興で自身の政治的地盤を固めたいとかなんかそういう会長との利害の一致がありそう。
- 単に酔狂なだけ説もアリ。
- そもそも文科省的に学園艦つぶすことのメリットってどのぐらいなのかしらね。まあ維持費がすごそうなのは事実だが。事業仕分けは色々悪夢だったよね。
- 「戦車道に偶然などありません!!」という西住ママの啖呵は家元としての誇りでしょうか。それとも
「ウチの娘がキバってぶんどった旗をマグレだたァてめえたいしたいいざまじゃねえか」みたいな反発もあったんでしょうか。
まあ自分とこの娘と娘がドンパチして片っぽが負けて片っぽが勝ってるんだけど。
- 西住流のメンツぶっつぶしてやる気満々な島田ママいいですね。
「島田流家元にもお話を通しておこうと思いまして」てのは「お前が泥塗りたくてしょうがねえこっちの看板賭けて勝負しにいってやんだから余計な水差すんじゃねえぞ」みたいな釘の刺し方でしょうか。
- 受話器でけえ。
- そういやドゥーチェあたりがOVAで「西住流だろうが島田流だろうが!」つってたっけ。
- 会長室(仮)に戦車道の優勝旗きっちり持ってきてるのちょっと泣けない?
- 二宮鮟鱇像はいいけどなんでそこに光ともすねん。何のギミックやねん。ああこれなら暗くなっても本を読むのに便利やわーってやかましいわ。
- 鳥居みたいなのが連なってその下に茂みがこんもりって、すごいモデルになった土地のありそうな風景。
- 「歩みをとめたら道はなくなってしまうんです!」て台詞だけどTVシリーズ開始当初で「戦車道」て言葉がこれほど作中のテーマとの美しい一致をみせることになろうとは誰が思ったろう。
- ただ「戦車は火砕流のなかだって進めるんです!」て台詞にはさすがに目が点になった。
- あんまりにも驚いたんでそういう事例でもあるんかと後で調べたら、こないだの御嶽山の噴火に装甲車が出動してたりはしたらしい。
- 一年生チームはこのまんま戦争映画オタとしての道を歩んでいくんでしょうか。
- 戦略大作戦みてたときの絵面は「え。泣くような映画……?」て突っ込みがはいってたけど、今作のは微妙げな表情してたな。
- いざ戦車戦が始まるとうおーうっひょーうおーうっひょーという連続なんで細かい感想はかえって差し挟めなくなるけども。
- 横のつながりの強い高校戦車道だけど。
その横のつながりがかえって、戦車道という競技が膠着していたことを示しているような気もする。
だから、そこに現れて散々暴れて風穴をあけてった大洗というチームに興味と助力とが集まったーという側面あるのではなかろうか。
例えるならもうブームが過ぎて懐ゲー扱いされてる格ゲの大会にニューフェイスが出てきて優勝とってって諸先輩方の注目を集めて全国大会への旅費をカンパしてもらうみたいな。
-
- 招集したのは聖グロのダージリンっぽいけど、公式戦では大洗とやってないのを差し引いても唯一大洗に負けたことのない彼女がいちばん大洗を評価してるっぽいってのはなんか面白いね。
- 各校のテーマ曲のメドレーなシーンは単純に興奮できるね。3D効果も音響効果も音楽も、どれもほんとにいい仕事してる作品だと思う。
- まほおねーちゃんはなんか短期転校でなくそのまんま大洗に定住しそうな勢いがありませんか。
- アンツィオはなんでCV33なの。なんで必殺秘密兵器のP40じゃないの。
- 「どうせ聖グロはチャーチルだしプラウダはスターリンだろう。今更ウチのP40がいっても重戦車は余ってるそれならせめてCV33で偵察役を率先してこなそう」「しょっぱいスねー姉さん」
- 「寝過ごした! 急げまた間に合わなくなるぞ!」「そんなこといったって姉さん今からP40運んでたら遅刻確定っスよ」「ええいじゃあCV33だけでもいいとにかく急げ!」
- チーム名やら作戦名やらで色々喧々囂々するシーンはああこのひとたち本国のひとじゃなくてあくまでかぶれてるだけだったねて設定が強く思い起こせていいですね。
- 30輛ならんで進んでるシーン。俯瞰がズームになって画面に表示される車両数が少なくなったら急にFPSあがってちょっとわらった。無茶しやがって。
- 連合寄せ集めのでこぼこっぷりと、大学選抜の大半がチャーフィーで占められた整然っぷりがいい対比ではある。
- カチューシャ「ふん。ほんとはアンタ、妹のこと信用してないんじゃないの?」
西住姉「崇拝と信頼は違う」
カチューシャ「ぐぬぬ」
秋山「ぐぬぬ」
モモちゃん「ぐぬぬ」
- 高校連合の「ドン」「ズドン」「パン」「ドーン」みたいな一斉射撃に比べて大学選抜の「ずどどどどどどどん」みたいな斉射という絵面が練度の違いを一発で実感できて地味にだけどすごい好き。
- アメリカさんの戦車は身を乗り出して肉眼で確認するんじゃなくて潜望鏡みたいなやつで確認できるんですね。さすが合理主義の国。
- 自走臼砲の登場はうおおーすげえーよくやってくれたーではあるけど、それの退治はちょっと荒唐無稽すぎて微妙と言えば微妙に感じるシーン。
- オープントップつってるからもうちょい遠くからの射撃でも撃破できたんじゃないんですかねとかも思うけどどうなんだろう。
- 後々の試合に「あーもーなんで戦車道なのに自走砲とか出てくんのよなんで認可されてんのよー」「なんかさ昔、政治的な色々で無理矢理認可されたらしいよ」「迷惑な話だよねー」とか禍根を残しそうな話ではある。
- 会長がかっこいいからそれでいいや。
- ところで干し芋パスタっておいしいんですかね。まあ会長の手料理がおいしくないはずないけど(信仰。
- 急に出てきた継続高校が思うさま暴れるシーン、という点でもちょっと微妙に感じるシーンではある。
- どんな戦車でどんな戦術かわからない戦車が無双しててもあんま感動できないという意味では、逆にこの作品がいかに戦車をキャラクターとして活躍させていられるかの証明しているようにも思う。
- そもそもどこの国なんだろうとか、なにあのちっこいKV-2みたいな戦車。とか全然わかんなかったんで視聴後に調べてみたらフィンランドなのねなるほど。
- そういえば高校生だけど。それなりに深刻な中二病ぽいな。
- でもちっこいKV-2みたいなあの戦車の立ち回りはしぶくてかっこよかったですね。橋桁を旋回から急停止、逆旋回で出し抜いたり。
履帯が外れてからの爆走も「ミーティアシステムをなめんなよー!!」つってそれとなくそういう特殊な機構なんですと説明する脚本に意図もにくい。
- プラウダ勢の別れのシーンは正直笑うところだと思ってるんだけどどうよ。まあ別に死にはしないんですけどねみたいなやつ。
- あの後の二人の会話で
「まったく。ここまで言ってお尻を叩かないと動かないんですから」「ええ、ほんとに」
「でも、優れた指導者になれる、という部分は本心です」「ええ、ほんとに」みたいな会話がありそうな。
- 鑑賞後のスタッフロールで初めて気がついたけど、中の人がジェーニャさんだったんですねプラウダの新キャラ。
(モバマス方面でちょっと耳目を集めたことがあったので名前を覚えてた)
メタ的な視点だけど、声優になりてーつって日本にやってきたロシアのねーちゃんが、ロシア人の役に抜擢されて、日本語で「あなたと共に戦えたことを光栄に思います」て台詞をいうのってなんかドラマチックやね。
- 東北なまりのコらがKV-2の乗員だったんやね。狭い道に立ちふさがって封鎖・足止めは街道の巨人としては相応しい用途ではある。
側近の二人に比べて「なんかちっこい割にいばりんぼな隊長さん」というイメージのギャップが階級差を感じさせてほほえましい。
- 砲威力的にもうちょっと敵対車両を撃破できてもよかったんじゃねと思うけど、たしか弾頭だけでも50kgを超えてさらに別に薬莢まででかいという砲弾を、女子高生が扱えるレベルにまで落としてたりして威力が控えめだったり?
- 全面的に妹の提案を支持する西住姉だけど、単に妹かわいやのみではなく、
西住流家元の後継者として、妹が選んだそれとは違う道がどんなもんなのかもっとみせてほしいみたいな気持ちもあるんじゃないでしょうか。
- ちょっと思ったけど、西住姉的にはここで大洗がなくなっちゃった方が(手助けしない方が)妹の帰ってくる可能性があったって話でもあるよな。
例えその可能性をなくしてでも、妹が戦車道を続けてくれる方が嬉しいーみたいな気持ちもあったんでしょうか。どうなんでしょうか。
- それはTVシリーズの決勝でも同じことで、実は「この決勝で勝てばみほが帰ってくるかもしれない」みたいな心情だったりもしたんでしょうか。
- ジェットコースターのレールにのっかるCV33。誰も煙となんとかは高いところにのぼるみたいな話を持ち出さない優しさ。
- なんかもう戦車道というよりもWorld of Tanks Animation THE MOVIEみたいな展開。
- WoTに遊園地ステージとかないけど。ないなら追加はどうですかね?
- 戦術とかよりも云々よりも交戦の技術をかわれて「頼まれてくれるか」て言われて笑顔になるえーと名前なんだっけの黒森峰の副官可愛い。
- こういうちょっと地味めなシーンでもさー。きっちり傾斜つくって昼飯の角度で砲弾を受ける細かさがあるから見応えあるよねー。
- そういや一両一両丁寧に撃破シーン描いてくれてるよね。敵対車両含めて知らんまにやられてたみたいなの一つもないんじゃなかろうか。
- 戦車ってあんなにどっぷり水に浸かっても動かせるものなの?
- 観覧車で敵機撃破が入らなかったのは脚本的な良心を感じる。
- ツァーリタンクもパンジャンドラムもどっちも大失敗兵器じゃないですかー。
- マカロニ作戦ツヴァイ。
待ち伏せや籠城でどかーんというのが三突の基本だから、かなり合理的な策であるようにも思う。しかし策を弄しすぎて策におぼれるあたりが如何にも歴女チームではある。
- あんだけ修練を積んだバレー部チームに一発勝負であれだけ動きを合わせられるチハタン学園はやはり吶喊さえしなければ相当な練度なのでは。
- 戦車ゲーとして想起させられるものがWoTばっかなのがちょっと寂しいかもなーとか思っていたおれにすごくよしな迷路戦というか平安京エイリアンあるいはタンクシティー!
- 後輪を乗り上げ俯角を得て射撃。荒唐無稽なあり得そうもない動きを優先させることもあれば、こんなに細かな挙動をさせてみせたりする。この取捨選択の一つ一つがガルパンというアニメを支えている訳ですよ(誰。
- 無線機が知らんまに歌を拾っていた。とかでなく、いざというときにいつも歌うのか島田殿。
- 好きなものを表に出すのに全く恥じらいを感じないあたり才覚と風格を思わせる。
- 大学生幹部三人がやたら焦ってるけど、思えば確かに、遊園地に移行して一方的にやられてんな。
- 正確な数は覚えてないけど、大洗連合はネームドな車両がほぼ残存してるのに、大学選抜はもはや半減か。
- 大学連合の油断があったのか、あるいは今の高校戦車道のメンツが奇跡の世代な天才揃いだったりもするんかね。
- アリクイさんチーム、TVシリーズから引き続いていまいち見せ場がないよね……。
- でも、砲弾をほいって投げてよっしゃーって片手で装填しては劇場が一番沸いた瞬間だったぞアリクイさんチーム。
- 「エンジンならともかくモーターにはレギュレーションないもんね!」という台詞から感じるモータースポーツ根性。
- エレクトリックモーターの発動にポルシェ博士も草葉の陰でエキサイトしてたりしないじゃろか。
- ローズヒップの空中殺法。今作で最もWoTぽい瞬間というかこれ今週のベストショットでよくみるやつや!
- くちくしゃトータス。ってやかましいわ。
- V2ロケット! V2ロケットじゃないですか! というかこのテーマパークもテーマがよくわかんないテーマパークだな!
- この最終決戦の、登場人物のやりとりさえ最低限に削いだ、もはや純粋な戦車戦みたいな勢いが。ここまでの奔流だだ漏らしのように思えた荒唐無稽な交戦がむしろこの緊張感のための蓄積にさえ思えるね。ほんとにスバラシイ緊張感だわ。
- 主観視点、超進地旋回からのトンネル脱出口を先回りしての砲撃! みせられた後で「ああ、おれはこれが観たかったんだ」と気付かされるような美しい展開。そしてそれを察知してたのが窺える急停止。何この漲る、何。
- あんこうチーム必殺の、優勝をもぎとったあの履帯を焼き切るような急旋回からの肉薄超近接射撃を「ガキン!」つって弾いたシーンがあったよね。あのシーンのかっこよさ。うわあこいつマジつええと言葉を超えて叩きつけられる感触。ああもうなんと表現すればいいのか。
- メリーゴーランドを突き抜けての強襲! 瞬間瞬間でほとばしる戦術のぶつけ合いだわ。
- その均衡をほころばせるクマライドの横断。なんというリリシズムか。そうだよこれはその一方で乙女同士の勝負なのだよ。
- そして決着だよ。
もう何もいえなくなるよ。ああ、これが戦車道なんだと、これまでの上映時間全てを使って叩きつけられては、もう何も言う必要がなくなって、あとに残るのは「これが戦車道か……」という実感だけだよ。
- 決着からの速やかな、作品そのものの撤収もいいよねー……。
- にっしずみちゃーん!!(劇場版
- 立ち働いた自分の愛車を無言でじっとみつめる西住姉がいい。イイ。
- 「次は、余計なしがらみ抜きでやりたいものですわね」「ええ。本当に」というやりとりを意訳すれば
「余計な援軍とか抜きで純粋にやりあえばウチの娘が勝つに決まってんだからな」「はいはい言ってろ言ってろ何度やろうがウチの姉妹は負けねえよ」て感じでしょうか。
- このタイミングだと島田殿はまだボコミュージアムが結局どうなるか知らされてなかったわけで、
それを頭に入れて「大丈夫、私がまもってあげるから」つったクマを、約束を守らせてくれなかった相手に渡すというシーンをみるとなんだか相当に意味深長な行為であるよう思える。
- 撃破されてからボートにのってそのまんま退場する継続高校。結局正体不明なまんまだったけど、この正体不明っぷりが次回作への布石だったりしないでしょうか。しないのかなあ。してほしいところだけどなあ。
- ところであのボートが彼女らの学園艦だったりしないか。
- 負けてもボコミュージアムに出資されてるのは、母なりの「負けはしたけどいい勝負でしたよ」というねぎらいだろうか。
- 学園艦は何度みても「でけえ」という感想がまず浮かぶ。
- そういえば気になったことなんだけど、スタッフロールが終わっても、スクリーンに『おわり』とかそれに類する表示が一切なかったんだよね。
これが実は続編への布石だったりしないでしょうか。しないのかなあ。してほしいところだけどなあ。
- あー。もう一回観に行きてえ。
- 帰り道、サークルKサンクスに寄ったけどそれらしいコラボ商品はもはやなく、たまたま販売してた焼き芋を買い食いしつつ帰りました。
ガルパン劇場版のおおきめの感想。
承前。
県下で上映してくれる劇場が一つしかなく、加えて交通の便がよろしくない場所だったのでこうなればとチャリンコで向かうこととした。片道二時間。到着して、堪能して、スクリーンから出てトイレの便座に座って少しだけ考えたのちにもう一枚チケットを購入して立て続けにみて、堪能して、どぷんと夜が更けもはや行き交う自動車もない夜陰のなかをそれでも行儀よく路側帯付近を走っていたらば縁石にもののみごとにぶつかって半円を描きながらふっとんで背中から落ちてチャリンコのフレームをゆがめてしまった。
ハンドルを切ると前輪とペダルの干渉する状態で慎重に帰路につく。結果的に高価な映画鑑賞になってしまったがまあそれはそれとしてガルパン映画おもしろかったんでよかったです。たぶんスチールのフレームだから比較的安価に直せそうだし。直せるんじゃないかな。直せるといいな。不憫なので。チャリンコが。
時間が許せば三回連続で観てたかもしれません。
大きな感想。もしくは『劇場版』がみせてくれたもの。
観たのは封切りから四週間目になろうかなるまいかーみたいなタイミングかな? 多くの方のネタバレ配慮のおかげでさしたる予備知識を植え付けられないまま鑑賞できた。ただ、みな異口同音につぶやく「ほんとに劇・場・版て感じだった」てのだけはそうしたネタバレ配慮の網から漏れて聞こえ、意識せずともそれを確かめるよな鑑賞になるだろうなと思っていた。
思っていたけども。
映像が始まり、紅茶の中の茶柱が浮かぶシーンから。
ガルパンのなかの数少ない定番ネタ、ダージリンの「こんな格言を知ってる?」がつぶやかれる。
そうだった。聖グロリアーナは戦車のなかにあっても優雅と自称していた。
その静かな開幕から「訪問者ならもう来てるじゃないですか……ステキかどうかは知りませんけど」と継がれた言葉を示すように、視点は射座から砲門をくぐり抜け戦車の外観を映し――そこで、おそらくは観覧者全員に「劇場が音響設定まちがえてるんじゃねえの」だの「え。これは大丈夫なやつなの……?」だのに類する反応をさせたに違いない砲音が大・大音量でずどがーんと鳴り響くのだ。
そりゃもうずどがーんと。
その大迫力の大音声がこそ『これがガルパン劇・場・版だ!!』というスタッフからの大宣言なのはきっとまちがいがない。
そして一度鳴ったからには戦場だ。十数両からなる戦車の大砲が同時多発に多重に鳴り響き、戦車をかすめた砲弾が耳障りな擦過音を響かせ、あるいは芝生をうがち土煙を巻き立て、飛び散らかした土石が雨のように時間差で降り注ぐ。
みなが一様に「劇場版だった」と漏らした感想は開始からものの数秒で証明され叩き込まれた。
TVシリーズで見慣れた静かなやりとりから始まり、TVシリーズで見せつけられた激しい戦車戦へと直接つなぐ。静と動の落差。それを何よりもまず開幕に持ってくるこのサービス精神。心憎いったらありゃしねえ。
もちろんその大音量は来場者をびびらせるための出オチではない(そんな出オチは勇壮な『雪の進軍』とともに吶喊するチハたんが見事に負ってくれる)
劇場版だからこその迫力は音でのみ演出されるのではなく、特に私の心を引いたのはとにかく景気のいい(しかし戦車ごとの重量や砲威力を考慮に入れられたであろう)戦車の吹っ飛びようだった。TVシリーズだと砲弾が命中し、有効打だと認められた戦車は(いくつかの演出的例外はあれども)おおむねその場に擱座し停止することで行動不能と表現していた。それがこの劇場版だと「そろそろ『特殊なカーボンで守られてるから中の人は無事』っていいわけも効かないんじゃないですかねえ……」と心配になるくらいどっかんどっかん吹っ飛んではぶち転がって障害物にめり込んだり天地逆さまにひっくり返ったりしている。その視覚的迫力を担保する聴覚的迫力!
(ただ、ここでいう「搭乗員は無事なの?」という心配はまた別の問題をもつのだけど、それはもうちょっと後で語るとして)
そしてそれら演出の強化っぷりはただ大迫力にのみ費やされるのではなく、シブい臨場感にも割かれている。目立ってそれだと指摘できるのは着弾による土煙だ。地面に着弾し爆炎をあげ、もうもうとあがる土煙。パラパラと降り注ぐ土石は多くの戦争映画でみられる演出だ。そして射座による視点でその煙の中につっこみ、戦車自身の風圧に押されて視界が晴れて突き抜ける……これもTVシリーズでは決して多用されなかった贅沢な演出だと思う。
あるいは、市街戦で建築物に打ち込まれたKV-2の砲弾が階層を横にまるごと破壊し建物の向こう側にまで貫通しての大爆発炎上。
要するに演出効果がとにかくリッチ。劇場版。劇・場・版。
このへんまるごと映画開始から5分だか10分だかまでの感想だかんね。
残り110分あるんスよ。
とにかく演出の迫力や臨場感のための創意工夫に最後まで振り回されるステキな戦車映画劇場版なのだけど、ただ、留意しなければならないのは、たぶんこれはコストを大量に費やしただけの豪華映像ではないのだという点だ。
おそらくは執念の映像なのだ。
そもそもの話、耳を聾さんばかりの砲音。弾着による爆炎や土石。衝撃にごろんごろん転がる戦車。それらは、あるいは、戦車戦で最初からあって然るべきものなのかもしれない。
劇場版だからこそと我々が見せつけられる様々な、あまりにも効果的な演出の数々はきっと「TVシリーズでやりのこしたこと」の総ざらえでもあるのだろう。例えば転がる戦車一つをとっても、吹っ飛んで転がれば車底などさらさなければならない角度の増加につながる。ただ書き込みの手間が増えるだけでなく資料面の問題もあるだろう。音響面などまさしくそれで、コメンタリーにて「戦車砲の、花火のような、音で眼球が押されて視界からゆがむような音。あれはTVではまず表現できないでしょうね」と言及されてたりもしていた(それを踏まえてみれば、ああ劇場版だと、何よりもまず我々に思い知らせる演出が砲撃音というのはいかにも象徴的である)
TVシリーズで出来なかったこと、断念したこと、あるいは劇場版でなければできないこと、それらを払底するべく費やされたこだわりと執念。
あるいは、おれたちはこれはが描きてえんじゃあーという真っ正直な誠実さ。
戦車好きの諸兄の心を撃ち貫き、戦車に関してはズブの素人だった私らの知識的ギャップを(無限軌道で!)乗り越えて、皆一様に「なんかスゲエ……!」と感動させ揺り動かしたのは、その執念があったからこそなのだと思う。
それら様々なディテールへ注ぎ込まれる熱量こそが、ガールズ&パンツァーという作品の本質そのものなのではあるまいか。
そしてその本質、情熱、執着が、TVシリーズを圧し、まだまだ底知れないものであったと思い知らされる質量でそびえ、劇場という場で直に触れることができた。
それこそが『劇場版』だからこそみることのできたものなのではなかっただろうか。
であるがこそ、多くのひとが口にした「劇場版だった……」という感想ははるかに正しいのだ。
あるいはアニメフィクションの挑戦。
とかで感想第二部。
劇場版ではっちゃけられた様々な演出を「TVシリーズでやりのこしたこと」ではなかろうかと表現したけど。そう表現した数行後でいきなり否定するのも何だが、たぶんそれだけじゃないんだよね。もちろんコスト面の問題もあったろうけど、TVシリーズではあえて抑えた演出とするよう判断した場面も多かったのではなかろうかと思う。
先に結論めいたことをいうと、あんまりにも切迫した、いかにも人死にの出そうな演出をしてしまうと、それは戦争に近いものになってしまい、戦車道ではなくなってしまう。ということだ。
TVシリーズでも砲弾に弾かれすっころぶシーンはあった。特にマウス戦車との交戦が印象的だ。だよね。決勝戦での大ボス的に登場したそれのどごーん・どごーん・どごーんという三カットぶち抜きな砲撃で命中もしてないのに風圧で横転させられる大洗チームの戦車……という演出は、まさに「決勝戦だからこそ」「ここぞとばかりに」「解禁された」演出だったのではなかろうか。
解禁されたその演出は効果絶大で、いやほんと、これまでもさんざんだったけどほんとのほんとにどうすんのこんなもん……という驚愕をふんだんに味あわされた。だがその中でも究極に近いものがあのシーンであり「さすがに死ぬんじゃねえのこれ……」という緊迫感は最終回だからこそ許されるとっておきだったように感じる。
劇場版のみならずガルパンという作品全体に対しての感想なのだけど「一番最初にでっかい嘘をぶっこむことで後の細かい嘘をカバーしてほんとに描きたいものに集中できた上手な作品」てのがある。
ここでいう最初にぶっこいたでかい嘘とはもちろん「乙女のたしなみ・戦車道」のことだ。
そもそも、現代の戦場では戦車だけでの交戦なんてのは(航空戦力の発達や歩兵だけでも戦車を倒せるロケット砲の開発だとかで)ナンセンスな代物なんで、それを実現するにはフィクションであってもそれなりの設定が必要になる。加えて、ガルパンは戦車とか出てくるのにミリタリー色なドラマ(限られた兵站・死と背中合わせの日常・何が為に戦うのか等々)を限りなく抑えて部活動ライクなスポ根ドラマに終始するという(結果的には英断だったであろう)選択をしている。戦車とか出てくるのに。
それらの解決が為に吹かれた大ボラが「戦車道」なのだと思う。戦争ではなく、部活動のような武道であり、乙女のたしなみであると。命や国家というあまりにも巨大なものの「奪い合い」ではなく、技術や精神を競い合うものである。
だから勝ち方にこだわることが出来るし、自らを負かした相手に素直な賞賛を送ることが出来るし、ええええいくらなんでも無茶じゃねー? という戦術を選べるし、さすがにちょっとそれは……というまぬけなミステイクを(選手たちも、視聴者である私らも)笑って許容できる。
あるいは、長砲身にもぐりこむM3だとか砲塔をもたない突撃砲同士のぶつかりあいだとかの、無邪気とさえ言えるような、荒唐無稽でもあり、各戦車ごとの個性や戦車同士での交戦ならではな魅力を存分に描き出せた。
それらを担保するとても大事な嘘が「戦車道」なのである。なのだと思う。
戦車道でなくなってしまうとそれら要素のほとんどが「いやいやそんなことしてる場合じゃねえだろう」という茶番へと堕してしまう。それは戦車戦での迫力だけでなく、人間関係でもそうだし、敵対校とのドラマにも同じことが言えるだろう。
それこそ、賭けるものとしては、母校の存続というパイがほんとに限界一杯ギリギリの大きなものなのではなかろうか。
(余談だけど、だからTVシリーズ決勝戦にて黒森峰の追撃を恐れつつも西住どのが八艘飛びでM3を助けに行ったシーンにて、モモちゃんが『はやくしろー……!』と呟いたいけずはとても大事なバランス感覚だったと思う)
と。さんざん言葉を費やして、何が言いたいかというと「え。これ下手するとマジで命が危ないんじゃね?」という描写は戦車道というフィクションを脅かしかねないとてもきわどい演出だ。ということである。簡単な話、人の命のかかってるような勝負っぽくみえてしまうと、爽やかなスポ根どころの話じゃなくなってしまうってことだ。
すさまじい轟音でもって放たれた砲弾が戦車という鉄塊を歪め吹き飛ばし、その超重量がごろんごろんブチ転がり建築物に激突し爆発炎上するという演出は、だからこそTVシリーズではなされなかった
しかし、劇場版はそこに踏み込むという決断をしてのけたのである。
そして、それは戦車道というフィクションを捨てるという選択でもなかった。
むしろ劇場版は(既にご覧の諸兄は思い知っているとおり)その荒唐無稽ささえTVシリーズを超えた劇場版スケールだ。おいおいおいいくらアニメといえどやりすぎじゃねえのおおというシーンが、まさに戦車アトラクションという勢いで法外な迫力、あるいは底抜けてまぬけなシーンの脱力とで立て続けに立て続けにぶちかまされる。
アニメだからこそ許されるような展開や演出が、ときには戦車道という嘘を補強するために、ときには戦車道という嘘を利用して、劇場版スケールでふんだんに振る舞われる。
それら演出に踏みこむという決断はただ、描写に大量のコストを費やすという決断だけではない。「どこまでいったら戦車道ではなくなるのか」「どこまで臨場感と迫力のある演出が許されるのか」という思考と決定、バランス調整にもべらぼうなコストを割くという決断も意味していたはずである。たぶん。
今更言及するまでもない事柄だけど、ガルパンはフィクションだからこそ、それもアニメだというフィクションからこそ為しえた作品である。
TVシリーズにてアニメーションだからこそ到達しうる境地へと至ったガルパンは、しかし劇場版という「そこからさらに先」への道の前で遂に問われたのだ。アニメだからこそ許される限界はどこなのかと。
その世界の法則を自在にできるアニメーションなのだから、荒唐無稽に描こうと思えばコロリョフとフォンブラウンにタッグを組ませ急速に進化させたV2ロケットでもってⅣ号戦車を宇宙に飛ばすのだってやろうと思えば訳はないはずなのだ(やろうと思えば)
しかし、リアリティをともなう、フィクションのなかに現実をあらわすべくディテールのこだわりがあったからこそガルパンは異様な熱量をともない我々を感化せしめたのは先に述べた通りである。アニメであるというエクスキューズに頼りすぎて、細部を捨ててしまえばはもはやガルパンではなくなってしまうのだ。
アニメであることで成立してきたガールズ&パンツァーが、どこまでアニメであり続けるかを問われていると言い換えてもいい(誰に問われたかはまあわかんないけど)。
そして、劇場版の制作はその問いへの回答の連続だったのではなかろうか。撃ち放たれる砲弾にともなう音はどの程度の迫力か、あがる土煙に降り注ぐ土石まで表現するか否か。どこまで危機感を煽るべきか、どこまでなら危機感を煽ってもいいのか。
それらの積み重ねは、「こんな戦車アニメなんていままでなかった!」という歓呼への誠実な返答でもあるようにも思えてくる。
個人的に思うところを正直に言えば、今回の劇場版がリアリティとフィクションとのバランスに脱輪した箇所があったようにも感じるのだ。しかし、ガールズ&パンツァー劇場版という作品が真摯な返答の積み重ねであるのならば、それに対し「ここはアニメだとしても正直どうかと思う」「ここはものすごいリアリティがあってかっこよかった」あるいは「これこそが戦車道だよな!」という感想もまた、誠実に抱くべきだと思う。
だからこそ……だからこそ、えーと。
すごいだいじなネタバレをするのでもし未見の方がいたらば今すぐ目を閉じて欲しいんだけど。
閉じたかな?
閉じたよね? で。
だからこそ、最後の決着のシーン。
それまでのアトラクションつめあわせのようなエンターテイメントにまみれた戦車戦は、あの最終決戦の緊張感のための布石のようにさえ感じてしまう。笑いさえともなう娯楽から急転直下、それからなるギャップに身構えずにはいられない、抜き身の刀で致命傷だけを狙い切り結ぶような、砲身の角度一つが決着を意味しその行方を追ってしまう。はちきれそうな緊張感で繰り広げられる一対二の戦車戦。そこまでして演出された緊迫感の最後の最後の最後を突き破るあの戦術。
現実の戦車戦ではあり得るはずのない、あの一撃。
あれこそが「これが『戦車道だ』」という高らかな宣言のように思え、私の心を打ったのだ。
西住みほが探し求め、そしてみつけた戦車道という言葉は、ここに至ってメタフィクショナルな意味をも持ち合わせ始めたのだと思う。ガルパンの進む戦車道とは、リアリティと、フィクションと、アニメとの境界を探り、あるいは押し広げていくような、どこまで行けば戦車道ではなくなってしまうのか、戦車道はどこまで行くことができるのかという探求の道なのかも知れない。
もしかすると未踏でさえあるかもしれないその道を、ガールズ&パンツァーがさらに突き進んでいくところを、可能ならばもっともっと見続けていたい。
そう願わずにはいられない。
要するに第二期とか続編とかまーだー? てことであってまさしくパンツァーフォーだ。進め乙女の戦車道。こーれがーわたしのーせーんーしゃーどおー。