ガルパン劇場版のちいさめの感想。
- ネタバレに一切配慮しない最初から最後までを思い出せる限り思い出す細かな感想を垂れ流していきます。
- まあここまで書いておいてアレなんだけど制作意図として「劇場版は思いっきり荒唐無稽に行こう現実とか度外視して」て決定されててそのあたりあんま悩まず振り切ったて可能性ももちろんあるよね(おまえは今まで何を何のために書いてたんだ。
- でもまあ、フィクションとリアリティのバランスがガルパンというアニメで大事なのだと、それを確認できた劇場版でありました。
- そういや、フィクションとリアリティとのバランスって意味じゃ、だいぶ早い段階から「学園艦はちょっとやりすぎじゃね……?」てずっと思ってるんだけど。
- 他、全体的な感想としては、元々ガルパンですごい好きなシーンがある。それは戦車内からの視点、射座から目標へ照準を合わせるべく主観視点で描かれる場面だ。
- TVシリーズのおさらいから。OVA未見のひとへの配慮が少し窺える「ノリと勢いに翻弄されたり」て一言だけど
- それはそれとしてあんこうチームがもはや友情を逸脱して西住どののシンパと化してる感じがなんというか。
- 「イギリスにこんな格言があるのを知ってる?」というだけで笑えるからちょっとずるい。
- もっというなら紅茶に茶柱が浮かんだ時点でもう笑えるからちょっとずるい。
- 先にさんざん述べたとおり「劇場側が音量設定まちがえてるんじゃねえの」と疑わんばかりの砲音である。車内と外とで響き方が違うのがステキだけど、ダメージ表現て意味ではゴイーンて車体に着弾して響く感じの音がまたよかったね。爆音上映にいける連中がうらやましいよ。
- チハたん! ああああチハたんかわいいハチマキちょうかわいいでも新砲塔になっちゃうととれちゃうハチマキちょうかわいいあああ。
- しかも迷彩柄じゃないですか。TVシリーズだとコメンタリーで「かんべんしてください」とか言われてたらしい迷彩柄じゃないですか。
- 突撃が信条なのはわかったけど「バンザイ!!」と叫ばせなくてよかったんですかね。よかったと思うけど。
- いつか「バンザーイ!」つって突っ込むんじゃないかとはらはらしながらチハタンの活躍を見守ってたよ。
- 各校が各国にかぶれてるのを思うとチハタン学園は国粋主義だったりしそうで慎重に親交を結ぶ必要があったりしませんかね。
- チハタン学園のテーマ曲が雪の進軍なのは他になかったんですかネー大好きだけど。オーケストレーションで流れたのもうれしいけど。
- とはいえ愛くるしいスライムキャラなチハタンを擁する学園のテーマソングと思うと雪の進軍のへっぽこっぷりが相応しいのはそうだし……乏しいミリタリ知識で思い浮かぶほか候補曲というと……「おーとこーのなかのーおーとこーはみーんなじえーたいに入って花と散るー」とか……。
- ぽっこんぽっこん吹っ飛ぶチハタンだけど、単に戦車をキャラクターとして個性付けるとか、戦力差を覆すドラマとかじゃなくて、こんだけ簡単に吹っ飛ぶ戦車で迫力を演出できるんだからそういう意味でも登場する意味はあるよね。別にひどいこといってるつもりはないんだけど相当ひどいいいざまだな。
- 秋山殿は実はあんまし「あります!」ていわない。て話をどっかできいたけどその代わりを務めるような「あります!」キャラだな。
- うおおおリベットが多角形だ。
- ぬるぬる避けるチハタン学園隊長車だけど吶喊さえしなければ相応の実力者なのでは。
- カチューシャロシア語しゃべれないんかーい。カチューシャの耳に入れたくない話題はロシア語でとかマジ保護者ぽくていいですね?
- 「聖グロリアーナは例え車内でも一滴も紅茶をこぼさないの」とか隊長がいってたのに交戦が終わる頃には一口分も残ってなさげなローズヒップかわいい。
- 「挑発に乗らずフラッグ車だけ狙って!」て指示いいよね。TVシリーズだとおおむねそれが理由で負けた高校がほとんどだったし。
- それだけ大洗の基礎戦術が研究されたってことでもあるだろうけど。
- 作中でトップクラスにお気に入りのシーンがいきなりくるんだけど「重量差があるので気にせず突っ込んでください!」てシーン。
- 戦車の重さと、その重量差と、鉄塊同士のぶつかりあいという魅力を存分にだせたステキシーンだと思う。ぎゃりりりりという耳障りな擦過音もいいよねー。
- TVシリーズ最終回の誓い『目指せ重戦車キラー!』がさっそく挫ける瞬間。
- サキちゃんてアズサちゃんに懐いてるのかね。アンツィオ戦でもなんでか一緒に偵察にでてたし。
- 面倒見よさげな隊長ことアズサちゃんがしょっちゅうかまってるだけな気もするけど。
- モールを爆走する戦車……おかしいな。おれの記憶の中だと、序盤の市街戦はその後の荒唐無稽な戦車戦を控えてシブめな展開を基調とした交戦だったような記憶があるんだけど……。
- 眼鏡のぶつかった看板、WoTのじゃなかった?
- 40t制限。て標識に笑う。
- 折れて倒れた信号機をはじき飛ばすとか、イイ。ステキ。ほんといい。スバラシイ。戦車とは、市街戦とは、劇場版とはこういうことですよ。
- TV版を何度か見返した人間にならわかる「あ。この路地は」という展開。
今作最大規模の「え。死ぬんじゃね」という大爆発炎上っぷりだけど、そこで「ウチの店が! ひゃっほー!!」と歓喜してみせるのは、戦車道ってこういうもんですよという説明をなるべく早めに開陳しておくという演出意図がある気がする。
- 他の建築物なら「新しく立て直せてひゃっほー」だろうけど、歴史的建造物である神社仏閣を犠牲になるかも知れない舞台にするのはどうかと……。
- でも手を合わせるノンナで許せた。
- 海岸線にあの鉄杭がごろごろ転がってるとノルマンディーっぽさがすごいよねプライベートライアン。
- WoTの話なんだけど、全速力で丘陵を乗り越えてジャンプしたみたいになっちゃうと着地の衝撃で履帯にダメージがいったりするんだけどガルパン世界じゃそのへん大丈夫なんスかね。
- 最初の市街戦は大洗含めて各チームの成長具合を説明する意図もあると思うんだけど、そのなかでもカバさんチームのナポリターンいいよね。
カバさんチームというか三突はこれまでにも散々「回転砲塔が欲しい!」つってたけど(最終戦でM3を助けているシーンで、牽制にみなが黒森峰へ砲撃している最中の「このときほど回転砲塔が欲しいと思ったことはない……!」てのはお気に入りの台詞の一つだ)その欠点を克服すべく工夫がみてとれる。
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- まあ結果はともかく。
- 稜線を越えるときが戦車がいちばん注意しなきゃなんない瞬間て理屈で砂浜からの上がり口を確保される緊張感いいですね。
- そこをフラッグ車みずから突っ込んで捨て身のおとりで状況を打開と。きっちり意図を汲んでみなで突撃する大洗もいいですね。
- 上をとった聖グロプラウダ連合も実は俯角がとれなくて優位ではあれにらみ合いの膠着状態て状況だったりはしないだろうか。
- カチューシャて勝ち方を選ぶ悪癖さえなければ優れた指揮官になれそうだよな。TVシリーズでの交戦も「あえて包囲の甘い箇所を作ってそちらに誘導する」とか、装甲で勝ってる戦力としてはかなり最適解ぽい戦術を選んでたし。
- フラッグ車の盾になって砲撃を誘発し差し違えて勝ちーて必勝パターンもいいし「おねがいね?」て一言で以心伝心もいい。
- しかしこれだけ市街をぐるぐる走り回れたら、また新たな聖地巡礼先になっただろうし、何度も大洗巡礼で「ガルパンさん」になってるひとはより楽しめただろう。粋なサービスと言える。
- 戦車道がどういう競技かを示す意味でも、よくできた試合展開と決着だったように思います。
- 入浴シーンまで劇場版スケール。
- 「説明は彼女から受けてください」つって、文科省のひとの背中に表情を押し隠した表情で立ちすくむ会長のシーン。
- 真っ正直に告白しますとものすごいエロいシーンだと感じてます。ものすごいエロい気がします。エロいよな。エロいよね? え? 何がエロいか説明しないとダメ?
- 「そんな! 元々の約束でも3月の解体だったじゃないですか!」「それでは遅すぎるということらしい。8月までだってさ」「なんで繰り上がるんだああー」
……おれのカンだと、次シーズンもまた今の年度で今の学年で今の登場人物を維持したまま話を進めたいんで徒に時間を進めたくないから、というオトナ都合が裏にあるからではないかと思うんだが、どうか。
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- あったらいいな。あってくれてほしいな。
- 大洗でなくともどこでもやっていけそうな自動車部ことレオポンチームもそれなりにショックを受けてるのがちょっと意外ではある。
- でも、もう存在しなくなるコースの走り納めって独特の感傷がありそうではある。
- ところでばりばり運転してるのは「私有地なら=学園内なら免許不要で運転OK」みたいなアレですかね。
- バレー部は参戦チームのなかでも強い目的意識があるからショックも相応だろうけど、逆に、そんだけバレーに執着しているなら転校すりゃそこでバレーできるみたいな思考にはならんのじゃろか。
- この四人でもう一度バレーやりたいとかそんな感じなんかな。
- ところで、タッパの求められるバレーという球技で、あからさまにいちばんちっこいのがリーダー張ってるってのがいいよね。
- どうにもならない不利を努力と根性で覆すことがもはや日常なのか、そうした彼女らが登場するのが作中ぶっちぎりの最弱車両八九式てのがまた。
- あと他校との対話時にいちばん敬語というか丁寧語がしっかりしてるのがバレー部だったと思うけど、それは体育会系だからってことでいいんですかね。
- ゴモ代とパゾ美のどっちかはわかんないけど、どっちかは操縦士でちょっと気弱なところがある風紀委員として描かれてはいたけど、もう片っぽは発言機会に恵まれずどんなコかわかんなかった。けどこんなコだったんですね「冗談だから本気にしないでね」
- 何にせよ校門に立てかけられたバールをみた瞬間からおれのなかの風紀委員の株がうなぎのぼりだ。
- 風紀委員の仕事が遅刻の取り締まりしかなさげないいざまだけど……実際そうなんかも。少なくとも大洗って服装規定はそうとうユルいよねとすぐ隣にいる歴女チームをみながら。
- 風紀委員チームことカモさんチームはプラウダ戦からの参加だったけど、即戦力っぷりが印象的だったね。
- しんがりを勤めての冷静な敵車両の把握と伝達。命令には忠実なあたり、集団戦闘の一員としての才覚は確かにあったのだろう。
- 彼女らに参戦するよう声をかけてたのは会長だったけど、その真意が知りたい。
- 「私たちが一年生じゃなくなっちゃったら一体どうなっちゃうの!?」ほんとノリとその場の雰囲気だけで生きてるよねこのコら。
- ウサギさんチームがウサギさんの世話してる。
- にー。
- にー。
- これが劇場版でなく家庭での再生だったらばこの「にー」を何度リプレイしたかわかったもんじゃないのだぜ。
- にー。
- いっつも丁寧口調な秋山殿の、母ちゃんに向けた「うん」がすごくかわいい。ちょっと異様にかわいい。
- 家庭の都合で大好きな戦車道のある高校に進学できず、大好きな戦車道のせいで友達が出来なかった秋山殿にとって、大洗が戦車道を復活させてからの今までは一発逆転で相当に幸福な環境だったのではあるまいか。そこから再度の急転直下である。
- そう思うと、母親から「大丈夫よ。ね?」「……うん」というやりとりの重さが重い。
- そういや、ちょっと期待したんだけどサークルKサンクス従業員劇場版もとい秋山スパイ大作戦劇場版なかったね。まあ相手が大学選抜だしな。
- 今作航空機が割といい具合に出張ってきてるけどコメンタリー芸人こと岡部いさく先生へのサービスだったりするんだろうか。
- サンダース校のロゴが世界的なレスキュー部隊であるアレっぽく。こないだたまたま新作をみかけたんだけど作品の是非は置いといてやっぱマリオネーションから3DCGになると損なってしまう魅力はどうしても出てきちゃう感じがしたなあ。
- 学園艦から退艦して整列中。
- 出航の汽笛(?)にみなよりも一瞬早く反応する生徒会チームにおれの涙腺も反応します。
- 一年生と言うことで(艦のうえの生まれでなければ)一番愛着の薄いであろう一年生チームがいちばん感情をあらわにしてるけど、たぶんなんかそういう雰囲気だからっつって自発的に流された部分があるよねこのコら。
- さらりと校長室らしき如何にも偉い人のっぽい部屋を私物化して寛いでる会長マジ生まれながらにして人々の上に立つことが定められた傑物。
- 会長への心酔っぷりがすごいモモちゃんだけど、会長はとにかく偉くてすごくて正しい人という認識が強く、だからその手先であり直轄にある自分も偉いーみたいな思考パターンがあるのではなかろーか。
- 放送室に三人固まって寝てる風紀委員チームかわいい。
- やさぐれてはみるものの思いつくことがとりあえず夜のコンビニで買い食いというレベルにとどまる風紀委員チームかわいい。
- 劇場版の音響効果でキュウリをかじる「こりこりこりこりこり」を思うさま客席に響かせる風紀委員チームかわいい。
- 今作におけるキャラ萌え要素はほんとほとんど風紀委員チームに持って行かれてしまった。
- 大洗がもうちょっと服装規定に厳格な高校であったらばスカートを異様に長くしてケバめの化粧をしてうんこずわりした風紀委員をみれたのだろうか。
- 「まさかコンビニにまで戦車で行くようになるなんて……」
- この数分後に幼女が戦車で田舎道を乗り回す画が入るんですけどね?
- そういや現実の戦車って動かすのになんか免許いるんかな。要らんはずがないだろうけど。
- 公道ってことで戦車を動かすための免許がいるあたり、先のレオポンチームがドリフト決めてたのはやっぱ私道だから免許不要なんですよと言うエクスキューズにもなってるんだろうか。
- 「止まってください!」「このまままっすぐ後退してください!」と私生活でも指示が戦車戦やってるときと変わらないあたり西住どのの萌え要素だと思うんですよ。
- アンデスチャッキーを思い出すボコのテーマ。アレもまあ元ネタはあるんだろうけど。
- そういやボコられグマって監督肝いりのオリジナルキャラなんだっけ。
- ボコられてる熊のテーマパークだからボロい内装にしてるのかと思ったけどそういう話でもないのか。
- テーマパークの廃墟っぽくデザインしたテーマパークとかあれば絶対行ってみるんだけどなー。
- 「せっかくみぽりんが譲ってあげてるのにお礼も言わないなんて!」て台詞の女子グループっぽさ。
- そういやー、それぞれに家庭事情が描かれてるあんこうチームだけど、ゼクシィ武部の両親だけは出てきてないまんまだよね。
- 高校で一人暮らしだからと言うのもあるだろうけど。なんかの伏線だったりしませんかね。しませんかね。
- 西住どの帰還する。
- 西住姉が愛犬にどんな名前付けてるのか知りたい。
- 西住どのの部屋にかけられた、きっちりクリーニングされてるであろう黒森峰のパンツァージャケットが、実は黒森峰に帰ってくるのを待ってた感じがして好きなんですよ。
- 夏休みと、入道雲と、畦道と、お姉ちゃんと、Ⅱ号戦車。
- いいシーンだと思うんだけど脚本意図の不明っぷりもちょい感じる。
- 高校連合vs大学選抜はいうなれば西住姉妹vs島田流という構図だったし、西住母の後援もあっての実現ではあった。
- その展開を思えばもうちょっと姉妹愛というか、「西住流とはまた別に、みほが見出した自分の戦車道のその先」みたいなテーマが最初に設けたけど、それが次第にぶれてったんじゃなかろうかとか疑ってしまう。
- うるせえ幼女とⅡ号戦車という組み合わせの前じゃそんな小理屈無効じゃ。
- 要するに、あのこれ描きたかっただけですよねという感じがすごくて、あのその、ありがとうございます。
- とか思ってたけどそういえばこんな設定が遙か以前からあったね。なんか泣けるね。
- それはいいんだけどお姉ちゃん推定小学生で戦車運転してるけどどうなんつい先ほど戦車免許って話がでたばっかだけど。
- 法律で軽戦車と規定される戦車は免許不要で乗れるよ説。
- 西住流家元は富豪だからあのへんもぜんぶ西住さんちの敷地内だよ説。
- おねーちゃんとこっそり大人の目を盗んで運転してたよ説。
- なんか登場するたびに違う乗り物でやってきてんなこの自衛隊員。
- コメンタリーの方で「自衛隊員が高校生に戦車指導しにこないだろう。という突っ込みがあったが、まあ、会長のコネで個人的に便宜を図ってくれていると言うことで」みたいな話をしてたけど、それが補強されてるような展開である。
- 蝶野さんは蝶野さんで腹に一物抱えてそうな人材ではあるよな。単に会長とのコネで色々手を回してくれてるというよりも、戦車道の振興で自身の政治的地盤を固めたいとかなんかそういう会長との利害の一致がありそう。
- 単に酔狂なだけ説もアリ。
- そもそも文科省的に学園艦つぶすことのメリットってどのぐらいなのかしらね。まあ維持費がすごそうなのは事実だが。事業仕分けは色々悪夢だったよね。
- 「戦車道に偶然などありません!!」という西住ママの啖呵は家元としての誇りでしょうか。それとも
「ウチの娘がキバってぶんどった旗をマグレだたァてめえたいしたいいざまじゃねえか」みたいな反発もあったんでしょうか。
まあ自分とこの娘と娘がドンパチして片っぽが負けて片っぽが勝ってるんだけど。
- 西住流のメンツぶっつぶしてやる気満々な島田ママいいですね。
「島田流家元にもお話を通しておこうと思いまして」てのは「お前が泥塗りたくてしょうがねえこっちの看板賭けて勝負しにいってやんだから余計な水差すんじゃねえぞ」みたいな釘の刺し方でしょうか。
- 受話器でけえ。
- そういやドゥーチェあたりがOVAで「西住流だろうが島田流だろうが!」つってたっけ。
- 会長室(仮)に戦車道の優勝旗きっちり持ってきてるのちょっと泣けない?
- 二宮鮟鱇像はいいけどなんでそこに光ともすねん。何のギミックやねん。ああこれなら暗くなっても本を読むのに便利やわーってやかましいわ。
- 鳥居みたいなのが連なってその下に茂みがこんもりって、すごいモデルになった土地のありそうな風景。
- 「歩みをとめたら道はなくなってしまうんです!」て台詞だけどTVシリーズ開始当初で「戦車道」て言葉がこれほど作中のテーマとの美しい一致をみせることになろうとは誰が思ったろう。
- ただ「戦車は火砕流のなかだって進めるんです!」て台詞にはさすがに目が点になった。
- あんまりにも驚いたんでそういう事例でもあるんかと後で調べたら、こないだの御嶽山の噴火に装甲車が出動してたりはしたらしい。
- 一年生チームはこのまんま戦争映画オタとしての道を歩んでいくんでしょうか。
- 戦略大作戦みてたときの絵面は「え。泣くような映画……?」て突っ込みがはいってたけど、今作のは微妙げな表情してたな。
- いざ戦車戦が始まるとうおーうっひょーうおーうっひょーという連続なんで細かい感想はかえって差し挟めなくなるけども。
- 横のつながりの強い高校戦車道だけど。
その横のつながりがかえって、戦車道という競技が膠着していたことを示しているような気もする。
だから、そこに現れて散々暴れて風穴をあけてった大洗というチームに興味と助力とが集まったーという側面あるのではなかろうか。
例えるならもうブームが過ぎて懐ゲー扱いされてる格ゲの大会にニューフェイスが出てきて優勝とってって諸先輩方の注目を集めて全国大会への旅費をカンパしてもらうみたいな。
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- 招集したのは聖グロのダージリンっぽいけど、公式戦では大洗とやってないのを差し引いても唯一大洗に負けたことのない彼女がいちばん大洗を評価してるっぽいってのはなんか面白いね。
- 各校のテーマ曲のメドレーなシーンは単純に興奮できるね。3D効果も音響効果も音楽も、どれもほんとにいい仕事してる作品だと思う。
- まほおねーちゃんはなんか短期転校でなくそのまんま大洗に定住しそうな勢いがありませんか。
- アンツィオはなんでCV33なの。なんで必殺秘密兵器のP40じゃないの。
- 「どうせ聖グロはチャーチルだしプラウダはスターリンだろう。今更ウチのP40がいっても重戦車は余ってるそれならせめてCV33で偵察役を率先してこなそう」「しょっぱいスねー姉さん」
- 「寝過ごした! 急げまた間に合わなくなるぞ!」「そんなこといったって姉さん今からP40運んでたら遅刻確定っスよ」「ええいじゃあCV33だけでもいいとにかく急げ!」
- チーム名やら作戦名やらで色々喧々囂々するシーンはああこのひとたち本国のひとじゃなくてあくまでかぶれてるだけだったねて設定が強く思い起こせていいですね。
- 30輛ならんで進んでるシーン。俯瞰がズームになって画面に表示される車両数が少なくなったら急にFPSあがってちょっとわらった。無茶しやがって。
- 連合寄せ集めのでこぼこっぷりと、大学選抜の大半がチャーフィーで占められた整然っぷりがいい対比ではある。
- カチューシャ「ふん。ほんとはアンタ、妹のこと信用してないんじゃないの?」
西住姉「崇拝と信頼は違う」
カチューシャ「ぐぬぬ」
秋山「ぐぬぬ」
モモちゃん「ぐぬぬ」
- 高校連合の「ドン」「ズドン」「パン」「ドーン」みたいな一斉射撃に比べて大学選抜の「ずどどどどどどどん」みたいな斉射という絵面が練度の違いを一発で実感できて地味にだけどすごい好き。
- アメリカさんの戦車は身を乗り出して肉眼で確認するんじゃなくて潜望鏡みたいなやつで確認できるんですね。さすが合理主義の国。
- 自走臼砲の登場はうおおーすげえーよくやってくれたーではあるけど、それの退治はちょっと荒唐無稽すぎて微妙と言えば微妙に感じるシーン。
- オープントップつってるからもうちょい遠くからの射撃でも撃破できたんじゃないんですかねとかも思うけどどうなんだろう。
- 後々の試合に「あーもーなんで戦車道なのに自走砲とか出てくんのよなんで認可されてんのよー」「なんかさ昔、政治的な色々で無理矢理認可されたらしいよ」「迷惑な話だよねー」とか禍根を残しそうな話ではある。
- 会長がかっこいいからそれでいいや。
- ところで干し芋パスタっておいしいんですかね。まあ会長の手料理がおいしくないはずないけど(信仰。
- 急に出てきた継続高校が思うさま暴れるシーン、という点でもちょっと微妙に感じるシーンではある。
- どんな戦車でどんな戦術かわからない戦車が無双しててもあんま感動できないという意味では、逆にこの作品がいかに戦車をキャラクターとして活躍させていられるかの証明しているようにも思う。
- そもそもどこの国なんだろうとか、なにあのちっこいKV-2みたいな戦車。とか全然わかんなかったんで視聴後に調べてみたらフィンランドなのねなるほど。
- そういえば高校生だけど。それなりに深刻な中二病ぽいな。
- でもちっこいKV-2みたいなあの戦車の立ち回りはしぶくてかっこよかったですね。橋桁を旋回から急停止、逆旋回で出し抜いたり。
履帯が外れてからの爆走も「ミーティアシステムをなめんなよー!!」つってそれとなくそういう特殊な機構なんですと説明する脚本に意図もにくい。
- プラウダ勢の別れのシーンは正直笑うところだと思ってるんだけどどうよ。まあ別に死にはしないんですけどねみたいなやつ。
- あの後の二人の会話で
「まったく。ここまで言ってお尻を叩かないと動かないんですから」「ええ、ほんとに」
「でも、優れた指導者になれる、という部分は本心です」「ええ、ほんとに」みたいな会話がありそうな。
- 鑑賞後のスタッフロールで初めて気がついたけど、中の人がジェーニャさんだったんですねプラウダの新キャラ。
(モバマス方面でちょっと耳目を集めたことがあったので名前を覚えてた)
メタ的な視点だけど、声優になりてーつって日本にやってきたロシアのねーちゃんが、ロシア人の役に抜擢されて、日本語で「あなたと共に戦えたことを光栄に思います」て台詞をいうのってなんかドラマチックやね。
- 東北なまりのコらがKV-2の乗員だったんやね。狭い道に立ちふさがって封鎖・足止めは街道の巨人としては相応しい用途ではある。
側近の二人に比べて「なんかちっこい割にいばりんぼな隊長さん」というイメージのギャップが階級差を感じさせてほほえましい。
- 砲威力的にもうちょっと敵対車両を撃破できてもよかったんじゃねと思うけど、たしか弾頭だけでも50kgを超えてさらに別に薬莢まででかいという砲弾を、女子高生が扱えるレベルにまで落としてたりして威力が控えめだったり?
- 全面的に妹の提案を支持する西住姉だけど、単に妹かわいやのみではなく、
西住流家元の後継者として、妹が選んだそれとは違う道がどんなもんなのかもっとみせてほしいみたいな気持ちもあるんじゃないでしょうか。
- ちょっと思ったけど、西住姉的にはここで大洗がなくなっちゃった方が(手助けしない方が)妹の帰ってくる可能性があったって話でもあるよな。
例えその可能性をなくしてでも、妹が戦車道を続けてくれる方が嬉しいーみたいな気持ちもあったんでしょうか。どうなんでしょうか。
- それはTVシリーズの決勝でも同じことで、実は「この決勝で勝てばみほが帰ってくるかもしれない」みたいな心情だったりもしたんでしょうか。
- ジェットコースターのレールにのっかるCV33。誰も煙となんとかは高いところにのぼるみたいな話を持ち出さない優しさ。
- なんかもう戦車道というよりもWorld of Tanks Animation THE MOVIEみたいな展開。
- WoTに遊園地ステージとかないけど。ないなら追加はどうですかね?
- 戦術とかよりも云々よりも交戦の技術をかわれて「頼まれてくれるか」て言われて笑顔になるえーと名前なんだっけの黒森峰の副官可愛い。
- こういうちょっと地味めなシーンでもさー。きっちり傾斜つくって昼飯の角度で砲弾を受ける細かさがあるから見応えあるよねー。
- そういや一両一両丁寧に撃破シーン描いてくれてるよね。敵対車両含めて知らんまにやられてたみたいなの一つもないんじゃなかろうか。
- 戦車ってあんなにどっぷり水に浸かっても動かせるものなの?
- 観覧車で敵機撃破が入らなかったのは脚本的な良心を感じる。
- ツァーリタンクもパンジャンドラムもどっちも大失敗兵器じゃないですかー。
- マカロニ作戦ツヴァイ。
待ち伏せや籠城でどかーんというのが三突の基本だから、かなり合理的な策であるようにも思う。しかし策を弄しすぎて策におぼれるあたりが如何にも歴女チームではある。
- あんだけ修練を積んだバレー部チームに一発勝負であれだけ動きを合わせられるチハタン学園はやはり吶喊さえしなければ相当な練度なのでは。
- 戦車ゲーとして想起させられるものがWoTばっかなのがちょっと寂しいかもなーとか思っていたおれにすごくよしな迷路戦というか平安京エイリアンあるいはタンクシティー!
- 後輪を乗り上げ俯角を得て射撃。荒唐無稽なあり得そうもない動きを優先させることもあれば、こんなに細かな挙動をさせてみせたりする。この取捨選択の一つ一つがガルパンというアニメを支えている訳ですよ(誰。
- 無線機が知らんまに歌を拾っていた。とかでなく、いざというときにいつも歌うのか島田殿。
- 好きなものを表に出すのに全く恥じらいを感じないあたり才覚と風格を思わせる。
- 大学生幹部三人がやたら焦ってるけど、思えば確かに、遊園地に移行して一方的にやられてんな。
- 正確な数は覚えてないけど、大洗連合はネームドな車両がほぼ残存してるのに、大学選抜はもはや半減か。
- 大学連合の油断があったのか、あるいは今の高校戦車道のメンツが奇跡の世代な天才揃いだったりもするんかね。
- アリクイさんチーム、TVシリーズから引き続いていまいち見せ場がないよね……。
- でも、砲弾をほいって投げてよっしゃーって片手で装填しては劇場が一番沸いた瞬間だったぞアリクイさんチーム。
- 「エンジンならともかくモーターにはレギュレーションないもんね!」という台詞から感じるモータースポーツ根性。
- エレクトリックモーターの発動にポルシェ博士も草葉の陰でエキサイトしてたりしないじゃろか。
- ローズヒップの空中殺法。今作で最もWoTぽい瞬間というかこれ今週のベストショットでよくみるやつや!
- くちくしゃトータス。ってやかましいわ。
- V2ロケット! V2ロケットじゃないですか! というかこのテーマパークもテーマがよくわかんないテーマパークだな!
- この最終決戦の、登場人物のやりとりさえ最低限に削いだ、もはや純粋な戦車戦みたいな勢いが。ここまでの奔流だだ漏らしのように思えた荒唐無稽な交戦がむしろこの緊張感のための蓄積にさえ思えるね。ほんとにスバラシイ緊張感だわ。
- 主観視点、超進地旋回からのトンネル脱出口を先回りしての砲撃! みせられた後で「ああ、おれはこれが観たかったんだ」と気付かされるような美しい展開。そしてそれを察知してたのが窺える急停止。何この漲る、何。
- あんこうチーム必殺の、優勝をもぎとったあの履帯を焼き切るような急旋回からの肉薄超近接射撃を「ガキン!」つって弾いたシーンがあったよね。あのシーンのかっこよさ。うわあこいつマジつええと言葉を超えて叩きつけられる感触。ああもうなんと表現すればいいのか。
- メリーゴーランドを突き抜けての強襲! 瞬間瞬間でほとばしる戦術のぶつけ合いだわ。
- その均衡をほころばせるクマライドの横断。なんというリリシズムか。そうだよこれはその一方で乙女同士の勝負なのだよ。
- そして決着だよ。
もう何もいえなくなるよ。ああ、これが戦車道なんだと、これまでの上映時間全てを使って叩きつけられては、もう何も言う必要がなくなって、あとに残るのは「これが戦車道か……」という実感だけだよ。
- 決着からの速やかな、作品そのものの撤収もいいよねー……。
- にっしずみちゃーん!!(劇場版
- 立ち働いた自分の愛車を無言でじっとみつめる西住姉がいい。イイ。
- 「次は、余計なしがらみ抜きでやりたいものですわね」「ええ。本当に」というやりとりを意訳すれば
「余計な援軍とか抜きで純粋にやりあえばウチの娘が勝つに決まってんだからな」「はいはい言ってろ言ってろ何度やろうがウチの姉妹は負けねえよ」て感じでしょうか。
- このタイミングだと島田殿はまだボコミュージアムが結局どうなるか知らされてなかったわけで、
それを頭に入れて「大丈夫、私がまもってあげるから」つったクマを、約束を守らせてくれなかった相手に渡すというシーンをみるとなんだか相当に意味深長な行為であるよう思える。
- 撃破されてからボートにのってそのまんま退場する継続高校。結局正体不明なまんまだったけど、この正体不明っぷりが次回作への布石だったりしないでしょうか。しないのかなあ。してほしいところだけどなあ。
- ところであのボートが彼女らの学園艦だったりしないか。
- 負けてもボコミュージアムに出資されてるのは、母なりの「負けはしたけどいい勝負でしたよ」というねぎらいだろうか。
- 学園艦は何度みても「でけえ」という感想がまず浮かぶ。
- そういえば気になったことなんだけど、スタッフロールが終わっても、スクリーンに『おわり』とかそれに類する表示が一切なかったんだよね。
これが実は続編への布石だったりしないでしょうか。しないのかなあ。してほしいところだけどなあ。
- あー。もう一回観に行きてえ。
- 帰り道、サークルKサンクスに寄ったけどそれらしいコラボ商品はもはやなく、たまたま販売してた焼き芋を買い食いしつつ帰りました。
ガルパン劇場版のおおきめの感想。
承前。
県下で上映してくれる劇場が一つしかなく、加えて交通の便がよろしくない場所だったのでこうなればとチャリンコで向かうこととした。片道二時間。到着して、堪能して、スクリーンから出てトイレの便座に座って少しだけ考えたのちにもう一枚チケットを購入して立て続けにみて、堪能して、どぷんと夜が更けもはや行き交う自動車もない夜陰のなかをそれでも行儀よく路側帯付近を走っていたらば縁石にもののみごとにぶつかって半円を描きながらふっとんで背中から落ちてチャリンコのフレームをゆがめてしまった。
ハンドルを切ると前輪とペダルの干渉する状態で慎重に帰路につく。結果的に高価な映画鑑賞になってしまったがまあそれはそれとしてガルパン映画おもしろかったんでよかったです。たぶんスチールのフレームだから比較的安価に直せそうだし。直せるんじゃないかな。直せるといいな。不憫なので。チャリンコが。
時間が許せば三回連続で観てたかもしれません。
大きな感想。もしくは『劇場版』がみせてくれたもの。
観たのは封切りから四週間目になろうかなるまいかーみたいなタイミングかな? 多くの方のネタバレ配慮のおかげでさしたる予備知識を植え付けられないまま鑑賞できた。ただ、みな異口同音につぶやく「ほんとに劇・場・版て感じだった」てのだけはそうしたネタバレ配慮の網から漏れて聞こえ、意識せずともそれを確かめるよな鑑賞になるだろうなと思っていた。
思っていたけども。
映像が始まり、紅茶の中の茶柱が浮かぶシーンから。
ガルパンのなかの数少ない定番ネタ、ダージリンの「こんな格言を知ってる?」がつぶやかれる。
そうだった。聖グロリアーナは戦車のなかにあっても優雅と自称していた。
その静かな開幕から「訪問者ならもう来てるじゃないですか……ステキかどうかは知りませんけど」と継がれた言葉を示すように、視点は射座から砲門をくぐり抜け戦車の外観を映し――そこで、おそらくは観覧者全員に「劇場が音響設定まちがえてるんじゃねえの」だの「え。これは大丈夫なやつなの……?」だのに類する反応をさせたに違いない砲音が大・大音量でずどがーんと鳴り響くのだ。
そりゃもうずどがーんと。
その大迫力の大音声がこそ『これがガルパン劇・場・版だ!!』というスタッフからの大宣言なのはきっとまちがいがない。
そして一度鳴ったからには戦場だ。十数両からなる戦車の大砲が同時多発に多重に鳴り響き、戦車をかすめた砲弾が耳障りな擦過音を響かせ、あるいは芝生をうがち土煙を巻き立て、飛び散らかした土石が雨のように時間差で降り注ぐ。
みなが一様に「劇場版だった」と漏らした感想は開始からものの数秒で証明され叩き込まれた。
TVシリーズで見慣れた静かなやりとりから始まり、TVシリーズで見せつけられた激しい戦車戦へと直接つなぐ。静と動の落差。それを何よりもまず開幕に持ってくるこのサービス精神。心憎いったらありゃしねえ。
もちろんその大音量は来場者をびびらせるための出オチではない(そんな出オチは勇壮な『雪の進軍』とともに吶喊するチハたんが見事に負ってくれる)
劇場版だからこその迫力は音でのみ演出されるのではなく、特に私の心を引いたのはとにかく景気のいい(しかし戦車ごとの重量や砲威力を考慮に入れられたであろう)戦車の吹っ飛びようだった。TVシリーズだと砲弾が命中し、有効打だと認められた戦車は(いくつかの演出的例外はあれども)おおむねその場に擱座し停止することで行動不能と表現していた。それがこの劇場版だと「そろそろ『特殊なカーボンで守られてるから中の人は無事』っていいわけも効かないんじゃないですかねえ……」と心配になるくらいどっかんどっかん吹っ飛んではぶち転がって障害物にめり込んだり天地逆さまにひっくり返ったりしている。その視覚的迫力を担保する聴覚的迫力!
(ただ、ここでいう「搭乗員は無事なの?」という心配はまた別の問題をもつのだけど、それはもうちょっと後で語るとして)
そしてそれら演出の強化っぷりはただ大迫力にのみ費やされるのではなく、シブい臨場感にも割かれている。目立ってそれだと指摘できるのは着弾による土煙だ。地面に着弾し爆炎をあげ、もうもうとあがる土煙。パラパラと降り注ぐ土石は多くの戦争映画でみられる演出だ。そして射座による視点でその煙の中につっこみ、戦車自身の風圧に押されて視界が晴れて突き抜ける……これもTVシリーズでは決して多用されなかった贅沢な演出だと思う。
あるいは、市街戦で建築物に打ち込まれたKV-2の砲弾が階層を横にまるごと破壊し建物の向こう側にまで貫通しての大爆発炎上。
要するに演出効果がとにかくリッチ。劇場版。劇・場・版。
このへんまるごと映画開始から5分だか10分だかまでの感想だかんね。
残り110分あるんスよ。
とにかく演出の迫力や臨場感のための創意工夫に最後まで振り回されるステキな戦車映画劇場版なのだけど、ただ、留意しなければならないのは、たぶんこれはコストを大量に費やしただけの豪華映像ではないのだという点だ。
おそらくは執念の映像なのだ。
そもそもの話、耳を聾さんばかりの砲音。弾着による爆炎や土石。衝撃にごろんごろん転がる戦車。それらは、あるいは、戦車戦で最初からあって然るべきものなのかもしれない。
劇場版だからこそと我々が見せつけられる様々な、あまりにも効果的な演出の数々はきっと「TVシリーズでやりのこしたこと」の総ざらえでもあるのだろう。例えば転がる戦車一つをとっても、吹っ飛んで転がれば車底などさらさなければならない角度の増加につながる。ただ書き込みの手間が増えるだけでなく資料面の問題もあるだろう。音響面などまさしくそれで、コメンタリーにて「戦車砲の、花火のような、音で眼球が押されて視界からゆがむような音。あれはTVではまず表現できないでしょうね」と言及されてたりもしていた(それを踏まえてみれば、ああ劇場版だと、何よりもまず我々に思い知らせる演出が砲撃音というのはいかにも象徴的である)
TVシリーズで出来なかったこと、断念したこと、あるいは劇場版でなければできないこと、それらを払底するべく費やされたこだわりと執念。
あるいは、おれたちはこれはが描きてえんじゃあーという真っ正直な誠実さ。
戦車好きの諸兄の心を撃ち貫き、戦車に関してはズブの素人だった私らの知識的ギャップを(無限軌道で!)乗り越えて、皆一様に「なんかスゲエ……!」と感動させ揺り動かしたのは、その執念があったからこそなのだと思う。
それら様々なディテールへ注ぎ込まれる熱量こそが、ガールズ&パンツァーという作品の本質そのものなのではあるまいか。
そしてその本質、情熱、執着が、TVシリーズを圧し、まだまだ底知れないものであったと思い知らされる質量でそびえ、劇場という場で直に触れることができた。
それこそが『劇場版』だからこそみることのできたものなのではなかっただろうか。
であるがこそ、多くのひとが口にした「劇場版だった……」という感想ははるかに正しいのだ。
あるいはアニメフィクションの挑戦。
とかで感想第二部。
劇場版ではっちゃけられた様々な演出を「TVシリーズでやりのこしたこと」ではなかろうかと表現したけど。そう表現した数行後でいきなり否定するのも何だが、たぶんそれだけじゃないんだよね。もちろんコスト面の問題もあったろうけど、TVシリーズではあえて抑えた演出とするよう判断した場面も多かったのではなかろうかと思う。
先に結論めいたことをいうと、あんまりにも切迫した、いかにも人死にの出そうな演出をしてしまうと、それは戦争に近いものになってしまい、戦車道ではなくなってしまう。ということだ。
TVシリーズでも砲弾に弾かれすっころぶシーンはあった。特にマウス戦車との交戦が印象的だ。だよね。決勝戦での大ボス的に登場したそれのどごーん・どごーん・どごーんという三カットぶち抜きな砲撃で命中もしてないのに風圧で横転させられる大洗チームの戦車……という演出は、まさに「決勝戦だからこそ」「ここぞとばかりに」「解禁された」演出だったのではなかろうか。
解禁されたその演出は効果絶大で、いやほんと、これまでもさんざんだったけどほんとのほんとにどうすんのこんなもん……という驚愕をふんだんに味あわされた。だがその中でも究極に近いものがあのシーンであり「さすがに死ぬんじゃねえのこれ……」という緊迫感は最終回だからこそ許されるとっておきだったように感じる。
劇場版のみならずガルパンという作品全体に対しての感想なのだけど「一番最初にでっかい嘘をぶっこむことで後の細かい嘘をカバーしてほんとに描きたいものに集中できた上手な作品」てのがある。
ここでいう最初にぶっこいたでかい嘘とはもちろん「乙女のたしなみ・戦車道」のことだ。
そもそも、現代の戦場では戦車だけでの交戦なんてのは(航空戦力の発達や歩兵だけでも戦車を倒せるロケット砲の開発だとかで)ナンセンスな代物なんで、それを実現するにはフィクションであってもそれなりの設定が必要になる。加えて、ガルパンは戦車とか出てくるのにミリタリー色なドラマ(限られた兵站・死と背中合わせの日常・何が為に戦うのか等々)を限りなく抑えて部活動ライクなスポ根ドラマに終始するという(結果的には英断だったであろう)選択をしている。戦車とか出てくるのに。
それらの解決が為に吹かれた大ボラが「戦車道」なのだと思う。戦争ではなく、部活動のような武道であり、乙女のたしなみであると。命や国家というあまりにも巨大なものの「奪い合い」ではなく、技術や精神を競い合うものである。
だから勝ち方にこだわることが出来るし、自らを負かした相手に素直な賞賛を送ることが出来るし、ええええいくらなんでも無茶じゃねー? という戦術を選べるし、さすがにちょっとそれは……というまぬけなミステイクを(選手たちも、視聴者である私らも)笑って許容できる。
あるいは、長砲身にもぐりこむM3だとか砲塔をもたない突撃砲同士のぶつかりあいだとかの、無邪気とさえ言えるような、荒唐無稽でもあり、各戦車ごとの個性や戦車同士での交戦ならではな魅力を存分に描き出せた。
それらを担保するとても大事な嘘が「戦車道」なのである。なのだと思う。
戦車道でなくなってしまうとそれら要素のほとんどが「いやいやそんなことしてる場合じゃねえだろう」という茶番へと堕してしまう。それは戦車戦での迫力だけでなく、人間関係でもそうだし、敵対校とのドラマにも同じことが言えるだろう。
それこそ、賭けるものとしては、母校の存続というパイがほんとに限界一杯ギリギリの大きなものなのではなかろうか。
(余談だけど、だからTVシリーズ決勝戦にて黒森峰の追撃を恐れつつも西住どのが八艘飛びでM3を助けに行ったシーンにて、モモちゃんが『はやくしろー……!』と呟いたいけずはとても大事なバランス感覚だったと思う)
と。さんざん言葉を費やして、何が言いたいかというと「え。これ下手するとマジで命が危ないんじゃね?」という描写は戦車道というフィクションを脅かしかねないとてもきわどい演出だ。ということである。簡単な話、人の命のかかってるような勝負っぽくみえてしまうと、爽やかなスポ根どころの話じゃなくなってしまうってことだ。
すさまじい轟音でもって放たれた砲弾が戦車という鉄塊を歪め吹き飛ばし、その超重量がごろんごろんブチ転がり建築物に激突し爆発炎上するという演出は、だからこそTVシリーズではなされなかった
しかし、劇場版はそこに踏み込むという決断をしてのけたのである。
そして、それは戦車道というフィクションを捨てるという選択でもなかった。
むしろ劇場版は(既にご覧の諸兄は思い知っているとおり)その荒唐無稽ささえTVシリーズを超えた劇場版スケールだ。おいおいおいいくらアニメといえどやりすぎじゃねえのおおというシーンが、まさに戦車アトラクションという勢いで法外な迫力、あるいは底抜けてまぬけなシーンの脱力とで立て続けに立て続けにぶちかまされる。
アニメだからこそ許されるような展開や演出が、ときには戦車道という嘘を補強するために、ときには戦車道という嘘を利用して、劇場版スケールでふんだんに振る舞われる。
それら演出に踏みこむという決断はただ、描写に大量のコストを費やすという決断だけではない。「どこまでいったら戦車道ではなくなるのか」「どこまで臨場感と迫力のある演出が許されるのか」という思考と決定、バランス調整にもべらぼうなコストを割くという決断も意味していたはずである。たぶん。
今更言及するまでもない事柄だけど、ガルパンはフィクションだからこそ、それもアニメだというフィクションからこそ為しえた作品である。
TVシリーズにてアニメーションだからこそ到達しうる境地へと至ったガルパンは、しかし劇場版という「そこからさらに先」への道の前で遂に問われたのだ。アニメだからこそ許される限界はどこなのかと。
その世界の法則を自在にできるアニメーションなのだから、荒唐無稽に描こうと思えばコロリョフとフォンブラウンにタッグを組ませ急速に進化させたV2ロケットでもってⅣ号戦車を宇宙に飛ばすのだってやろうと思えば訳はないはずなのだ(やろうと思えば)
しかし、リアリティをともなう、フィクションのなかに現実をあらわすべくディテールのこだわりがあったからこそガルパンは異様な熱量をともない我々を感化せしめたのは先に述べた通りである。アニメであるというエクスキューズに頼りすぎて、細部を捨ててしまえばはもはやガルパンではなくなってしまうのだ。
アニメであることで成立してきたガールズ&パンツァーが、どこまでアニメであり続けるかを問われていると言い換えてもいい(誰に問われたかはまあわかんないけど)。
そして、劇場版の制作はその問いへの回答の連続だったのではなかろうか。撃ち放たれる砲弾にともなう音はどの程度の迫力か、あがる土煙に降り注ぐ土石まで表現するか否か。どこまで危機感を煽るべきか、どこまでなら危機感を煽ってもいいのか。
それらの積み重ねは、「こんな戦車アニメなんていままでなかった!」という歓呼への誠実な返答でもあるようにも思えてくる。
個人的に思うところを正直に言えば、今回の劇場版がリアリティとフィクションとのバランスに脱輪した箇所があったようにも感じるのだ。しかし、ガールズ&パンツァー劇場版という作品が真摯な返答の積み重ねであるのならば、それに対し「ここはアニメだとしても正直どうかと思う」「ここはものすごいリアリティがあってかっこよかった」あるいは「これこそが戦車道だよな!」という感想もまた、誠実に抱くべきだと思う。
だからこそ……だからこそ、えーと。
すごいだいじなネタバレをするのでもし未見の方がいたらば今すぐ目を閉じて欲しいんだけど。
閉じたかな?
閉じたよね? で。
だからこそ、最後の決着のシーン。
それまでのアトラクションつめあわせのようなエンターテイメントにまみれた戦車戦は、あの最終決戦の緊張感のための布石のようにさえ感じてしまう。笑いさえともなう娯楽から急転直下、それからなるギャップに身構えずにはいられない、抜き身の刀で致命傷だけを狙い切り結ぶような、砲身の角度一つが決着を意味しその行方を追ってしまう。はちきれそうな緊張感で繰り広げられる一対二の戦車戦。そこまでして演出された緊迫感の最後の最後の最後を突き破るあの戦術。
現実の戦車戦ではあり得るはずのない、あの一撃。
あれこそが「これが『戦車道だ』」という高らかな宣言のように思え、私の心を打ったのだ。
西住みほが探し求め、そしてみつけた戦車道という言葉は、ここに至ってメタフィクショナルな意味をも持ち合わせ始めたのだと思う。ガルパンの進む戦車道とは、リアリティと、フィクションと、アニメとの境界を探り、あるいは押し広げていくような、どこまで行けば戦車道ではなくなってしまうのか、戦車道はどこまで行くことができるのかという探求の道なのかも知れない。
もしかすると未踏でさえあるかもしれないその道を、ガールズ&パンツァーがさらに突き進んでいくところを、可能ならばもっともっと見続けていたい。
そう願わずにはいられない。
要するに第二期とか続編とかまーだー? てことであってまさしくパンツァーフォーだ。進め乙女の戦車道。こーれがーわたしのーせーんーしゃーどおー。