戦車映画の話色々。

 ガルパン劇場版のあとに観るといいかもしれないし別にそうでもないかも知れない戦車映画の話。

 模型や史実、ミリタリー趣味やゲームなど、割と色々ある戦車好きの入り口だけど、そのなかでもそこそこ大事な位置を占めているのが戦車映画(≒戦争映画)ではあるまいか。
 そういう意味で、せっかくガルパンという格好の入り口を経て「ああ、戦車ってなんてカワイイんだろう」という事実に目覚められた諸兄の一助たるべくだらだらと戦車映画の話をしていきたいと思います。

 まあ、次にコレを観るとイイよ! だとか、これは観ておくべき! なんて上からお話が出来るほどの知識はないので「そーいやーこーいう戦車映画があったなー」「ふーんそうなのー」くらいのテンションでどうぞ。



バルジ大作戦

「ならば私たちはいつ家路へ付くのです」
「ここが我々の家だ」

 戦車映画と言えばひとまずはコレというタイトルでしょうか。
 何を置いてもとにかくカッコイイ。何がカッコイイってドイツ軍人がかっこいい。下記映像だけでも十分そのかっこよさは伝わると思う。
 後世に「ヒトラー最後の賭け」とも称されるドイツ決死の大攻勢。ティーガーを筆頭に保有戦力の集中運用を委ねられるも、疲弊著しいドイツは人的資源もまた枯渇間際。
 猛々しい戦車に対し、それを駆る戦車長たちの顔ぶれは余りに若い。

「少年ばかりではありませんか」
「だが敗北を知らん」
「戦場さえ知らない」
「彼らは命を賭けておる! それでも不満か?」

 そんなやりとりを眼前で繰り広げられた戦車長たちは、自らの士気を示すため高らかに声を合わせるのである。

 
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 パンツァーリートを聴く度に足を踏みならしてしまう奇病に罹る動画。

 うーんカッコイイ。
 一方でアメリカ軍はというと、「クリスマスまでには帰れる」を合い言葉にもはや戦勝ムード。ドイツの動きを鋭敏に察知した将校が情報を集めるべく策動するも「考えすぎだ」と白眼視される始末。
 方やドイツ軍人は亡国の危機に瀕し、命を賭し、倹約に身をやつし、捕虜を遇し、強力無比な戦車でもって戦場を蹂躙し、戦うことのみに収斂していく。
 多くの人間が幻想に抱く「憂国を湛え、騎士道精神に殉じる独軍兵士」という美しさがそこにある。
 だがしかし……と、この映画は視点の転換を求めるのである。「それは正常なのだろうか?」と。
 戦場に殉じること。それはやはり狂気の一種に過ぎないのではないか?
 その問いかけに答えるべく映像を見返すと、とたんに美しさは意味を変えて私たちに映る。
 その疑問にこそこの映画の意図を見いだしたような心地になるのである。


 というどうのこうのを置いといてもやっぱかっこいいんだけどねえー。
 高名な映画だけに賛否意見は出揃っており、「いやそれティーガーじゃなくてパットンですやーん」とか「冬の戦争なのにいつのまにか砂漠でドンパチしてますやーん」だとか、戦車的にも歴史的にも考証面でのツッコミは避けられずあくまでフィクションだと割り切る必要はあるものの、それでもやはり大空撮を用いた大戦車戦は見応えがある。
 未見のガルパンおじさんが居たならば是非とも視聴し、「パンツァーリートが聞こえてくると足踏みをせずには居られない病」に罹患してほしい。
 そういやガルパンTVシリーズでパンツァーリートが流れたときにも、後半のおねえちゃんがカッコイイシーンで足踏みめいたパーカッションが入ってたよね。

 
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レッド・アフガン


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 アフガニスタン民兵の潜む集落を一輛のソ連戦車T-54/55が徹底して蹂躙。
 父親でもある族長を惨殺された若き次期族長が、この仕打ちの報復をアラーに誓う。
 冒頭10分でこれらストーリーのあらましを終えたあとは、補給を絶たれた不毛の砂漠をひたすら疾駆し逃げ回るT-54/55と、地の利を活かしカチでこれを追いかけ回すアフガニスタン民兵のなんとも息苦しくしんどい絵面が続く。むやみに水分補給しちゃうね。

 岩がちの砂漠を、盛大に土煙をあげぶっ飛ばし続ける戦車というリッチな絵面を堪能できる本映画だけど、絵だけでなく、物語としての迫力を志すならば手っ取り早い演出方法がある。それは逃げる戦車か、追っ手の復讐者かを「怪物」として描けばいいのである。
 けれどもこの映画はそれを選ばなかった。
 思えばしみったれた、小規模な話なのではある。
 いとも容易く人倫を踏みにじった戦車はただのRPGの一発に怯えて逃げ回り、砂漠の横断をものともしない民兵は護国のためでもなくほとんど個人的な恩讐を理由にこれを追い回す。
 どちらもモンスターになりきれなかった、ただの人間なのである。
 単なるリアリズムとは少し違った、物語にスジを通すためのルールがきっちり働いた映画なのだといえる。

 とかで、トレーラー検索して気がついたけど、原題は「the beastていうのね。納得ではある。


 アメリカ人の(88年に)撮ったソ連アフガニスタンの映画だからじっとりと染みついたステレオタイプな民族観を多少さっ引いて視聴する必要こそあるものの、傑作の部類に数えられる作品だと思う。
 戦車も戦車らしく長所や欠点を晒してて題材としてちゃんと活きてるしー。冒頭の拷問もなかなか戦車らしい絵面だよな。



ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火


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 二次大戦は東部戦線。もはや揺るがぬ数的優勢を手にしたソ連軍は、しかし奇怪な噂と説明の付かない損害に悩まされていた。
 戦場に「白い戦車」が現れるというのである。深い森から突如として現れ、圧倒的な長射程と異様な精密射撃でもってただの一輛で戦線を崩壊させ、そして現れたときと同じく森の中へと溶けて消える。
 この「ホワイトタイガー」に壊滅的被害を与えられた戦場から、一人の兵士が奇跡的な生還を果たす。
 体表の9割をやけどで失いながらも一切の痕も残さず完治し、当人の記憶喪失も相俟って全ての経歴が不詳という奇怪な兵士である。
 ついでに言動もちょっとおかしい。始終無表情で、破壊された戦車のそばにぼんやりと佇み、何をしているのかと問われれば「この戦車と話をしていました」なんぞと呟く。
 来歴不詳・情緒不安定ときたら兵士として不適格もいいところだけど、しかし、優れた戦車長として認められた彼に独立部隊の長として特命が下される。
 ホワイトタイガーと呼ばれる正体不明のドイツ戦車を追い、これを撃破せよと。
 
 という日本のロボットアニメじゃあるめえしというストーリーラインのくせにやたら淡々とした戦車映画である。
 ほんとに淡々としてる。戦車映画なのに。
 戦車映画なのに「アァールピィージィイー!!!」だとか「カモーン! カモーン! カモーン!」だとか絶叫したりしない

 淡々としながらも戦場には往年の戦車があふれ、そして景気よく炎上するので一応の迫力は担保されるものの、その中心となるのが人の気配を感じさせぬ不気味なホワイトタイガーであり、同じく人的感情や恐怖心めいたものない主人公なので、戦争映画につきまとう興奮や狂乱めいた熱情がない。
 どこか冷めて、淡々としている。

 ホワイトタイガーの正体めいたものは作中にて触れられる。尋問を受けるドイツ軍捕虜が口にしたもので「あれは我がゲルマン民族の象徴だ。精神そのものだ。故にお前達では決して撃破はできないだろう」
 一方で主人公の正体も、彼に目をかける上官が言及する。「奴は戦場で死に、そして戦場で生き返りました。作り替えられたのです。戦争に必要なものとして。奴は戦争そのものです」

 言うなればホワイトタイガーも主人公もともに「戦争そのもの」だと評されている。形は違えど同じものだ。
 それならば「戦争」とは一体なんなのだろう……?
 と。そんな哲学的な話にまでストーリーの及ぶ戦車映画であって、さすがにもう「ヒャッハー!! 最高だぜー!!」というテンションでみられるものではない。
 けれども、その問いかけは、結局はどこまでいっても人殺しの道具でしかない戦車という存在に魅入られた私らにも求められるべき問いなのかも知れない。

 手放しにヒトに勧められる映画ではないけれど、妙味があるのは確かである。
 必見と言うよりも必修とでもいうべき? いやーでもおれ勉強のためとかいいつつ創作作品に触れるの嫌いだからなあー。