雑談ログ。


「そもそも私は(任意の雑誌名)とかで面白くないマンガを読むと、もはや慣用句と化した『もう死にたい』みたいな感情にさいなまれる。
 具体的に言うなら、一週間生きるのに必要なだけの気力が少しだけ削がれてその分しんどくなる」


 ああそう。いやわからんでもないけど。
 一応は創作活動を自分の一部と自認してる身の上で、公称で何万部かは知らないけど、それでも多くの人に求められてすごい競争率を勝ち抜いたヒトだけが発表出来る場で発表された作品がいまいち面白くないとそれだけですごいダメージは来る。
 そういう意味で今のジャンプがほんと面白いのはほんと助かるけど。
 競争のトップで矢面に立って戦ってるヒトがちゃんと強いとそれだけ尊敬の念はまします。やっぱ切磋琢磨してるひとらは強いんだなみたいな。努力を肯定してくれてる感じがする。


「不毛なものはみるだけでもしんどい。
 だから私はインターネットからは距離を置いている。しんどいもん。私は議論好きで、議論をしたかったし、未だに世の中を良くしたいという願望を抱いている部分がある。
 そういう人間にとってインターネットはしんどい」


 議論ねー。したいねー。したいけどねー。話したいねー。
 例えばついったで『ガルパンのここが良かったよ』みたいな部分だけをみんなで挙げてイイネ! を押すだけじゃ同じ方向向いて平行にすれ違い続けてるだけっぽくてどっか空虚なんだよね。
 少なくとも議論ではないしね。


「議論には場が必要で、議論には共通言語が必要なんだよ。言葉の意味をお互い調節しないといけない。だからハードルは高い。
 私が映画や本に耽溺するのはヒトとの議論をある程度あきらめたからだという気もする」


 意見の塊だからね。映画も本も。問題提起の塊というか。


「対話は出来ないけどね」


 対話ね。シャドーボクシングでもだいたい自意識は満足しちゃうけどな。
 まあインターネットは……ついったは、そのへんの自意識ばっかりちくちくされる話題が多くてしんどくなることは多い。
 みんなポジショントーク大好きだからさ。
 はてなの、いわゆるマスダを囲んで叩くのがみんな大好きというか、ついったの主な楽しみ方の一つがそれなんだろうなと思えるくらい。

 最近のトレンドは同人誌即売会への参加を辞めた理由ね。
 イベントに期待するものも同人誌を書く理由も人それぞれだし、しかもそのマスダを書いた当人はもう辞めてる訳で。
 例えば、『イベント後の飲み会に誘われないのがつらいから辞めた』
 飲み会に参加させてーっていうのもコストな訳ですよ。度胸ポイントというか、MPみたいなものを消費する。
 その消費量はひとそれぞれで、結局は個人差に過ぎない。向き不向きの問題よね。
 その人は『自分に向いてなくてしんどいので辞めました』という自己分析とその結果を報告してる訳だけど、それに対して
『お前が! 同人誌に! 求めているものは! なんなんだ! そもそも! 同人誌即売会というものは!!』みたいに語気荒く回り込むヒトが出てくる。

 みんな自分の立ち位置はここでーすと表明するのが大好きなんだね。
 そういうポジショントーク。そういうのが自意識をちくちくされてしんどい。
 しかも断定的で説教ぽい口調のがもてはやされるわけですよ。こうすべきである! みたいなの。どこに向けて誰に対して説教してるだろうみたいに感じてしまう。


「わかりやすいのが耳目を集めやすいのは当然だけどな。
 日本死ねみたいな。
 実際、その話題の発端になったマスダも『イベント後の飲み会に誘われないのが寂しいんで一ヶ月とか半年とか同人書くの辞めます』じゃ誰も見向きせんかったろう。
 インターネットの意見というのはそうやって、大きな音を立てて、どれくらいヒトを集められるかーということに流されやすい。それが中心になる。
 そういう競争で、ゲームみたいなものだから。ちょっと気の利いたことの言い合い。みんなそれで楽しいみたいだからそれでいいんだろうけど。
 そのへんの行為を指す言葉が新しい概念として生まれず、大喜利という比喩がそのまんま用いられてるあたり証拠にもなってる」


 そういうのに触れては後悔してんだよねー。さわってしまった! みたいな。
 私にだって理想とするポジションはあるから、こうみられたい願望みたいなのは当然あるからそこを刺激されたら自分なりに考えてしまうわけですよ。
 飲み会参加させてーというのにMPを消費するのと同じように、飲み会にきません? て誘う側も消費する訳で。
 その消耗を相手にだけ任せるのは一種の傲慢でサボってるだけだから、望んだ結果が得られないのもしょうがないよねーみたいに。
 思ったらやっぱり呟いてはき出したいわけですよ。吐くわけですよ。そのたびになんかへこむ。

 おれがついったー好きなのはさー。そういう、ブログに書くほどではない、でもどこかで呟かなければそのまま忘れ去られるような、誰かの極私的でささやかな内情を覗き見ることができるんで好きーってのがあるんだけどさ。
『自分の金で食べても焼き肉はうまい』とかさ。『近未来で地球外の惑星なオープンワールドゲームで首の長い生き物が出てくるとそれだけで「生態系!」て感じがしてポイントあがる』みたいなの。

 しかし実際どうすりゃいいんでしょうね。自意識。
 自意識にふたをし続けるか、いっそ自意識がしんどいなら不感症になって、気にせず厚顔無恥になっちゃうか。
 ……でも気にしないのだけはイヤだな。それだとワイドショーになってしまう。アレはああいう、自意識や含羞というものをセルフキルできるプロが作ってるものなんだろうけど。


「偉いひと曰く、勉強しない方が偉そうでいられるってさ。それとは別に夏目漱石がそういう含羞をもたないのが今の日本の流行りっぽいからヤベーなーこれー滅ぶわー日本マジ滅ぶわーみたいなことも言ってた」

 勉強ねー。
 含羞ねー。
 謙虚ね-。
 結局は謙虚でいなさいってことかね。
 

「勉強したら勉強しただけしゃべれなくなる、みたいなことは色んなヒトが言及してる。
 逆の例もあるけどね。翻訳者はみななぜか自らが選んだ第二言語をこの世で最も優れた言語だと思い込み他の言語を見下してしまうーみたいに。
 米原万里さんがそういってたんだけど。まあこの件に関しては誰もが多国籍な言語が飛び交う教室で幼少時代を過ごせるわけじゃないんですよとも言いたいが」

 傲慢は狭窄した視野から生まれるのだな。
 まあで自意識を手放すのには早いと思うんですよ。実際。
 自意識を手放してしまうとフルハシヒデユキとかサクラタマキチとかになってしまう。
 いやなれるものならなりたいけど。
 自意識を刺激される、自分の立ち位置を表明したくなる話題ってのはそれだけ自分自身に関わりのあることだからさ。それに関して思いを巡らせるのは割と悪くないことなのだという予感はある。
 それをはき出すかどうかはまた別にして。


「穴でも掘ってそこで叫んでりゃいいんじゃねえの。いずれにせよ芽はでるけど」