塚口ガルパン行。

 
 そりゃあまあもちろん4DXは観に行くんだけど。県外まで。
 兵庫県は姫路まで電車鈍行で片道一時間そこそこという距離は庭みたいなもんなので日帰り上等。距離が近けりゃ移動費も安くあがるのでこれまた上等。加えて姉婿の下宿先に屋根を借りられるとなれば一泊も余裕なわけだから憂いる点はそんなにない。新婚ほやほやの愛の巣を、旅塵と、わざわざ映画を観るためだけに距離を時間へ変換しここまでやってきましたーというオタク臭さで汚すことに抵抗さえなければ。
 まあないけど。

 しかしその旅程を尼崎まで伸ばすとなれば話はちょっと変わってくる。
 尼崎の塚口は一応兵庫県内である。だけど姫路から足を伸ばせばもう一時間。加えて往復。
 さらには目的のガールズ&パンツァー劇場版は二時間の上映なもんだから、それを一日のウチに二度観るには物理的限界に引っ掛かってしまう。
 あと往路を考えると旅費は二倍になるし。滞在時間が延びれば食費など諸々かかってくるんでめんどくさくなってくる。


 問うべきは「そこまでするか?」どうかである。


 高嶺の花を摘むべく崖に挑み転がり落ちた青年は恋慕が故に自身の命を犯した。
 愛というのは証明の難しいものなのである。
 だからオタクは劇場映画の視聴回数を誇り、あるいはグッズを買い漁り、場合次第では二次創作に励み、もしくは自分の愛車を痛くして、作品に労力を費やすことでその愛を有形無形に表現しようとする。
 もう既に二度観たアニメ映画を県外まで観に行って、しかも場所を変えてまで続けてもう二度……うーん。
 というのはまあ置いとくとして。
 もう少し実利的な面を考えてみると。


ガルパンは古今類を見ないほど「戦車の描写」にこだわった映像作品である。
 作品の一部分としてこだわりの戦車描写をみせた作品はかつて数あれど、二次大戦中の戦車たちが、国の彩り様々に、戦車を主役として、ただ純粋に戦車戦のみのために描かれたことなんてたぶんない。おそらく、過大文句でなく空前絶後。
 この先、似た作品があらわれてくれるかどうかわからない。私の一生ではただの一度の巡り会いかも知れない。

ガルパンは戦車描写にこだわった映像作品だが、音響効果という点でやり残しがあると自覚されていた。
 戦車砲の砲音はすさまじく、その破裂音で空気はたわみ眼球が圧されて視界が歪むほどだという。音も戦車にとって大事な要素だが、その大音量の表現は、ここまで戦車にこだわった作品ながらも、TVシリーズにおいてあきらめざるを得なかったという。
 それが劇場用音響設備という舞台を得て、遂に大音量という表現手段を得たのだ。
 劇場での上映作品は入れ替わり続ける。その上映期間を見過ごしてしまうと、滅多なことでは二度目に巡り会えない。
 ガルパンを劇場でみることの出来る期間は、私の一生ではただの一度かも知れない。

塚口。もしくは塚口サンサン劇場は小さいながらも様々な工夫を凝らす映画館であるらしい。
 今度実施される超重低音上映も小さい劇場だからこそ出来る工夫の一つであるらしく、しかも劇場版制作の音響スタッフが自らやってきて調整を施したものだそうだ。
 三ヶ月も以前に封切りされた映画を、シアターを割いて、特別な音響効果を用意して公開される。
 もちろん、これを逃したらいつ同じことに出会えるかどうかわからない。二度目なんてあるのだろうか。


 それらが私の足の届く距離で起きている。
 結論としては、言うまでもなく「行かない方がバカだ」である。

 しかも18切符期間だったしね(往復の運賃なんて存在しなかった。
 久々の電車旅だけど、平日だということを実感させられるスムーズさで始終着席して移動できた。それでもお供にキャスターのついた旅行鞄を伴っているひとが散見されて、そうだよなー18切符期間だもんなーという妙な充足感が沸いてくる。


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 阪急電鉄の車両の床の装飾が地味なお洒落さでよかった。
 車窓をみると、なんだか兵庫というのは川の多い町だなとか思う。散歩をする分には楽しそうだ。


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 塚口に降りてすぐにある自販機。
 関西圏であることを思い出させる感じの。


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 誰のファンだろう。


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 広場。このへんもなんとなく関西っぽい。 


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 昼飯時を少し過ぎての到着で、でもまだランチやってる飯屋さんはたぶんあるよなー。イタリアンなー。アンツィオなー。とメニューをのぞき込んでたらおねーさんに「よろしければどうぞー」と言われたのでほいほい入店した。


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 うまかった。
 イタリア料理店て一人で行くとなんかこうもったいないな。パスタとピザとを同時に食うことはできないし、そんでピザも一種類しか食えないし。
 結局選んだのはピザだったけどうまかった。おこげの香ばしさがあるのにあごで引っ張らないと生地を食いちぎれないくらいの弾力があるピザでさ。
 周囲にもなんだかイタリア料理店が多かったけど、そういや兵庫はパン屋がやたら多くてバターや小麦粉の消費量が相当だと聞いた。パスタもピザも小麦粉料理だしそのへんの文化があるんだろうか。もうちょいと東へ進めばそれがお好み焼きやたこ焼きになり、南に進むとうどんになる?


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 目的地である塚口サンサン劇場のある塚口さんさんタウンというのは要するに駅ビルである。
 客年齢層をだいぶ上に見積もってる感じのブティックや、シャッターのちらほら目立つ食店街など地方の駅ビルに見慣れた風情がありつつ、一号館二号館と並ぶ三号館は上半分がマンションで、文字通りの地域密着っぷりがちょっと独特な雰囲気を作ってた。
 塚口サンサン劇場の取り組みの一つに「マザーズディ」という、子連れ鑑賞用の(たぶん子供への刺激が抑えられた)音響設定の上映があったりするみたいだけど、それも納得の立地ではある。


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 平日らしい景色。


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 おれみたいななまニートはこういう寂しさと表裏一体にすごしているのである(そうか?


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 スロープ。


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 スロォォープ。


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 むやみにカラフル。

 散歩も適当にそろそろ劇場に向かうっスかね。
 劇場を見付け、入り口が即シアターにつながる構造に思い及ばずうっかりドアを押したら「開場は上演10分前になりますのでそれまでは地下にあります待合室でお待ちください」と親切に窘められてしまった。すいません。
 と、階段をおりたら。


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 うわ。なんかいる。


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 四号戦車ちゃんでいいのかな? 直線的なフォルムがいかにもドイツ戦車じゃないですか(お世辞のつもりかな。


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 段ボールの車体はもちろんだけど転輪もすげーがんばってる。
 ……映写機のあのフィルムくるくるする部分だったりしないよね? これ。


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 大洗町のみなさんからのビデオレターが流れる中で、手作り感のあふれる待合室は「今は共感の時代である」て誰かの言葉を思い起こさせる。


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 設定資料集の他に貼られた劇場名シーン集はネタバレ厳重注意重点な。


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 劇場版にっしずみちゃーん。……こんなにすごかったっけ。


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 ロビーに貼られていた写真。「この頃の雰囲気」というものを知らないけれど、ほとんどそのまま引き継いでいるんじゃないかな。
 と勝手に想像してしまう。


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 幕のある映画館だよ。
 ボコ劇場の始まりそうな。そういえばウチの近所にも、商店街の中だとかにこういう映画館があったけど数年前にもうなくなってしまったんだよな。 


 さて。上映開始である。
 肝心の超重低音だけど、すげかった。
 そもそもが「なんか音量設定まちがえてない?」と思わされる大音量だったのが、花火大会ででっかいのがあがると、その音が直に体にぶつかってくる感触があるけど、あれそのまんまにまでスケールアップ。
 破裂音とともに体が圧される圧される。期待される音圧の花形であるカール自走臼砲も観覧者先輩のシーンもガチで椅子ごとビリビリ震える。劇場初見時の、カールの砲撃であがる爆炎に「おいおいこれはいくらなんでもやりすぎじゃねえの……」と思わずこみ上げてきたあの歪んだ笑いが蘇ってくる。
 加えてステキなのは設備がいいのか調整が活きてるのか、様々な音がくっきりと判別できる点である。
 ガルパン劇場版はBGMもいい仕事してると思うんだけど、劇場用にオーケストレーションされた楽曲と、戦車の出す騒音と、登場人物たちの金切り声とがそれぞれ独立して淀みなく聞き取りやすい。

 ガルパンはとにかく情報量が過密な映像作品である。
 だから、それら情報の整理が追いつく二周目あたりが本番。あるいは、その情報や小ネタの細かいところを汲み取ることまで含めた娯楽ーみたいに言うことも出来ると思うんだけど、そこにこの、いい具合に誇張されて、いい具合に判別のしやすくなった音響効果が圧する勢いで覆い被さってくる。
 センチュリオンのあのかっこよすぎるギュインギュインとなる超信地旋回が、各校のテーマソングのメドレーの最中底抜けに明るいフニクリフニクラと共に軽快に丘をすっ飛んでくるCV33に「ノリと勢いとパスタの国からドゥーチェ参上だー!!」という大見得が、「慌てるな、風船は繊細なんだぞ!!」という制止も聞かず破裂するアヒルさんが、やさぐれた風紀委員がぽりぽりぽりとかみ砕くキュウリの音が。
 音が伝えようとした意図がより明瞭に伝わってくる。
 例えばそれは、激しく明瞭な砲撃音が、カメラが戦車内部に移ると、装甲を通した分だけ遠く小さく籠もったゴインゴインという響きになるという、音による主観的表現をさらに正確に伝えてきてくれる。より感情移入しやすいしシーンの意図もわかりやすい。
 だから、こー。 
 複数回視聴によって情報が整理できてたせいなのか、
 音響効果で伝わりやすくされた情報に刺激されたのか、
 爆音で涙腺が破壊されたのか。
 どれだかわかんないけどやたら泣けた。泣けた。

 
 結局、作品そのものが変わるわけではない。だから過剰な期待は禁物にせよ、ガルパンという作品が音によって伝えてこようとしてた意思が(より大袈裟に、と表現することも出来るけど、敢えてこう言いたい)より正確に伝わってくる。
 その為の優れた舞台装置であることには違いない。
 創作作品とは、作り手の意思を、受け手が受け取り解釈して初めてなりたつ娯楽である。劇場というのはその両者の間で継ぎ手を行う役割だ。その意味において、より正確に伝えるための舞台を整えてくれた塚口サンサン劇場は、受け渡し役として、上映館として素晴らしい役目を果たしてくれたのだと思う。

 なんか感極まっちゃったよ。
 映画を映画館で観る意味みたいなのがなんか理解できた気がする。



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 鑑賞後にもう一度待合室にいったら、ホワイトボードへの私のらくがきに返信が二つほどついてた。
 次の上映がその日の最後の上映だっただけに、開場までまだ一時間近く間があったけど目当ての客がそこそこな人数で(みんな嬉しそうに)待機してた。