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こんな妄想で遊んでます世界樹の迷宮5。

ゲーム話。 話々。


 死んでいるひとはたくさんみてきたけれど、生まれてきたばかりのひとはみたことがない。
 だから自分が生まれたばかりのときがどんなだったか、ちょっと想像しづらい。想像したこともあんまりない。だけど、漠然と、 土のなかから這い出してきて、そこに通りがかったジジーに拾われたのだと思っていた。
 虫も草もキノコも土から出てくるのだから、筋道の通った想像ではあるけれど、多少は物事に詳しくなった今ならそれがハズレなのだとわかるし、ジジーがいわゆるお父さんお母さんの代わりに自分を育ててくれたのもわかる。
 それでも、墓荒らしが悪いことだとは今日になるまで知らなかった。



 ジジーがまだ生きていた頃でもだいたいお腹が空いていた。
 このままずっとお腹が空いていたらどうなるのかとジジーにきいたら、「棺桶のなかにいる連中と同じになる」と言われた。それが悪いことだとはあまり思えなかったけれど、お腹が空いているのは気持ち悪いことだったので食べられるときにはなるべくご飯を食べた。
 頭と喉とお腹が痛くなって動けなくなったとき、どこからか毛布や苦い薬を持ってきてくれるジジーに、ずっとこのままだったらどうなるのかときいたら「棺桶のなかにいる連中と同じになる」と言われた。
 それがイヤなことだとはあまり思わなかった。
 というよりも。ベッド代わりの棺桶で毛布にうもれながら、このままお腹も空かず、暑さも寒さも、痛さも苦しさもなく、ずっと眠っていられるのなら。それはとてもいいことのように思えた。
 いつかそうなるのなら、はやくそうなってほしい。
 だけど今はまだその日ではなくて、そのうちそうなる日のための準備をして過ごしているのだろうと、そう思っていた。
 だから、ジジーが死んだときもそんなには悲しくなかった。
 朝起きて、日が高くなってもジジーは目を覚まさなかった。そうか。ジジーの番が来たのか、と眺めていたら、ジジーは寝転んだまま、イヤな臭いをまき散らしながら、どろどろに溶けながら、たくさんの虫や小さなケモノにかじられながら、棺桶のなかの人と同じになっていった。
 悲しくはなかったけど、おいてけぼりにされた気分にはなった。それでもふてたりせずにちゃんと棺桶を用意して、お墓を作ってあげたのは、ジジーに何回も言われていたからだった。
「オレが死んだらお前がオレの墓を作れ。そのためにこうしてメシ食わせてやってんだ」
 なんでそんなにしてまで自分のお墓が欲しいのだろう。とは思わなかった。それはそういうものだと思ってた。
 でも実際に、誰かのお墓を作ってみると。たしかに。
 このまま一人ぼっちで、「自分の番」がきたときにも一人だったら、誰も私のお墓を作ってくれないのだと気が付いてみれば、なんだか何かをすごく急かされているような、それなのにどこに行けばいいのかわからないような、とにかく落ち着かない気分になるのだった。



 そこから先は一人で墓荒らしをして生きた。
 ジジーの手伝いをずっとしていたので、森の中で眠り、旅をして、村をみつけて、墓を探し、夜中に掘り起こして、お金に換えられるものの見つけ方や、お金に換えてくれるひとの見つけ方もそれなりに心得ていた。
 墓荒らしは、面白かった。
 首から上がない死体。立派な剣が胸から背中に刺さったままの死体。抱き合ったような格好で一つの棺桶に二人で入っている死体や、棺桶いっぱいに花が敷き詰められたなかで眠る小さな死体、大きなツボにぎゅうぎゅうに詰められたたくさんの死体。死体はないけれど、棺桶いっぱいに本が収められていたこともあった。棺桶の中を見れば、その人がどんな生き方をしてどんな風に死んだのかがわかる気がした。
 死体になってからもう誰からも忘れられている人。死体になってもまだ大切にされている人。
 いつだか、お墓の前で膝をついて、うつむいて、ずっと目を閉じている人をみかけたことがある。死んだ人とそうやってお話をしているのだと気付いて、ジャマをしちゃダメだなと思って、その人が帰るまでずっと待っていたこともある。
 だから、本当は今日になる前にもずっと、気付いていたのかも知れない。
 大切にされているお墓を荒らして、その中を勝手にあけて、誰にも気付かれないように中身を持って行ってしまうのは、その死体を大事にしている人を悲しませることなんじゃないかなと。



 だから、墓荒らしをしている最中に、急に怒鳴りつけられて、急に殴られたときには「ああ、やっぱり」と思った。
 月の明るい夜だったけど、それが良くなかったのかも知れない。
 雨みたいに落ちてくる拳。何度も体の中に入ってくる 硬いつま先。
 暗いから、何人の大人に囲まれたのかわからなかった。それでも、なんで殴られているのかはなんとなくわかった。
 悪いことをしてきたのだから怒られるのも仕方ないと思った。
 謝れるなら謝りたい。
 体の中で何かが砕ける音がした。口や鼻や色んなところで血がぬるぬるとした。もう痛いのか熱いのかもわからない感覚にしびれながら。
 ああ。
こういう死に方もあるんだと思った。
 この人達はきっと、わたしのお墓は作ってくれないだろうな。
 なんだかそれが無性に寂しくて、泣きたくなった。許してほしかったけどもう誰に謝ればいいかわからない。暖かいところにいきたくなったけどそれがどこかわからない。誰かにそばにいてほしくなったけど、もう誰もいない。
 泣くことだけは出来たから、ただ泣いた。
 涙の出てくるところから、お腹の空くところから、冷たくて黒い感情がわき出してきて、目の前が真っ暗になった。



 それから短い夢をみた。
 死んだわたしをケモノが囓って、食べ残しに虫がわいて、次に草がはえて骨になって。土になって。その土を吸い上げて樹がたっていて、それが森になっている。
 そうか。
 死んだ後はみんな土になる。土はすべて死体でできていて。
 樹はお墓なのか。
 視界の及ぶ限りの向こうにまで緑色に茂る無数の墓石がならび、そのもっと遠くにとても大きな樹がみえた。



 目を覚ますと、知らない女の子が膝枕をしてくれていた。
 急に怒鳴られて殴られたお墓と同じ場所。気を失ってからそんなに時間は経ってないみたい。
 そこから少し離れて、どろんとした目をした男の人が突っ立っていて、目が合うとぼそりと言った。
「助けたわけではありません。ただ……彼らは少しやりすぎのように思えたので」
 彼ら? と、あたりをみると、大人が四人寝っ転がっていた。そうか。この寝っ転がっている人たちが私に怒っていた人たちで、この女の人と男の人がそれをとめてくれたのか。
 やっと理解できたところで、男の人はこちらに背を向けて夜の森の向こうに行ってしまう最中だった。
 おでこのあたりを柔らかくて暖かいものがもぞもぞ動いている……と思ったら、女の子が頭を撫でてくれているのだと気がつく。
 暖かいし、誰かがそばにいてくれている。さっき思ったことが一度に叶った。
 お礼を言いたくなった。同時に謝りたくなった。
 どっちを先に言おうかと迷ったタイミングで、女の子に鼻をきゅっとつままれ、顔をぐいっと横に向けられて、口に指を突っ込まれて引っ張られれば、半端に固まった血とよだれがぼろりと出てきた。……そうか。今まで息できてなかったんだ。
 次に脇の下に手を添えて立たされた。女の子と向かい合う形。彼女の方が背が小さい。つるつるすべすべと全身を撫で回してきて(くすぐったい)、ひとしきり撫でたあと、うなずいた。怪我が残ってないか確かめてくれてたのだと思う。
 そのままくるりとひるがえり、ざくざくざくと森に向かって歩いて行く。
 その背中が小さくなっていくのがなんだか悲しかったので、思わずついて行ってしまう。すると、足音が聞こえたのか、くるりとこちらを振り向く。
 月明かりで出来た森の影を通して目が合う。
 首を傾げる仕草をされる。
 何かを訊ねてきているのだろうか。それともこちらから訊ねたのかな。確かに、後ろからついていくのは何かを訊くのと似た行為だったかも。
 すると彼女は、前方、高い位置を指さした。
 その角度が、樹の上を越えて遠くを指しているように思えたので、なんとなく気がついた。さっきの短い夢で見たあの大きな樹を指しているのだ。
 そこに行く、ということだろうか。あの、とても大きくて大きな、何もかもの為に立っているようなお墓に。
 私も行きたい。
 気がつくと、もう一度彼女と目が合っていた。
 彼女はうなずいて。
 またくるりと背を向けてさくさくと、指さしたのとぴったり同じ方向へ歩き出す。
 私もそれについて行く。



アノロ

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 という感じで、墓荒らしに拾われて墓荒らしとして過ごしてきた少女。
 境遇の割に最低限の社会的良識を持ち合わせているのは持ち前の観察眼のおかげだろうか。

 死ねば土になる。樹は土から養分を得て育つ。ならば世界樹は世界そのものの墓碑なのだろうかという思いつきに強烈な興味を引かれ、世界樹の踏破を試みる連中にひっついて行動することとなる。
 死霊術は上述の、乱暴な連中にぶん殴られたときから自然と扱えるようになった。



あるは

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 エトリア、ハイラガード、アーモロードと、これまでにいくつかの世界樹を踏破してきたベテランロリ。
 4の世界樹はどうしたんでしょうね。まあたぶん突破してるんじゃないかなおれが知らないだけで。

 無口でロリなので周りの連中は彼女が相当なベテランだと知らない。
 けれども妙に迷宮慣れしている立ち振る舞いから自然と一目置かれている水先案内人。



レットレゥ

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 将来を誓い合った恋人に先立たれた青年。
 後追い自殺が未遂に終わり、以降、死後の世界について妄執じみた興味を抱く。
 それが実在するならばもはや迷うことなく死にたい。
 だかそんな世界がないのなら? あるいは、天国や地獄のようにいくつか存在するのなら?
 先走って迂闊な自殺をしては二度と彼女に会えなくなってしまう。

 善行を積んだ者のみが行ける世界。あるいは、来たるべき善悪の全面戦争に備えた世界。もしくは、死と生とを何往復もする輪廻転生。
 煩雑すぎる。どれかひとつなんて信じようがない。それなのに人は一度しか死ねない。

 墓守の依頼を受けたのは路銀のためでもあるけれど、それ以上に、墓荒らしという無恥な輩が何を思いながらそんな冒涜を重ねているのか知りたかったからだ。死者の尊厳を冒すなど最も恥ずべき行為だ。私怨なのか義憤なのかわからないものに駆られその依頼を受けたけれど、その情熱はあっさりと後悔に変わる。同行することになった連中が、墓荒らしだとかどうとかはもはや関係なく、誰かを殴ることで金をもらうという仕事を、この世で最も気楽な仕事だと思ってるような連中だったからだ。

 月の明るい夜が、余計にその横顔を華奢にみせたのかも知れない。
 それだけで虚を突かれたけれど、それ以上に……人の成れの果てを、それはもはや骸骨であり、人を連想させるものでさえなく朽ちたそれを、起こし、抱き、汚れを払い、慈しむような。内緒話を交わすようなその所作が、墓荒らしという言葉面から連想するそれとはあまりにかけ離れていて、戸惑ったのだ。
 しかし連中は頓着せず、棍棒で彼女の側頭部をぶん殴った。
 その所作に気にかかるところがあるとはいえ、目の前で行われていたことは確かに墓を暴く行為だった。だから連中の乱暴をとめるべきか逡巡する。……だが客観的にみるべきだ。浮浪児そのものの痩せた娘を大の大人が取り囲み暴力のほしいままにするという構図は、やはり人倫から外れている。
「そこまでにしろ! 暴力が過ぎるぞ!」
 制止の声をかけながら警告を込め軽く電撃を放った。
 それと同時に、人影が走り、長柄で一人の男を打ち据えて昏倒させた。
  ― ―彼女に仲間がいたのか?
 身構えるも、それ以上に、連中の残された一人の……困惑し、てめえなんだ裏切ったのかだのなんだこのやろうだのと意味の通らないことをわめくその背後に立ち上ったものに気をとられた。
 目に見えるほど大きな雨粒をした黒い霧のような、羽根も身も黒い羽虫が無数にたかり出来た雲霞のような何かが、気がつくと数頭、男の背後にぬうと立ち ― ―それと意識するまもなく、男の頭にかじりついた。
 男は悲鳴も上げず崩れ落ちた。
 咄嗟に連想するものがあった。死霊術だ。土水火風の力でなく、人の怨恨を糧に行使される呪術。
 夜の中の森の影の中にあってなお暗く、黒く人の形に区切る何者かが数頭、底冷えする敵意をもって立ちはだかってくる。
 しかし気圧される間もなかった。
 彼女の仲間と思われる人影 ― ―少女が、踏み込みも鋭く、 携えた長柄二度三度四度と閃かせれば、それらは霧散した。
 あとに残るのは、好き放題に打ち据えられ、無残な姿で横たわる墓荒らしの少女だった。
 酷い痣と、滲む血と。それらよりもずっと、昏睡のままに今もこぼれている涙が痛ましく印象に残った。

 迷信は信用しないタチだった。
 死霊術も迷信の類いだと考えていた。確かに、呪術によって何らかの現象は起こせるだろうけれど、その源が怨恨や死者の情念というのは、単にはっきりと判明していない法則を印象のままに語っただけだろうと解釈していた。
 だけど……もしそれが本当に死霊を扱う術ならば、それは違った形で死後の世界を解明する手がかりとなるのではなかろうか。
 そして、あの夜にみた死霊(仮)は……あの、気絶している墓荒らしを守るように立ちはだかってきたようにもみえた。
 死者と心を通わせることなど出来るのだろうか。

 世界樹を制覇したものは、万象に読む知識を得られるという。
 そんなものは迷信の類いだと考えていた。そもそも、何もかもの答えとはなんだ。生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えがわかると言われても、曖昧に過ぎる。
 具体性が何もない。
 しかし、或いは、もしも仮に、そのような答えがあるのだとすれば、死後の世界の解明にも近付くのではなかろうか。

 何にせよ、あの夜のことがもどかしく引っかかり続けていた。
 そんな折りに、アイリオスの街であの墓荒らしの少女と再会した。



トリニダート

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 割と良い身分の貴族の娘。
 高貴な生まれにともなう責任感をよく自覚し、文武ともによく修め、国への忠義も厚く、弱者への施しも忘れない。
 第三者からみても理想形にほど近い立ち振る舞いの騎士。ただし、自己規範の強さゆえそれを他者にも押しつけがちな面は差し引いて評価する必要はある。

 第三者がみるからこそ理想的な彼女の騎士像は、しかし内部を子細に観察すれば歪な形をしている。
 その志を形作ったのは、様々な物語に語られる伝説の騎士像である。

 詩人が記し、書物の語る様々な気高く、凜々しく、かっこいい騎士は、それぞれに、友を庇い気高く死に、王の命に応え凜々しく死に、恐ろしい獣に挑みかっこよく死んでいる。
 大団円に終わった騎士道物語ももちろんあるだろう。例えば、意中の姫君と結ばれ平和にくらしました。めでたしめでたし。
 しかしそれは、その騎士様がやがて迎えるかっこいい死に様がまだ描かれていないだけなのだ。

 理想に燃える騎士である彼女は、彼女自身の終着点を既に見据えている。
 どんな姿かはまだわからないけれど、いつか私もかっこよく死ぬのだ!

 アイリオスは今、街をあげて迷宮の攻略に勤しんでいる。
 国に仕える貴族としては無論、その一添えを果たすべきだ。
 世界樹の踏破という峻厳な目的の達成を志す者たちとならば、高潔な友情を結べもしよう。
 問題は、それほどの崇高さを持つ者達が決して多くはないことだ。

 そんな悩みを持ち街で用向きを片付けていたところ、あるはとアノロとレットレゥに出会う。
 正確には、いつかの夜の森でアノロを打ち据えたあの荒くれ連中と偶然出会い、意趣返しを受けるも、あっさりと退けたあるはの姿を見初めたのだ。



テンゼン

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 武家の家の末弟。
 戦場での死こそ武人の誉れと教えられて育つも、武官だの師範代だのと戦場から外れた場所に職を得た兄貴連中に疑問を感じ出奔。
 ならば戦場に身を投じるかと言えばそうでもなく、真の武芸とは一対一の状況下にこそ最も強く問われるとかどうとか言い、それは避けている。
 体よく言えば武者修行中の身ではあるけれど「命を賭すほどの相手・場面ではない」という理屈をしょっちゅう用いるあたりに本性が透けてみえる。

 刀の愛好家でもある。
 工芸品の美しさこそあれど、刀の真の美しさは、骨を割り肉を断ち、何者かを殺すという単一の目的に特化したあまりに潔い存在そのものにあると解釈し、であればこそ、刀が最も美しく映えるのは何者かの命を斬り捨てた瞬間であると力説する。
 命を晒し武芸に励んでこその武家だからなのか。
 刀の美しさに浸るため、体良く斬り捨てられる存在がそこに溢れているからなのか。
 どちらにせよ世界樹は彼にとって都合の良い舞台だった。

 トリニダートとはお互いに家名を知っているという程度の知り合いだったけれども、知人であるには違いない。
 その縁故から同じギルドの庇に入るが
「死ぬことを最終目標にして武芸の極みに達せるものか」
「目的をともなわない武術などただの暴力と大差ない」だのと反目しあっている。



マルナコ

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 敬虔な心根を持つ真面目な努力家の巫女。
 元より神秘であり、才能によるところの大きい巫術を、観察と勉強により身につけてきたある種の天才。いずれはそうして蓄えた知識を体系立て、より多くの者が巫術を学べるよう整え、世界へ貢献するというのが彼女の大望である。
 けれどもその努力は一般的な感性を持つ者にはあまり認められず、人当たりの良い性格と優れた巫術の持ち主にも関わらず孤立しがちだった。
 彼女の観察と勉強は、おおむね死骸に向けられるのだ。

 迷宮を転がる死体にいちいち(嬉しげに)足を止め、獣を殺せば斬殺か刺殺か撲殺かを事細かく(嬉々として)訊ね、珍しい原因で怪我をすれば治療を後回しにして(楽しげに)観察し、倒しなれた魔物ともなればどの程度まで危害を与えれば死ぬかを(執拗に)試し……結果として、せっかく多くの教材にあふれた迷宮にいながらも同行してくれる仲間に恵まれずにいた。

 迷宮の片隅で二人組の遺体を見付けた。おそらくはこの周囲には珍しい獰悪な魔物と遭遇し、倒されたのだろう。
 それをいじくりまわして、もとい子細に観察している最中に面々とであった。

 死体から死因を、つまりはストーリーを読み解く技術が、アノロの感心をひいて。

(こちらの方の足首に酷い打撲がみられます。おそらくは、この傷で逃走ができなくなり……他の方は逃走できたのかもしれませんが、こっちの彼は、体の正面にばっかり傷があります。盾と鎧と体に、同じ形の爪の痕がたくさんあるからきっと粘り強く戦ってて……おそらくは唯一見捨てられず魔物に立ちはだかったのが彼なのかな。足を痛めてる彼の手と腰付近が土に汚れてるのは這って逃げたから。それを差し引いても、逃げたにしては半端な距離。方角も袋小路に向かってるのを思うと、魔物に立ちはだかられたから。その二つをあわせると……きっと彼は、自分を守ろうとしてくれた人が、それでも抵抗及ばず殺されるところをみてる……痛ましいことです)

 死因の解説に、効率的な殺傷方法を見出したテンゼンが興味を持ち。
 志の高さにトリニダートが援助を申し出て。
 要するにちょうど良い居場所をギルドに見出してそこに収まることとなる。



トトツカ

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 宗教家。
 天国の扉は勇敢に戦った者にのみ開かれる。
 素晴らしい教義だと感じた。
 世に人の信じる正義は無数にある。だからこそ人同士が争わねばならない。
 しかしそうして対立しあう者同士も、この教義の下に正しくあれば、お互いの正義を否定することなく(お互い殺し合うことで)ともに天国へ昇れるのだ。
 強い者も弱い者も、富める者も病める者も、善人も悪人も、死を恐れず戦いに向かい(そして死に)さえすれば等しく神のもとへ導かれるのだ。
 なんて平等な教えだろう。

 と、開眼し研鑽を積むも世は比較的平穏であって戦場らしい戦場があんまりなかった。
 人は何かを志すもの。なればこの世のどこかで必ず戦場は生まれているし、そしてこれからも生まれるのだろう。
 やむなく今は、鍛錬のため、また鍛えた肉体でもって国に奉仕するため世界樹に巣くう魔物たちを天国に送る日々を過ごしている。
 神の前に魂は皆平等。人であれ獣であれ、天国の門をくぐる資格はあるのだ。

 アノロの使う死霊術は、彼女にとっては「悔いを残し死んだ者に再び戦って死ぬ機会を与えている」という尊い行為として映った。
 レットレゥの、死後の世界の興味は迷いの一種であって宗教家として導いてやらねばと感じた。
 諸々の都合で、ギルドに加わることとなった。




ラウタゲニ

 あるはがギルドを申請する際に度々用いているギルド名。
 今作では、なんだかんだで妙に「死にたがり」の連中ばかりが集まることとなった。
 あるはは基本的に来る者一切拒まずという姿勢なので頓着はしていない。
 それでこれまでどうとでもなってきたし、今回もまたどうとでもなるのだろう。

デレステの一周年時点で実装されてる全曲放談。

 要するに感想だとかレビュー未満の。

 デレステは少なくない制限のなかでMVすげー工夫してるしモデリングがイカすし譜面もネタ切れを感じさせない引き出しの多さでほんと熱意て意味でも費用て意味でも並ならぬコストの費やしっぷりを感じさせてくれて素晴らしいですなーこれであと曲自体がもうちょいステキなら文句なしにステキなのに……。
 と罰当たりなことを感じたのは一周年前夜。
 感じてみたあとに「でも素直に好きな曲も少なくはないんだよな」と思い直してみれば、実際全曲のうち何曲が好きで何曲がまあそのまあうんという感じの曲なのか実数を上げて数えてみたくなったので数えてみました。
 企画が企画なので感想は主にゲームサイズのものに準じます。



お願い! シンデレラ そりゃあ好き。
 この世界観においてシンデレラ=アイドルであるのに、アイドルがアイドルにお願いするとはこれいかに。
 とか思ったのももう4年も昔になりますかねー今では迂闊な精神状態で聞いたら涙腺が緩むくらいに好き。

 改めて歌詞を追ってみると、アイドルソングというよりも、アイドルに憧れる少女の曲と強く指向されていることがわかります。
「夢は夢で終われない。動き始めている、輝く日のために」は決意表明であるし、続く「どんなときもキュートハート持っていたい。ピンチもサバイバルもクールに越えたい。無敵なパッションくじけ心更新」もそれぞれ壁にぶつかったときの心構えを歌っています。
 アイドルゲーのテーマソングらしくかわいらしい曲調に整えられながらも歌詞そのものにみなぎるのは全編にわたって立ち向かう決意。
 最後のくくりだって「涙のあとには」と、これだけ明るい雰囲気のなかでもう泣いちゃってるわけです。でも笑顔!
 そうだよなーモゲマスってこういうゲームなんだよなー……と初心を思い返させてくれるまさしくテーマソングに相応しいテーマソングですねと要するに今が迂闊な精神状態なんですかね。



輝く世界の魔法 うーん。
 せかのま。
 新参P「なんでこの曲のユニットてCo4人Cu1人で偏ってるの?」「フフ……その5人はな。第二回総選挙のベスト5なんだぜ……」「マジで。Coつよすぎじゃね」というやりとりが存在意義な気がする。



We're the friends! うーん、まあ。
 だのぢいぱーぢーもへいがいのおぢかんでず。
 総選挙の上から順に選ばれたユニットで歌う曲なのにおれたち友達とはいかにも挑発的な曲ですねと揶揄したくなったのももう遠い記憶。



メッセージ いいよねー。
 世界中に知らせたい。早く放課後になれ! という等身大な喜びの表現が実にかわいらしい。
 メッセージといっても具体的にどんなメッセージなのか、歌詞の中では直接いわれず、それを受け取った反応に終始しつつももうモロわかりというあたりの、あーもーこっちが恥ずかしくなるわーて面映ゆさも心地よいスね。



ススメ☆オトメ ほんとに好きなんですよ。ガチで。
 100曲遊んでもまだ楽しく遊べるくらい好き。特にCoのは早見沙織のガチっぽい歌唱力から入ってバランスのいい青木瑠璃子、「シビアだったけどー」の節回しが過剰にカッコイイ福原綾香で雰囲気のある洲崎綾とむしろCu成分強めの内田真礼にというメンツの調和っぷりがスゲーいいと思うんですけどどうでしょうかねー肯定の言葉以外要らないー。



アタシポンコツアンドロイド ササキトモコ曲に文句なぞあろうものか。
 この曲が最初のイベント課題曲だったのはまったく幸運で幸福なことだったと思うものであるよ。
 歌詞にしてもチップチューンライクな音源にせよ拍子を強く意識させるパーカションにせよ、音楽で世界観を表現するというのはこーいうことだとさえ思うね。



Nation Blue 敢えて言えば惜しいというか。
 譜面は好きなんだけど。サビらしいサビがなく疾走感強めな曲はゲームサイズに縮められたときのワリを強く食っちゃう感じはする。



Orange Sapphire んんー。
 表現したい雰囲気のために魔法防御かなぐり捨てて物理でぶん殴ってくるよな勢いは評価したい。ステータス脳筋極振りみたいな。
 よしあしというよりかは単なる趣味の話をしていることを大前提として書くと、元曲の「一緒に花火をしようね」等のモノローグ部分さえなければ好きな曲なのにと思っていたけれども、やはりアレはああいう表現なのだと受け止めるべきなのだろう。うん。



オルゴールの小箱 ドラマCDのときの星をみあげてるときのやりとりがすごい好きなんですよ。特に加蓮の「でも私は、一度覚えた星ならもう忘れないよ?」的台詞のうわーほんと情の深い女やなあこのこっぷりとかさ。
 誰かへの慕情をきっぱり「弱さ」と表現するところとか、秘めた気持ちに鼓動を打つ胸をオルゴールになぞらえたりとかの「詩情!」て歌詞はけっこー好きなんですがいかんせんゲームサイズだと世界観を表現するのに足りないかも知らんスね。
 ていうかゲーム中だと「スピードあげてー」のところで譜面をじゃかじゃかさせられるところとか、MVの「どこが小箱やねーん。ていうかひらいたー。ひーらーいーたー」みたいに直に感想を言うとダサッ! てなる演出に気をとられてしまいがちで。



絶対特権主張しますっ! うん。
 アイドルソングなのに「勘違いしただけなのよバカね」とか全編性格悪げな方向に攻めきるハンドリングは評価したい。



パステルピンクな恋 好き。
 どこがどう好きと指定はできないけれどもスマホの画面を叩いてて妙に多幸感の沸いてくる曲。
 という感想だけで終わるとお前なんのためにこんな繰り言書いてんだという話だけど、淡い色だけれどもその一色に塗りつぶしてあげるーという表現で夢中にさせると暗喩を引く曲なのだから「なんかわかんないけどカワイイ曲だよね」という反応で正解な気もする。



ゴキゲンParty Night! まあ、そう、ねえ。
 川島さんに「すっぴんで素足で踊っていいかなー?」と高らかに歌わせることに最大の価値がある曲なのにそれを奪われてしまっては。



Absolute NIne アブナ院てネタが悔しいけど好きだ。
「総選挙上位だけで組まれたユニットなのにWe're the friendsー?」というそれに反駁するような「総選挙で選ばれた九人だから絶対的な九人」という勢いは嫌いになれないにしてもだ。
 桐生つかさ社長をセンターに起きたくなる感じの意識高い系の曲よね。
 2DのMVの反復横跳びが好きです。



つぼみ 割と好き。
 アイドルソングっぽい曲という印象でいえば相当上位に位置する気がする。AKBとかが歌ってても違和感ない(褒めてる。
 将来を無条件に肯定できるのは筒井康隆が1965年に時かけを書いて以降アイドルに許された特権だと思う。
 譜面に関しては賛否両論ある感じだけどおれは好きですよ。バリエーションの一部としてはかなりアリだと思う。



明日また会えるよね いいっスねー。いいっスねー。
 どこがどう好きと指定はできないけれどもスマホの画面を叩いてて妙に多幸感の沸いてくる曲。
 未来を無条件に肯定できるのはアイドルの特権とかわかったような口を利いてる誰かがいたけど、この曲が表す未来は最小単位に近い「明日」のことであって、その身近で等身大な雰囲気がいいよね。いいですよね。それこそメールでやりとりする明日の約束なんてパジャマ姿さえ連想させられてまた。いいよな。
 そんで歌詞にふんだんに含まれた「私が呼んだら今すぐ来てね」というワガママも、そうした甘えた関係が許される間柄だと想起されて、なんかこうニヤニヤしちゃいますね。



咲いてJewel 感想をもちづらい。
 正直なところどういう曲なんかいまいちわからない。まあ歌詞は詩であって論文ではないのだからわからないまんまに雰囲気だけ受け取っても構わないとしまして。
 個人的に気になるのは、夜だったり硬質な音源だったりでわからんでもないけど、MVのあの思いっきり氷雪系に降った演出は「Coだから冷たい感じでいいだろう」みたいな見切り発車だったりしないだろうかという妙な疑問。いや氷じゃなくて宝石でクリスタルなイメージじゃないですかねとか。



きみにいっぱい☆ アリだと思う。
 Pa曲ってこういう「音楽のバリエーションとしてはこういう方向もアリだよね」みたいなのを任されがちな気がする。
 テンション一点突破だけでなく、頭空っぽにして夢詰め込む方向だけでなく、スティールパンな音色に柔らかい歌い方にと「Paらしい曲」にはこういう方向もあるという好例ということで。



Near to You そばつゆだけど今井ちゃんにはあんまり関係ありません。
 あれ。そういやジュエリーズの全体曲なのに各属性版きてないね? 友情ガチャからマストレさんが出ている期間内におねがいね?
 MVを利用しての魔法少女遊びに完璧に印象を持って行かれているけれど、まああのMVはあのMVで、五人全員同じ振り付け師か出来ないという制限をうまく活かした結果なので。似たようなことはラブデスでやってたっぽくはあるけど。



S(mile)ING! うむ。
 アニメのアレを観た後じゃあ、なー。うむ。



Never say never うむ。
 むちゃくちゃ率直に憧れそのものを歌ったこの曲がCINDERELLA MASTERの001とナンバリングされているその意味を我々は忘れてはならない。



ミツボシ☆☆★ うむ。
「やっと出会えた歓声ーといってもSRが出るかCDデビューできるかは運営の方針次第であって、そこに創作上の人物の架空の努力を重ねるのは無理があるのではあるまいか?」というヒねた感想を人様に問うたらば「……それでも俺たち未央Pは待っていたんだよ。彼女に歓声を伝えられる日を」と答えられて不明を恥じました。
 NGの三人はそれぞれの属性を代表しているともとれるわけだけど、曲に限定していえばミツボシがいちばんPa曲そのものを代表しているように感じる。先の2曲にはないのにキュートとクールとパッションとを歌詞に含んでくるところとか。



風色メロディ ふむ。
 改めて聞いてみると、出会いから始まって「あなた」というフレーズがふんだんに含まれた、ちえりの情愛の深さの良く伝わってくる曲ーのように感じたのは心なしのせいでしょうか。
 ゆったりした曲調がMV映えする曲よね。



華蕾夢ミル狂詩曲 ~魂ノ導~ そうねー。
 誰が呼んだか熊本民謡。
 楽しそうで何より。という感想が率直にでてくるのはキャラソンとしての要件を存分に満たせているということでいいんじゃないでしょうか。
 特にそれのために用意したのではなく、最初からこういう音ゲー高難度向けの曲調が存在しているあたりバリエーションの豊富な証左。



ましゅまろ☆キッス いやはや。
 キャラソンに求められるのは歌唱力でなく演技力である。
「あっ! 言っちゃった!」あたりの、迂闊に人前で遊ぶと社会的に死にそうなフレーズを選択して残したスタッフの慧眼。褒めてますよ。



あんずのうた いも。
 CINDERELLA MASTERの第一シリーズにして「あー。そうかー。このシリーズはアイドルソングというよりかはキャラソンという方向で舵取りしてくのかー」と悟らせた曲。
 打ち込み系というよりかはもはや作り込み系の曲調は十分個人的趣味の範疇だけど、ゲーム内においてあの譜面に好印象を抱くのはちょっと……難しいというか……。



You're stars shine on me ダー。
 いっそ全編ロシア語版を聴いてみたい気もする。



DOKIDOKIリズム 難渋。
 直接言えないからラブレターで突撃というストーリーラインの存在がかえって、ゲームサイズ化の弊害をくらってる気がする。
 元曲の方だと、恋愛感情によるドキドキそのものがいいことなのか悪いことなのかわからず戸惑ってるという幼さがマジJCという感じで好きだったんだけど。ところでおれかなりキモいこと言ってませんか。



おねだり Shall We~? ハンバーグ。
 佐藤貴文さんは曲にせよ歌詞にせよ凝った曲作ってくれるからステキよねーと思うんだけど、それだけにゲームサイズに縮められる際のダメージがでかい気がしてしまう。
 舞台劇調というかビッグバンド調というか、ともあれ曲調の豊富さはモバマスアイドルの多様さの表れであることよな。



ヴィーナスシンドローム いけるいける。
 ロボットアニメのOPぽいという指摘を色んなところでみるけどロボットアニメあんま観たことないんでわかんない。
 大学生ということで比較的高め(とも言い切れないが)な年齢を表現するような、暗喩中心の歌詞がきっちりしたコンセプトを感じさせて割と好きだけども、それとは別に、譜面の左右に連続させられるフリックが実際の振り付けをそのまんま引き写しててで音ゲーでなければできない表現ぽくて好きなんですよ。



Romantic Now なーう。
 幼い。元気。あとなんか元気。というキャラを表現するにラップという選択は聴かされたあとではもはや最適解としか思えない。
 しかし小学生にラップ歌わせたり初めてのチュウをカバーさせたりと、赤城みりあはなんというか真性に恵まれているよう感じる。



ショコラ・ティアラ 好きなんですよねー。
 特にこれと理由を指定できるわけじゃないけど好きなんですよね。
 なんでしょうね。曲調が単純に好きなのか。
 元よりCuはカワイイだけを武器に立ち回ってるキャラが多く。好きなCu曲も同様に「なんか好き」という感想が多くなるのも自然なことかもしれない。
 まあかな子はそんななかでも相当な武器を持ってる方だと思うけども。



Twilight Sky これはいいものですよ。
 星のみえきらない夕暮れ時はまだ目指すところの明瞭にみえてない彼女を直接的に例えられているし、ばりばりな英文でなく雰囲気重視の四字熟語もまた駆け出しで煮えきれないロッカーな彼女らしく。半端だろうと未熟だろうと歌いたいという憧れはとめられねえんだーという風にも読み取れる歌詞もまたいい。
 何よりも「うまく歌うんじゃなくて、心を込めて歌うよ。世界でたった一人の君に届きますように」て部分は、それがお前の見いだしたロックか多田李衣菜! という感じがしてイイ。あ。これはゲームサイズのには入ってない部分だった。



TOKIMEKIエスカレート トーキーメーキー。
 連打おいつかねっス。



Naked Romance ちょっときつい。
 小日向の美穂ちゃん自体がカワイイ一点突破型のアイドルなんで、それを敷いて率直なアイドルソングなんかなと思うんだけど、それを読み解く文脈が私の中に備わってない感じが。



アップルパイ・プリンセス いいと思う。
 コンセプト勝ちみたいな完成度の高さを感じるんですよね(ひどく曖昧な物言い。
 何かありそうな高いブルースカイ・会いたいから焼いたのアップルパイという韻の踏み方も洒落ている。



Angel Breeze わかるわー。これはわかるわー。
 聴いたことがないけどすごい聞き覚えのある感じの曲にどこか似ているーというたぶんすげー高度なことをしているのではあるまいかという曲。
 名前を出してしまえば松田聖子とかあのへんなんだろうけど……なんせ生まれる前だの直後だのの時代なので曖昧にしか言えない。
 ただ似ているというだけじゃなくて雰囲気を抽出しているのがすごい。知らない時代の嗅いだことのない空気だわ。
 歌詞としても、過去への執着を捨てる曲なわけだけど、過去があるということ自体がオトナの特権であって。色んな角度から川島さんのキャラソンとしては完璧に近いのでは。



熱血乙女A らくちん。
 あれ。今のMas難度だったのProじゃなくて。
 連打連打連打押しはこちらの曲のがキャラ的にも相応しかったんじゃないかなーと思うんだけど、追加曲が順に順に難度が高くなるばかりだとランダム選曲のときに困るだろうし、バランスをとるためにも曲難度の低い曲を追加するのは必要な処置だったのかも知れない。
 曲の善し悪しはとは別に、挑戦回数が少ないと印象にも残りづらいという不幸も音ゲー曲ならではといえばならではなのではあるけれど。



メルヘンデビュー! 27歳ってぜったい中途半端だって。
 曲の中にプロデューサーとの関係を明確に入れ込んでしまうのはなんか違うなーという感じがぬぐえないし。電波曲という意味じゃあんずのうたが先例としてあるしなーというあたりで正直なところ曲の印象はよくない。
 自爆芸は彼女の個性ではあるけどもそれをデビュー曲に織り込むのもなんかこう、少しだけ違うんじゃないかという疑問が。
 ぐちぐちめんどくさいなこのひと。



エヴリデイドリーム ほほう。
 爽やかささえある曲の中に、まぶたの裏まであなただけ。という部分が特に強烈なものを感じるけれど。
 そのあたりの二面性がしっかりキャラクターの要求に応えてくれたキャラソンではあるけれど、いかんせん音ゲーとして遊んでいるとそのあたりの印象は希薄になっちゃうね。



お散歩カメラ 天気がいいしなあ。
 お散歩でカメラという時点でもうキャラ勝ちよね。
 一緒に散歩だし、カメラで些細だけど大事な日常を探しますよ。ゆるふわに散歩とか鬼に金棒の類語ですよもはや。



毒茸伝説 悪く言うことの出来ない類いの曲。
 要求にしっかり応えたという意味では十全なキャラソンでしょう。
 してみれば、キャラソンの、キャラクターを歌わせる=演技が必要という意味では通常の歌唱よりも作曲家作詞家と歌手との共同作業感は増すのかもしれない。
 まあ普通の歌手も感情を表現という意味では演技と大差のないことをしているわけだけども。云々。



2nd SIDE つよい。
 神谷奈緒というとモバマスツンデレ代表格であるけれど、照れの部分でなく、そこから一歩踏み込んだ告白の寸前を選択したのがこの歌の強さだと思う。
 ツンデレはデレたらドラマ的にはおしまいという話があって、それもまあ事実だけど、そこの切り替わる瞬間こそ最も大きな山場であることも忘れてはならない。
 思いつきだけでものを言うけど、雨をモチーフにしているにも関わらず全体に爽やかな曲調なのがまた二面性を表してていいし、最初のSR化のイラストもまた引き写せるしで、何かとアイドル強度の高い曲ですよこれは。



薄荷 好きといって構わないはず。
 ガルパンのキャラソン聴いたときにはそう思わなかったけど渕上舞さんってお歌が上手ですね?
 加蓮の、我の強いところがあるけども自分自身の体がそれに追いつけない部分があるてのも奈緒のツンデレといくらか似通った二面性があるよね。
 ほらもーまたオタクはすぐギャップ萌えとかいいだすー。ていうか曲の話じゃなくてキャラの話ばっかしてるー。
 加蓮はあくまで病弱キャラでなく、そういう過去を持つキャラなのであって、あまりその部分を出すわけにはいかないのだと察せるけれど、そこんところをピアノでリードする静かな曲調で儚さを表現しつつ、「神様がくれた時間はこぼれていく」て詩情でぼかしつつ伝えてくるあたり「これが歌の力だー」て感じがします。



花簪 にぎやかな曲やねえ。
 こんちきちんの全ツッパの一点突破にも感じるけど、はんなり型京美人の小早川はんにこれを歌わせるのは確かに面白いと思う。



Bright Blue 正直苦手。
 文学少女ならむしろ本の中でみたいくつもの青空が混ざり合い私の胸にだけ芽生えた私だけの青い空ーて方向に突っ切ってほしいという個人的な欲望があるんだけどもまあ鷺沢さんはそういう性格じゃないんだよね……目をあげて空をみあげるタイプのひとだもんね……という話。
 虚構の世界に耽溺するのは決して逃避ではないとおじさんとしては主張したいのだけども、鷺沢文香当人が変わりたいという選択をしたのだからそれを尊重すべきよね……という話。



き・ま・ぐ・れ☆Cafe au lait! 好きじゃー。
「特別にキミだけだよ。たぶん」て歌詞だけでもう一発KOですよ。
 往年に言われた渋谷系ってこういう曲調よねー詳しくは知らないけどー。
 執着を感じさせない、情熱や情念にはほど遠い。要するに軽やかであることはオシャレであることの一要因ではあるけれど、アイドルという夢への追求と努力を求められがちな職種においてこのテキトーっぷりは確かな個性。



Hotel Moonside イイ。
 ホッテルはリバッサーイとかムムムムーンライトとか色々と連想するところのあるタイトルと曲調ですがそれはともかく。
 先にきまぐれで軽やかさがどうとかと言ったばかりだけども結局私はこういう個人の執着のみられる曲こそが趣味にあうのだと思わされた。
 こういう曲調と題材で勝負できるのがCo曲の利点よね。なにと勝ち負けを競うのかはわからんけど。



秘密のトワレ
 ササキトモコ曲をCoにもくれ。
  恋に悩んだりとか戸惑ったりとかしなーい誰かに自分がどうみられてるか気にしたりもしなーい変質変容という意味での興味は常にそそられるけどねー? という勢いの何においても誰においても強キャラで攻めキャラな一ノ瀬志希のアイドルっぽいキャラソンとかどうやって仕立ろっちゅーねんという無理難題に、 一般的に可愛らしさと無縁な単語を並べ、 それなのにも関わらず、アイドルソングらしい可愛らしさが、いっそ妖しく随所に匂うというどうやればこんなこと達成できるんだという難題を十全に達成したすごい曲。
 音楽の力としか表現できません。



小さな恋の密室事件 とーろーりーとーけたーおーれがー。
 この曲に難癖付けるひとがいたらその人の名前と所在地を魂に刻んでおれの死後この世ならざる存在になった際もののついでに枕元にたってどこがどう魅力的な曲なのか延々語り尽くして納得してくれるまで成仏しないつもりでいるんでそのむねよろしく。

 逆再生のポイントで天地逆さ写しになるという、ヒントを交えつつホラーな演出を加味するMVとかも小憎らしくていいよね。



Star!! 胸に残るだみ声。
 国民的アイドルが国民に向けて歌ったからには国民にとってこの曲はあの国民的アイドルの歌った曲として記憶されるのでしょうか。まあそれはどうでもいいけど。
 どちらかといえばアニメに対する批判になるけれどデレマスはシンデレラというモチーフに自縄自縛されがちなところがあると思う。
 アイドル階段上りすぎ問題とかアイドルきらきら輝きすぎ問題とか光に向かって走りすぎ問題とか……いや子細に歌詞を追っていったらそんなこともないのだろうけど。実際に歌詞中の頻出語を探していくと面白いかも知れないけどそんな根暗なまねはしたくないな!

 曲そのものの話をしてない。ステージに立つ直前をモチーフに歌ったこの曲は、アニメ主題歌として、先にあったアニデレとの差別化も感じられていい。
 10cmの背伸びもーの振り付けもかわいらしいし。「小さな一歩だけどキミがいるから」のキミも、表向きには観客を指しているのだろうけど、一方でPのことを言及しているのだろうダブルミーニングもまたよさげと、褒めるところは結構多い。



夕映えプレゼント 黄昏に染まる世界が好きだしこの曲も割と好き。
 夕焼けを中心としたフレーズを集めて、その集合で、直接的な言及はなく曲の方向性を伝えてくる。詩情っスね。
「夢みたいにきれいで泣けちゃうな」というのも、よくよく考えてみると何を言っているのかよくわからない一文だけどもでもなんかすげーわかるじゃないですか。
「りんごはなんにも言わないけれど、りんごの気持ちはよくわかる」にも通じる名フレーズですよこれは。



GOIN'!!! そうですねえ。
 歌えー! 一緒に歌えー! という瞬発力だけで勝負する感じは嫌いじゃないですけれど。



できたてEvo! Revo! Generation!
 ううん。
 立ち位置的にもちょっと半端なところがある曲……いや、評価として正しい態度は比較でなく単体としてみてこそなんだろうけど、これだけ曲数があると相対的な評価をせざるを得ないをところをが。
 アニメ由来の曲であって、そういう意味でも突出の許されない難しい曲なのかも知れない。そうでもないかもしれない。



Happy×2 Days 大丈夫やね。
 アニメ由来の曲という区切りでいえば一番好きですよこの曲。安易に宣言していいことなんですかねこういうの。
 杏のスキャット(?)もキャラソンとして小憎らしい演出であるし。それぞれかな子とちえりバージョンも実は収録されてるとか聴いたんですがどこかでもう聴けるんでしょうか。
 なんでやねんの振り付けの厳しさはこの際目をつぶるとしてだ。



-LEGNE- 仇なす剣 光の旋律 プリン。
 最初のCDデビューでもうやったじゃん。というのが最初の感想。
 あと同じ熊本民謡でもこっちの譜面のが意地が悪い感じなので印象もあんまよくない。ゲーム由来の感想だから許してくれ。

 デレステ曲のリリースについてくる各個人アイドルの新曲も嬉しいには嬉しいんだけど、そのアイドルが持っている既存のイメージにあんま付け足すところがないのが聴いてていまいちなんだよな……いや新曲が出ることそのものが嬉しいには嬉しいんだけどさ。



Memories それなりに。
 アニメでの新曲披露の場を物語的に落ち込む演出と重ねられた悲しい曲……というか、アニメ由来の曲だから感想がアニメと混ざってしまうのはしょうがないことだろうか控えるべきだろうか。
 TP曲の初披露のときも同じことが言えるよね……アニメ作るのってほんと難しいんだなあというか……いやアニメそのものは決して嫌いなわけじゃないんだけど……。



OωOver!! にゃー。
 作詞が声優さん両名というのが最大のウリでしょうか。
 あと曲名も好き。



LET'S GO HAPPY!! すゆ。
 ノリで勝負な曲はノリきれないとちょっとしんどい。



Shine!! みーたいー。
 よんでいーるみーたいー。の振り付けがすごい好きなんですけど。
 エンタテイメントは発見、あるいは驚きであるというか。意外性のなさがアニメの印象をぼやけさせる主な原因だったかも。OPの時点でしまむらさんが曇るのは示唆されており……とかでまあもうアニメに関してどうこういうのは置いておきまして。

 Star!! にも用いられている「キミ」という、ファンとPとのダブルミーニングがここでも用いられている。「キミも遠くから呼んでいるみたい」もそうであるし「キミの元まで走れ」もそうだけど。アニメ全般が、いわゆるモゲマス前夜のような位置づけであり、渋谷凛が走り続ける回遊魚になるまで、島村卯月がガンバリマシンになるまで、本田未央が気遣い神になるまでの、私らのよく知る姿になるまでを描いたお話でもあるとすれば「キミの元まで走れ」の意味合いも少し変わって聞こえてくる。



夢色ハーモニー てー。
 これ書くために続けて聴いてて続けざまにループしてるからそう感じる部分も大きだろうけどほんとこういう曲調の曲多いな! 似た曲多いねとか大雑把な印象で済ましててお前なんのためにこんなクソ長文書いてんの!? まあ全体曲は作品全体のイメージを伝えるためのものであって個性は個人曲で出せば良いという話でもある気はするけれど!



Rockin' Emotion うーん。
 曲解放のコミュの印象がよくないのでそれに引っ張られて曲の印象もよくない。
 あと途中はそうでもないけど一番最後にだけフルコン阻止な譜面がくるのもまた印象がよくない。なにあのフリック。
 なつきちのCDデビューなしでこっちで済ませてる運営の態度もちょっとどうなんとひっかかるところがあるし。



Trancing Pulse おれにはみえる。
 アニメ由来はCIの曲がいちばん好きとかあっさり言ったけどそういえばこの曲があった。要するに好き。
 聴いてると縦スクロールのSTGが浮かんできませんか。そうでもないですか。そうでもない? ほらエスプとかサイヴァリアとかそのへんの。
 歌詞にせよ曲調にせよ、それからそれぞれの三人にもろにソロパートと振り付けとで見せ場が用意されてて逃げ場がない感じとか、自分を追い込んでしまうような、生き急ぎまくってる感じが好きなんですよ。そんで譜面でプレイヤーにも全力を求めてくる感じがまたいい。
 ほらやっぱなんかSTGっぽいじゃん。そうでもないですか。



流れ星キセキ お前も流星にしてやろうか。
 何か気がついたけどおれ歌詞のなかに「みんなで一緒に」的なニュアンスが入ると評価にキャップがついちゃう感じなんですかね。
 アイドルとしての成功が幸福の絶対条件ではないわけで、例えば、あの頃はトップアイドル目指してがんばってたなーと良い思い出として振り返る未来もそれはそれで幸福になり得るわけじゃないですか。それを含んだ上で「みんなで笑っていようよ」と、全体の幸福を達成条件としてしまうと、アイドルを志すアイドルとしての純粋さが、いわばアイドル強度が低下してしまう感じがしないですか。
 理屈くさいですか。
 まあこの場合は、それの先に「出会った奇跡」とあるわけだから、無数にある幸福の達成条件のなかで、同じ目標をもつ同士で出会えた偶然を大切に「ずっと一緒に笑っていよう=ずっと一緒にアイドルであり続けよう」という決意表明という解釈も成り立つようには思いますが。

 けれども流れ星をさがそう。何を願うかはまだ思いつかないけれど。というモチーフそのものは大好きだと言っておきたい。



M@GIC☆ だってシンデレラはがんばりやだからー!
 Master譜面の全曲フルコンを達成するとき、最後の目標をこの曲にすると決めてるんですよね。
 譜面叩いてると「遊べるエンディング」みたいな高揚感が沸いてくるんで好きな曲。なんというか、マリオカートレインボーロードとかさ、自分のプレイングそのものがゲーム内の演出の一部になるみたいな興奮というか感動というか、なんかそういうやつ。
 今んところ全曲フルコンの達成の目処がまったくみえないという問題はあれども。

「キミ」という形でファンとPとのダブルミーニングーという演出はこれまでにも行われてきたけど、ステージという場所で「だって最高の味方がいる!」と宣言することで、ファンも、プロデューサーも、同じアイドル達も、と新たな意味を持たせているのがまず巧みだし。そうしてみると「ここにある」という言葉だって自分の胸のなかなのか、それともステージの上なのかと言葉の大事さが増してくる。
 これまでに散々向かうとか走るとかいうモチーフを曲を越え重複させてきたけれど、ついに最初の目標地点へとたどり着いたわけだ。全くエンディングに相応しい曲である。

 あとは「本当の魔法」と言い切る一方でそれがなんなのか具体的にはいわずに、それでも「伝えるために歌うから」と自信に満ちているところもいいし。
 ゲーム的な譜面としても、間奏部の転調に高難度な譜面が詰まっているあたりもメリハリが利いてていい。これは良い曲ですよ。



とどけ ! アイドル 時空なー……。
「時空を越えて届けアイドル」と言われましても、さすがにどこに届けるつもりなのか……ちょっとスケールが大きくなりすぎじゃないですかね……。
 とは思うけど、この曲がステージそのものを歌っているのだと解釈すれば、このゲームは「スターライトステージ」なのであって。時空を2Dだの3Dだののディメンションだとそのままの意味で捉えれば、これまでソシャゲのカード絵の平面図でしか展開できなかったアイドル達がついに3D表示になって歌ったり踊ったり出来るようになったよ! 時空を越えて! さあ届け! そしてキミの胸に虹を!
 という意味でええんじゃろか。



Snow Wings 眼鏡要素皆無。
 待ち人きたれり。というモチーフの曲だと思いつつきけば、ああサンタさんが来るのとかけてあるのだなと理解できて、クリスマスを思わせる語句がほぼ皆無であるにも関わらずそれっぽく色づけを達成してある洒落た曲だと思える。
 のはともかくとしてクリスマスを主役にしたアイドルが未実装なまんま一周年きちゃいましたねーとか言いたくなるけれどもまあ時間も問題を取り立てて揶揄するのも野暮である。



Tulip これを好きと言わず何を好きと言えるか。
 まあ唇を花にたとえる俗さだけはちょっとどうかしらと思わなくもないけれどそこ以外は。
 ベースちょうかっこいいし。
 アイドル集めてユニットにして曲を歌わせる、という企画にあって、これだけビジュアル最重要視なメンツをガツンと揃えておいて、新曲もそれにあわせるーという演出は、アイドルのわちゃわちゃいるデレマスだからこそ出来ることのようにも思えて、ソシャゲ何周年とアニメ化を経てついに結んだ花がこれなのだと思えばそりゃーもー魅惑もされようというものです。



ハイファイ☆デイズ 城ヶ崎姉のなかのひとの「だから美嘉はそういうんじゃないって!」はもう定例ネタにしてしまえばいいのではないかとか。
 そうか……新ユニットと新曲の方向性を強く揃える……それがデレステが見出した道か……とかの感慨の直後にくるロリメガ盛り曲。
 実際、年少アイドル五人で固めるというのも他アイドル媒体にはなかなか達成の出来ない贅沢なユニットなのではないかと思えるのでこれはこれで。他アイドル媒体あんま知らないから適当いってますけども。

 それはそれとしてユニットも衣装もマーチングモチーフなのに曲は全然マーチ調ちゃうやんと突っ込んでいたけれども後になって「あーしたへーじゃーんぷみーらいへーへーい」の部分が聖者の行進の「おーうぇんざーせいーんつごーまーちーんいーん」だと人に教えられて気がついて無恥な放言はまさしく無知のなせる業であるなと反省しましたが今回のこれが同じ轍を踏んでる気もします。



生存本能ヴァルキュリア いきのこれー。
 もっと強く、もっと優しくなれたなら後悔は減るのかしら。という歌い出しからして結構好き。
 そうですね。より賢明であることが、それを目指すことがときとして幸福を阻害するきっかけとなり得るとか絶対ウソだよな。

 ユニットの世界観をアイドル活動とは少し飛ばした場所において曲もそれに準じることで既存の曲の被りを回避したーみたいにも解釈できるけど実際んとこどうだったんでしょうね。何にせよバリエーションとしてはありがたい。
 ていうかこの純白軍服装束こそSSRで配布してくださいよと思いました。

 ついでに、橘は先のL.M.B.Gでなくこっちに配属されてよかったねとか。



純情Midnight伝説 各ユニットの総選挙順位平均とか調べちゃあかん。
 きわどいラインを攻め抜くのに印象を全部持って行かれてる感じはするけど。
 Tulipで、ほほう、ユニット内の五人の方向性を強くまとめる……そういう方向か……と感心させられたあとでロリ5枚のユニットが来て。
 生ヴで、なるほど世界観から作り込み曲調を新たにしていく……そんな手法が……と感心させられたあとで、こう。と。
 何にせよ色々試行錯誤かつ型にはまらない方向に努力されてるのがみえて、ユーザーとしてはありがたい限りです。



Love∞Destiny すいーはー。
 ピンクも煎じ詰めれば真っ赤になるんですねーみたいな。好きな部類の曲なんだけどあんまり言うことが思いつかない。
 芯の部分がマジ強い二人が譲り合わずセンター不在で、MVもそれにあわせ両端にメインが据えられたりとか、キャラクターありきの表現というのも様々なバリエーションの源になるのだなという面白さがあるよなという一方で、キャラクターありきの表現ゆえに「は? 通りすがりの一人をユニットに入れるとかそんなんでプロデュースしてんの?(後にフォローが入ります)」だとか「みとうなかった……他の誰かに壁ドンされてあまつさえ頬を染めるままゆとかみとうなかった……!(後にフォローが入ります)」だとか、個人的に情愛の濃さをあふれさせてしまうひとが散見されてしまうのもまたそれ故という感じが。



サマカニ ! ! ただのPaでなくこのPa四人に放りこまれたにも関わらずただ一人でこの曲の属性をPaでなく全体曲にまで薄めている川島さんマジCo。もしくは川島さんもさすが関西の女というあたりでいいのでしょうか。
 我々上田しゃんのカーニバルTを公式グッズ入りしてほしい勢としてもだな。
 そういえば、上田しゃんの「着ぐるみでステージに立ちたかー!」という願いは彼女のSSR化の暁に果たされることとなるんでしょうか。どうなんでしょうか。
 あと2D表示の背景もアニメーションしてて好ましかったですね。もしかしてこのイベントで初?



BEYOND THE STARLIGHT
 誰よりも光れ! と最初に歌ってるのに「3,2,1」で声を合わせて一緒に飛び出すあたり矛盾してねースかと細かい矛盾が気になるおじさんだけど、むしろ競走のスタート合図だと思えばそれでいいのかもしれない。
 曲名を強引に解釈しとくと輝きの向こう側へともなって765勢ともリンクするわけだけど、あんましそれらしいモチーフはないかな。

 ゴールはない世界、妥協はしない。
 という部分は制作側の決意表明のようにもきこえますね。


とかで。

 抜けがありそうだけどもひとまず現実装曲全曲放談を終えてみました。
 書いてみての実感はやっぱ「悪く言うことなんてそうそうできねえな! 実評価と思い入れとって分断不可避! むしろ個的な体験を重視すればこそそれを分けて語るとか無意味もいいところ! 正直どの曲もいいしアイドルやめらんない!」みたいな感想でした。
 要するに思ってたよりもずっと好きな曲多かったねと。

 元より飽きっぽい性分につき、確かにアイドルは好きだし愛着も執着もあるけれど、同時にこの興味がどのくらい持続するのだろうと薄く不安に感じている部分は常にあるのです。そんなだけれどももう4周年も越えたしもう1周年も越えておりました。
 そんななかで、子細にみていくことで、やはり好きなものは好きなのだと思い知ることができたのは、一周年という節目において、けっこー佳いことであったなと。
 という訳で当初の目的である全曲のうち何曲くらいが好きといえる曲か数えてみようーという野暮はおかさず終わることとします。

シンゴジラの感想話。

映画話。

 戦後という言葉を実感できた例しがない。
 いわゆる文豪と呼ばれていた人々の創作物にはそうした区分で呼ばれるものも結構多い。とはいえ、紙の上でそれの生み出された文化背景を察してみようと試みるも戦前戦後も近代も等しく「今より昔」という感触ばかりが残る。
 夏目漱石三島由紀夫も同じような箱に入っている。
 それでは。とはいえ。
 震災以後という言葉もまた実感には遠い。
 2016年の8月からみた2011年の3月は、それこそ戦後と呼ばれた価値観よりかはずっと近いはずなのだけど、元より社会に定着できていない私のごとく生ニートにとっては、震災の起きる前と後でどのくらい変わったのかを説明し体感会得できるほどの経験がそんなにない。

 それに、実際に被害に遭われた人々。
 あるいは帰宅難民となって夜中を歩いた人々。
 そうした人々を目にすれば、西日本の片隅で「コンビニに商品が補充されねーなー」程度の体験しか持たない私にはあの震災に対しなにがしか口を挟むことに強烈な負い目がある。たいへんおこがましくすぎる。

 そんなだから私がシンゴジラに関し何かを語るのはそもそもが悪スジなのである。
 ゴジラの過去作をまともにみた覚えはなく、特撮に関してもこれといった思い入れがない。

 しかし。「体感」はどこまでも正直だった。
 今でこそ「もはや他人事」というツラをしているあの震災だけれど、起きてから数日、数週間、もしかすると数ヶ月。
 眠るとき以外のあらゆる時間をモニタの前に張り付いて過ごし、貼り付けなければケータイをいじり続け、特例処置によりネットで放映される様々な報道局の報道映像を開けるだけ複窓に開き、その片隅でついったのTLを放流し、被害者数、福島原発、生み出されるデマ、救助の様子、美談、醜聞をめだまから注入し続けていた。
 完璧な情報中毒だった。震災に関する報道に触れていなければ不安定で、文字通りの震えていた。自分の日常を忘却していた。
 いつ頃かは思い出せないけれど、ああおれは明らかにおかしくなっていると気がつき、他人事は他人事であると線を引いて、意図的に情報をもぎ離すことで、世間の大多数と同じ頃合いに私も日常に戻れた。

 あのときは真剣に思いかねていたのだ。
 この日本はどうなるのだろうと。あるいは、日本が終わるのかも知れないと。

 あからさまにあのときを引き写し、引用する演出によって、なんとかして忘れようとしていたあの体験が引きずり出された。
 とてもよくない目眩を感じた。
 震災という日本人全体に降りかかった経験をあからさまに用いるそれは、言ってしまえば露悪的ではある。けれど、しかし、現実として、傾国の危機を現存する多くの日本人が体験して以後に、それを用いなければ何もかもがぼろぼろの嘘になってしまう。
 描かれる放射線量のグラフ。つなぎを着た首相による記者会見。L字で区切られ続ける報道。放射能汚染の危機。使い物にならないと叫ばれる災害対策マニュアル。
 自粛とよばれる臭いもの蓋が大好きな世間のなかで、よくもこんな演出を選択できたものだとも思ったけれど、改めて思えば、他に方法はなかったのかも知れない。
 現実に、日本が滅ぶかも知れないという危機感の味を知った我々にとって、虚構のゴジラがどれほどの恐怖になるというのか。
 ああ。そうか。これが「震災以後か」と思い知らされた。

 だからこそシンゴジラは、創作に許されるかどうかわからない線で、執念のような説得力で、地道に順当に、丁寧に周到に、いっそ理性的に、一つ一つ説明しながらも異様な速やかさで都心を滅ぼしにかかる。
 真綿で首を絞めるなんて表現がある。そんなもんじゃない。つま先の骨を潰したところから初め、くるぶしを壊し、脛を折り、膝を割り、太ももをかじり、腰を砕くような、破壊力を伴う周到さと丁寧さ。

 有り体に言えば、怖かった。

 そういえば、ギレルモ・デル・トロ監督がパシフィックリムのオーディオコメンタリーで言っていた。
「何歳であろうと童心に帰って怪獣やロボットの存在を信じてみてほしい。そうすれば制作中の僕のように、11歳の少年の心で本作を楽しめるだろう」
 こーれーがーそーれーかー。という気分だ。

 その威力をともなう説得力が、その末に熱核兵器の使用にたどり着く。
 それまで「はいはい大国意識大国意識どうせ日本は属国ですよ」とうんざり顔の無抵抗でアメリカの要求を処理し続けていたお役人さんが「この国にまた核を落とすというのか!!」と激昂し、お役所特有の煩雑さも根回しも涼しい顔でこなす辣腕政治家が作中ほぼ唯一「それが……国連の要請ですか……」と声と視線を振るわせて狼狽する。
 そして「世界規模の災害をとめるため身を挺して熱核兵器の使用を許可した。そう演出し、各国の同情と国際援助を求めるしかない。それが日本という国が生き延びる唯一の方法だ」と、視聴者にさえ、原爆の使用をあきらめさせる。

 これほどまでに、作戦の成功を祈らされた創作作品があったろうか。

 日本らしい映画だよなあとあっさり言える。
 世界に誇る技術立国日本ーだとか礼儀正しくオクユカシイ日本の美徳ーだとかそうしたナショナリズムにはちょっと身構えてしまうところではあるけれど、そもそもこの映画が日本だとか、或いは国体を為す存在そのものを題材とした作品なのだから、日本だからこそという感想は仕方のないところだ。
 1分遅れただけで非難囂々の正確さで日々勤め人をぎゅうぎゅうに圧縮し会社へ送り届ける鉄道での爆撃も、重機による薬品の直接注入といういっそ地味な最終手段も、ひたすら頭をさげて非論理的な情に訴えるしかなく責任をとる以外の役目を負えない重役も、だいたいが「まあ日本だしね」と諦観を持って受け入れている現実だ。
 それらがことごとく切り札になるというあたりは率直なエンタテイメントであるし、この映画がメイドインジャパンであることをごっそりと印象づけられる。

 ポスターにのっけられたキャッチコピーがどれくらい監督の意向を汲んだものなのかはわからない。
 けれど、現実vs虚構と書いて日本vsゴジラと読ませるそれは様々に含意があるように感じる。
 作品そのものがゴジラに対する日本の総力戦を描いたものであるし。
 震災という大損害をおった現実と、それを経てもなお虚構の亡国の危機で人々を楽しませられるのかという挑戦でもあるし。
 全て見終わった今だと、虚構の日本はこの危機を乗り切って見せた。同じことが現実の日本でも出来るだろうか? という挑発のようにも感じる。
 というか。挑発というのは相応しくない気がする。同じことが出来るに違いない、という監督のラブコールのように感じるのは入れ込みすぎだろうか。

 だとしても、「この国はスクラップ&ビルドで成り立ってきた。今回だって、変わりはないさ」というあの一言が。
 震災からまもなく作成されたシン・ゴジラであり、そして、戦後まもなく作成された最初のゴジラへのメタなオマージュなのだとすれば。
 やはり、この国に向けられたラブレターであるように感じられてしまうのだ。

 そんなだからぼんやりと日本人以外がみたらどういう感想になるんだろうなあーというのは知りたいところである。
 具体的に言えば、ギレルモ監督にみてもらいてえ。それともとっくにもう見終えてるかな。
 エンドロールの最中に、撮影に関わった人間への謝辞とその名前の数々を述べられるだけ述べて、少し尺が余ったのか、だからこそ予定になかったかのように「僕は怪獣のために生きている。ともに彼らを生かそう」と一言漏らした、あの監督がこの作品をどう受け止めたのか。
 知りてえなあ。
 生きてたよ。監督。ゴジラ。ちゃんと生きてたよ。この日本で。

戦車映画の話々。パットン大戦車軍団

映画話。 ガルパン話。

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 アフリカからドイツ軍を追い落とし、イタリアで暴れ回り、要衝にて包囲され孤立していた友軍を常識外れの進撃速度で救援し、ドイツ最後の大攻勢を察知しこれを防いだという、二次大戦下の米軍における最大のキーマンことパットン将軍を……というよりももはやアメリカの思う『国民的英雄』を描いた映画。
 戦史好きのみならず、一次大戦末期にて戦車を重要視し、機甲師団の編成を積極的に進言してた(けど採用されなかった)というヒトでもあるんで、戦車好きとしても因縁のあるおじさん。


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 一発でどんな映画かわからせてくるステキすぎな冒頭。


 今時の映画じゃまずみられないインターミッション(休憩)を挟み丸々3時間かけて描かれる国民的英雄の姿は、それにしても分裂症気味に色んな顔をみせる。
 戦場にいないと精神の均衡を崩してしまうほどの戦争狂いであり、規律に厳格な軍人であり。
 砲火に倒れた部下に額に慈しみ深くかき抱き、野卑な放言を繰り返しては政治的に失脚し、英軍と手柄を争い無謀な進撃を指示し、敵将の編んだ戦術論を読みふけり、敬虔に神に祈り、戦争神経症で「死ぬのが怖いんです」と泣く傷痍兵を「この臆病者め!」と殴りつけ、未だ硝煙がくすぶり焼け焦げた死体の転がる戦地に立ち「素晴らしい眺めだ」と呟く。
 これらの行為はすべて一人の、同一オッサンが行っている。
 傍目には矛盾している。支離滅裂である。つぶさに眺めていけばただの情緒不安定である。
 しかし、それでもどこか作中を通じて、このオッサンの行動にはどこかしら一貫性めいたものが感じられる。そのヒントは、映画開始まもなく本人の語った台詞にあった。
 草原に石造りの街門の残る遺跡にて、独り言のように呟くのだ。


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「ここだ。ここが戦場だ。
 市を守るカルタゴの兵士は、三方からローマの軍勢に襲いかかられた。
 そして勇猛に戦ったが、惨敗した。
 アラブの女達が、戦死者の衣服や装備を盗み、兵士は裸でうち捨てられた。
 2000年前の風景だ……そこに、ワシもいた」


 現実のパットン将軍も、どこまで本気だかわからないけれど、輪廻転生を信じ、自身をハンニバルの生まれ変わりだと称したことがあるそうだ。
 そう。この戦争が好きでしょうがない猛将は、ロマンチストなのだ。
 確かに戦争にはロマンがある。どれほど散文的に書かれた戦史だろうとも、どれだけ不毛だろうとも、人命に強い関わりがある以上、多くの人間にとって他人事ではいられず、それ故に普遍的に心を打つものがある。しかしそんなものがあったとしても、戦争というひどく巨大に散文的なものの中でどれだけの構成比率なのか。とんでもなく稀少なものなのではあるまいか。だとしても構わず、このおっさんは、下手をすると純粋とさえ形容できかねない勢いでそれを戦場を求める。
 二次大戦を人類最大の愚行と結論づけた後の世界の価値観に生きる私達にとっては、理解こそできても共感には遠い憧れだ。

 実際。もはや二次大戦下の時点でも――少なくとも、作品世界において、このロマンチストは世間から浮いていた。
 彼が戦争への憧憬を率直に口にするシーンでは、必ずといっていいほど、思想的偏りを避ける為のカウンターウェイトのように、むごたらしい戦場が同時に描かれる。或いは、臆病風に吹かれた兵士を恫喝する度に、仮想敵国へのあからさまな敵意を公表する度に、「もうそんな時代じゃない」と諫められ罰せられる。
 そうした手法で、率直に、彼の戦争への憧れと献身が異様なものとして視聴者に映される。
 事実として、戦争は一次大戦を境に、従来の戦争とは似て異なるものへと変容したらしい。もちろんかつての戦争にも略奪されるものや軍事費用に疲弊する国民は居ただろう。しかし単純に規模が違うし、意味合いも変わってくる。無差別爆撃が起き、非対称戦争がむしろ基準となり、仮想敵国を口にした政治家は民衆からバッシングを受ける。
 パットン将軍の自ら「ワシもそこに居た」と語る2000年前の戦争も、16世紀の戦争も、20世紀よりも過去に起きた戦争は全て遠い。


 その姿を、人を惹きつけてしまう戦争というものの体現ととらえるのもいいだろう。大義のための自己犠牲を強いるその精神が、副次的に戦争行為を強烈に肯定するその姿勢が、軍事大国であるアメリカの国民的英雄像として受け入れられたのも自然な話に思える。
 ただ私には、この映画にて描かれたパットン将軍の姿は、もはや失われ行くものの、あるいはとっくに廃れてしまったものへの憧憬を捨てきれず、諦めきれず、まだ存在するものと信じて足掻き尽くしたロマンチストとしてみえる。気がする。
 そうして観た方が、あらゆる時代の全ての戦争に姿と名を変え参加し、戦い続けてきたーとか語ってしまうこのおじさんには相応しい気がするのだ。
 彼の信じた「失われていく佳きもの」が果たして本当にいいものなのかどうなのか、もう私達にはわからないのだけど。


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 それはそれとして戦車の話をしようか!
 アメリカ戦車史のなかでも大事な位置を占めるパットン将軍のお話だけあって、名脇役として活躍の機会は多いです。
 多い一方で、米軍戦車も英軍戦車も独軍戦車もなんもかんも「あー。Mなんたらですねー」とアメリカ車輌ばっかりでしめられているのは残念なポイントではあるかも知れないけども、まあこの点をクリアできる映画のがよほど珍しいのでしょうがない。
 何よりも、ぬかるみの酷い十字路で戦車隊の交通整理を御自ら行うオッサンの姿がサイコーなので、未見のスジには是非とも一見求めたい。

 

戦車映画の話色々。

映画話。 ガルパン話。

 ガルパン劇場版のあとに観るといいかもしれないし別にそうでもないかも知れない戦車映画の話。

 模型や史実、ミリタリー趣味やゲームなど、割と色々ある戦車好きの入り口だけど、そのなかでもそこそこ大事な位置を占めているのが戦車映画(≒戦争映画)ではあるまいか。
 そういう意味で、せっかくガルパンという格好の入り口を経て「ああ、戦車ってなんてカワイイんだろう」という事実に目覚められた諸兄の一助たるべくだらだらと戦車映画の話をしていきたいと思います。

 まあ、次にコレを観るとイイよ! だとか、これは観ておくべき! なんて上からお話が出来るほどの知識はないので「そーいやーこーいう戦車映画があったなー」「ふーんそうなのー」くらいのテンションでどうぞ。



バルジ大作戦

「ならば私たちはいつ家路へ付くのです」
「ここが我々の家だ」

 戦車映画と言えばひとまずはコレというタイトルでしょうか。
 何を置いてもとにかくカッコイイ。何がカッコイイってドイツ軍人がかっこいい。下記映像だけでも十分そのかっこよさは伝わると思う。
 後世に「ヒトラー最後の賭け」とも称されるドイツ決死の大攻勢。ティーガーを筆頭に保有戦力の集中運用を委ねられるも、疲弊著しいドイツは人的資源もまた枯渇間際。
 猛々しい戦車に対し、それを駆る戦車長たちの顔ぶれは余りに若い。

「少年ばかりではありませんか」
「だが敗北を知らん」
「戦場さえ知らない」
「彼らは命を賭けておる! それでも不満か?」

 そんなやりとりを眼前で繰り広げられた戦車長たちは、自らの士気を示すため高らかに声を合わせるのである。

 
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 パンツァーリートを聴く度に足を踏みならしてしまう奇病に罹る動画。

 うーんカッコイイ。
 一方でアメリカ軍はというと、「クリスマスまでには帰れる」を合い言葉にもはや戦勝ムード。ドイツの動きを鋭敏に察知した将校が情報を集めるべく策動するも「考えすぎだ」と白眼視される始末。
 方やドイツ軍人は亡国の危機に瀕し、命を賭し、倹約に身をやつし、捕虜を遇し、強力無比な戦車でもって戦場を蹂躙し、戦うことのみに収斂していく。
 多くの人間が幻想に抱く「憂国を湛え、騎士道精神に殉じる独軍兵士」という美しさがそこにある。
 だがしかし……と、この映画は視点の転換を求めるのである。「それは正常なのだろうか?」と。
 戦場に殉じること。それはやはり狂気の一種に過ぎないのではないか?
 その問いかけに答えるべく映像を見返すと、とたんに美しさは意味を変えて私たちに映る。
 その疑問にこそこの映画の意図を見いだしたような心地になるのである。


 というどうのこうのを置いといてもやっぱかっこいいんだけどねえー。
 高名な映画だけに賛否意見は出揃っており、「いやそれティーガーじゃなくてパットンですやーん」とか「冬の戦争なのにいつのまにか砂漠でドンパチしてますやーん」だとか、戦車的にも歴史的にも考証面でのツッコミは避けられずあくまでフィクションだと割り切る必要はあるものの、それでもやはり大空撮を用いた大戦車戦は見応えがある。
 未見のガルパンおじさんが居たならば是非とも視聴し、「パンツァーリートが聞こえてくると足踏みをせずには居られない病」に罹患してほしい。
 そういやガルパンTVシリーズでパンツァーリートが流れたときにも、後半のおねえちゃんがカッコイイシーンで足踏みめいたパーカッションが入ってたよね。

 
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レッド・アフガン


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 アフガニスタン民兵の潜む集落を一輛のソ連戦車T-54/55が徹底して蹂躙。
 父親でもある族長を惨殺された若き次期族長が、この仕打ちの報復をアラーに誓う。
 冒頭10分でこれらストーリーのあらましを終えたあとは、補給を絶たれた不毛の砂漠をひたすら疾駆し逃げ回るT-54/55と、地の利を活かしカチでこれを追いかけ回すアフガニスタン民兵のなんとも息苦しくしんどい絵面が続く。むやみに水分補給しちゃうね。

 岩がちの砂漠を、盛大に土煙をあげぶっ飛ばし続ける戦車というリッチな絵面を堪能できる本映画だけど、絵だけでなく、物語としての迫力を志すならば手っ取り早い演出方法がある。それは逃げる戦車か、追っ手の復讐者かを「怪物」として描けばいいのである。
 けれどもこの映画はそれを選ばなかった。
 思えばしみったれた、小規模な話なのではある。
 いとも容易く人倫を踏みにじった戦車はただのRPGの一発に怯えて逃げ回り、砂漠の横断をものともしない民兵は護国のためでもなくほとんど個人的な恩讐を理由にこれを追い回す。
 どちらもモンスターになりきれなかった、ただの人間なのである。
 単なるリアリズムとは少し違った、物語にスジを通すためのルールがきっちり働いた映画なのだといえる。

 とかで、トレーラー検索して気がついたけど、原題は「the beastていうのね。納得ではある。


 アメリカ人の(88年に)撮ったソ連アフガニスタンの映画だからじっとりと染みついたステレオタイプな民族観を多少さっ引いて視聴する必要こそあるものの、傑作の部類に数えられる作品だと思う。
 戦車も戦車らしく長所や欠点を晒してて題材としてちゃんと活きてるしー。冒頭の拷問もなかなか戦車らしい絵面だよな。



ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火


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 二次大戦は東部戦線。もはや揺るがぬ数的優勢を手にしたソ連軍は、しかし奇怪な噂と説明の付かない損害に悩まされていた。
 戦場に「白い戦車」が現れるというのである。深い森から突如として現れ、圧倒的な長射程と異様な精密射撃でもってただの一輛で戦線を崩壊させ、そして現れたときと同じく森の中へと溶けて消える。
 この「ホワイトタイガー」に壊滅的被害を与えられた戦場から、一人の兵士が奇跡的な生還を果たす。
 体表の9割をやけどで失いながらも一切の痕も残さず完治し、当人の記憶喪失も相俟って全ての経歴が不詳という奇怪な兵士である。
 ついでに言動もちょっとおかしい。始終無表情で、破壊された戦車のそばにぼんやりと佇み、何をしているのかと問われれば「この戦車と話をしていました」なんぞと呟く。
 来歴不詳・情緒不安定ときたら兵士として不適格もいいところだけど、しかし、優れた戦車長として認められた彼に独立部隊の長として特命が下される。
 ホワイトタイガーと呼ばれる正体不明のドイツ戦車を追い、これを撃破せよと。
 
 という日本のロボットアニメじゃあるめえしというストーリーラインのくせにやたら淡々とした戦車映画である。
 ほんとに淡々としてる。戦車映画なのに。
 戦車映画なのに「アァールピィージィイー!!!」だとか「カモーン! カモーン! カモーン!」だとか絶叫したりしない

 淡々としながらも戦場には往年の戦車があふれ、そして景気よく炎上するので一応の迫力は担保されるものの、その中心となるのが人の気配を感じさせぬ不気味なホワイトタイガーであり、同じく人的感情や恐怖心めいたものない主人公なので、戦争映画につきまとう興奮や狂乱めいた熱情がない。
 どこか冷めて、淡々としている。

 ホワイトタイガーの正体めいたものは作中にて触れられる。尋問を受けるドイツ軍捕虜が口にしたもので「あれは我がゲルマン民族の象徴だ。精神そのものだ。故にお前達では決して撃破はできないだろう」
 一方で主人公の正体も、彼に目をかける上官が言及する。「奴は戦場で死に、そして戦場で生き返りました。作り替えられたのです。戦争に必要なものとして。奴は戦争そのものです」

 言うなればホワイトタイガーも主人公もともに「戦争そのもの」だと評されている。形は違えど同じものだ。
 それならば「戦争」とは一体なんなのだろう……?
 と。そんな哲学的な話にまでストーリーの及ぶ戦車映画であって、さすがにもう「ヒャッハー!! 最高だぜー!!」というテンションでみられるものではない。
 けれども、その問いかけは、結局はどこまでいっても人殺しの道具でしかない戦車という存在に魅入られた私らにも求められるべき問いなのかも知れない。

 手放しにヒトに勧められる映画ではないけれど、妙味があるのは確かである。
 必見と言うよりも必修とでもいうべき? いやーでもおれ勉強のためとかいいつつ創作作品に触れるの嫌いだからなあー。 

雑談ログ。


「そもそも私は(任意の雑誌名)とかで面白くないマンガを読むと、もはや慣用句と化した『もう死にたい』みたいな感情にさいなまれる。
 具体的に言うなら、一週間生きるのに必要なだけの気力が少しだけ削がれてその分しんどくなる」


 ああそう。いやわからんでもないけど。
 一応は創作活動を自分の一部と自認してる身の上で、公称で何万部かは知らないけど、それでも多くの人に求められてすごい競争率を勝ち抜いたヒトだけが発表出来る場で発表された作品がいまいち面白くないとそれだけですごいダメージは来る。
 そういう意味で今のジャンプがほんと面白いのはほんと助かるけど。
 競争のトップで矢面に立って戦ってるヒトがちゃんと強いとそれだけ尊敬の念はまします。やっぱ切磋琢磨してるひとらは強いんだなみたいな。努力を肯定してくれてる感じがする。


「不毛なものはみるだけでもしんどい。
 だから私はインターネットからは距離を置いている。しんどいもん。私は議論好きで、議論をしたかったし、未だに世の中を良くしたいという願望を抱いている部分がある。
 そういう人間にとってインターネットはしんどい」


 議論ねー。したいねー。したいけどねー。話したいねー。
 例えばついったで『ガルパンのここが良かったよ』みたいな部分だけをみんなで挙げてイイネ! を押すだけじゃ同じ方向向いて平行にすれ違い続けてるだけっぽくてどっか空虚なんだよね。
 少なくとも議論ではないしね。


「議論には場が必要で、議論には共通言語が必要なんだよ。言葉の意味をお互い調節しないといけない。だからハードルは高い。
 私が映画や本に耽溺するのはヒトとの議論をある程度あきらめたからだという気もする」


 意見の塊だからね。映画も本も。問題提起の塊というか。


「対話は出来ないけどね」


 対話ね。シャドーボクシングでもだいたい自意識は満足しちゃうけどな。
 まあインターネットは……ついったは、そのへんの自意識ばっかりちくちくされる話題が多くてしんどくなることは多い。
 みんなポジショントーク大好きだからさ。
 はてなの、いわゆるマスダを囲んで叩くのがみんな大好きというか、ついったの主な楽しみ方の一つがそれなんだろうなと思えるくらい。

 最近のトレンドは同人誌即売会への参加を辞めた理由ね。
 イベントに期待するものも同人誌を書く理由も人それぞれだし、しかもそのマスダを書いた当人はもう辞めてる訳で。
 例えば、『イベント後の飲み会に誘われないのがつらいから辞めた』
 飲み会に参加させてーっていうのもコストな訳ですよ。度胸ポイントというか、MPみたいなものを消費する。
 その消費量はひとそれぞれで、結局は個人差に過ぎない。向き不向きの問題よね。
 その人は『自分に向いてなくてしんどいので辞めました』という自己分析とその結果を報告してる訳だけど、それに対して
『お前が! 同人誌に! 求めているものは! なんなんだ! そもそも! 同人誌即売会というものは!!』みたいに語気荒く回り込むヒトが出てくる。

 みんな自分の立ち位置はここでーすと表明するのが大好きなんだね。
 そういうポジショントーク。そういうのが自意識をちくちくされてしんどい。
 しかも断定的で説教ぽい口調のがもてはやされるわけですよ。こうすべきである! みたいなの。どこに向けて誰に対して説教してるだろうみたいに感じてしまう。


「わかりやすいのが耳目を集めやすいのは当然だけどな。
 日本死ねみたいな。
 実際、その話題の発端になったマスダも『イベント後の飲み会に誘われないのが寂しいんで一ヶ月とか半年とか同人書くの辞めます』じゃ誰も見向きせんかったろう。
 インターネットの意見というのはそうやって、大きな音を立てて、どれくらいヒトを集められるかーということに流されやすい。それが中心になる。
 そういう競争で、ゲームみたいなものだから。ちょっと気の利いたことの言い合い。みんなそれで楽しいみたいだからそれでいいんだろうけど。
 そのへんの行為を指す言葉が新しい概念として生まれず、大喜利という比喩がそのまんま用いられてるあたり証拠にもなってる」


 そういうのに触れては後悔してんだよねー。さわってしまった! みたいな。
 私にだって理想とするポジションはあるから、こうみられたい願望みたいなのは当然あるからそこを刺激されたら自分なりに考えてしまうわけですよ。
 飲み会参加させてーというのにMPを消費するのと同じように、飲み会にきません? て誘う側も消費する訳で。
 その消耗を相手にだけ任せるのは一種の傲慢でサボってるだけだから、望んだ結果が得られないのもしょうがないよねーみたいに。
 思ったらやっぱり呟いてはき出したいわけですよ。吐くわけですよ。そのたびになんかへこむ。

 おれがついったー好きなのはさー。そういう、ブログに書くほどではない、でもどこかで呟かなければそのまま忘れ去られるような、誰かの極私的でささやかな内情を覗き見ることができるんで好きーってのがあるんだけどさ。
『自分の金で食べても焼き肉はうまい』とかさ。『近未来で地球外の惑星なオープンワールドゲームで首の長い生き物が出てくるとそれだけで「生態系!」て感じがしてポイントあがる』みたいなの。

 しかし実際どうすりゃいいんでしょうね。自意識。
 自意識にふたをし続けるか、いっそ自意識がしんどいなら不感症になって、気にせず厚顔無恥になっちゃうか。
 ……でも気にしないのだけはイヤだな。それだとワイドショーになってしまう。アレはああいう、自意識や含羞というものをセルフキルできるプロが作ってるものなんだろうけど。


「偉いひと曰く、勉強しない方が偉そうでいられるってさ。それとは別に夏目漱石がそういう含羞をもたないのが今の日本の流行りっぽいからヤベーなーこれー滅ぶわー日本マジ滅ぶわーみたいなことも言ってた」

 勉強ねー。
 含羞ねー。
 謙虚ね-。
 結局は謙虚でいなさいってことかね。
 

「勉強したら勉強しただけしゃべれなくなる、みたいなことは色んなヒトが言及してる。
 逆の例もあるけどね。翻訳者はみななぜか自らが選んだ第二言語をこの世で最も優れた言語だと思い込み他の言語を見下してしまうーみたいに。
 米原万里さんがそういってたんだけど。まあこの件に関しては誰もが多国籍な言語が飛び交う教室で幼少時代を過ごせるわけじゃないんですよとも言いたいが」

 傲慢は狭窄した視野から生まれるのだな。
 まあで自意識を手放すのには早いと思うんですよ。実際。
 自意識を手放してしまうとフルハシヒデユキとかサクラタマキチとかになってしまう。
 いやなれるものならなりたいけど。
 自意識を刺激される、自分の立ち位置を表明したくなる話題ってのはそれだけ自分自身に関わりのあることだからさ。それに関して思いを巡らせるのは割と悪くないことなのだという予感はある。
 それをはき出すかどうかはまた別にして。


「穴でも掘ってそこで叫んでりゃいいんじゃねえの。いずれにせよ芽はでるけど」

大洗女子の搭乗車輌の理由とかその2。

ガルパン話。

 そういえば、ガルパンて戦車の性能に関してあんまりネガティブな話しないよね。
 特に大洗が保有する戦車は視聴者にもそこはかとなく伝わるだろうけどどれもこれもなかなかになかなかな性能なんだけど、本来のコンセプトにある「弱小校が強豪に立ち向かう」みたいな物語のスパイスとしては、そのあたりの話を強調しない方がかえって不自然な気がする。
 とはいっても完全にないわけではない。「個性的な戦車ですこと」だの「こんな戦車ばっかり連れてきて、カチューシャを笑わせるつもりなのね!?」だの。


 おそらくは敢えて控えめな部分なんだろうと察せるところではありますが、そこんところを敢えて、わざわざ、「らしい」「じゃないかな」「と誰かが言ってた」とエクスキューズ満載の知識でまとめていこうと思います。




38(t)戦車 故郷を守る。という大義。

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 秋山殿のいうとおり、(t)は重さのことではなくて、ドイツ語でチェコを指すTschechischのT。
 三八年式チェコ製戦車。


 一次大戦を終えてオーストリア・ハンガリー帝国から独立を果たしたチェコスロバキアは、政治的軍事的に不安定な地理上の要請から元より大急ぎで武装の近代化を図っていた。けれども結局、脅威を増すナチスドイツに欧州を、あるいは世界経済安定のための人身御供のように併合され、自国を守るべく設計された最新鋭戦車はすべてドイツ軍の為に生産されることになった。というヒストリカルな経緯を持つのでこういう名称。

 
 性能面はどうだったかというと、戦間期において工業力という点ではどの国もどっこいどっこいだった中で、軍需工場を多く抱えていたチェコは各国から一歩先を行く技術を有していた。そんなチェコが先んじるべく開発を急いでいたのだから、当時としては・軽戦車としては・という但し書きこそ必要なものの、高水準かつ機械的信頼性に長けた上々の完成度だったらしい。
 ドイツ自国肝いりの三号戦車・四号戦車の生産が遅れるなかで、別の生産ラインから製造される38(t)は機甲師団の車輌不足を補い、緒戦は主力として立派に勤めを果たし、大戦後期まで自走砲や対空自走砲に改造されながら戦い抜いた。その評価はチェコ併合による最大の恩恵はこの戦車にあった」という誰かさんの言葉に表されている。


 という話なんだけど、メタなお話をするとこれだけ献身的な戦車になんで、あの、生徒会チームことカメさんチームが搭乗してるかがちょっとわからない。
 戦車長兼装填手兼砲撃手兼、砲塔手動回転要員というお仕事を桃ちゃんに押しつけたかったからなのか。
 それとも、三突・四号戦車にレアなポルシェティーガーまで保有してるのを思うと、かつて大洗に存在した戦車道チームはドイツ戦車に傾倒してたーなんて裏設定があるんかなーとか。


 或いは……ナチスドイツの領土的野心に翻弄された38(t)の開発経緯が、物語初期の生徒会チームの横暴(曰く正当な権利)に重なるからでしょうか。
 恫喝めいた併合、そうして麾下に入れた存在にすがらざるを得ない状況。因果なものやね。
 いずれにせよ、国を守るというのは(チェコスロバキア・ドイツのどちらの視点にたっても)大変なことでありますな。



38(t)改 ヘッツァー仕様 為政者は常に夢をみる。

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 上述の通り、38tは終戦までに様々な派生系を生んだ。軽駆逐戦車に分類されるヘッツァーもその流用系の一つである。

 ……というのは、かつて戦車模型解説書に頻出してた間違いらしい。らしい、というのは私自身そーした記述を読んだことがないからだけども!
 詳しく言うと、38tが偵察用車輌として改修を試みられたもののお蔵入りとなった、その38t改の設計を流用し開発されたのがヘッツァーであって。38tから直接ヘッツァーに改造された例は全くない+38tから改造するのは相当無理がある。というのが史実だそうだ。


 少しだけ遠い世界の話だけど、このへんの戦車模型由来の誤解というものはそれはそれである種のおじさんたちにロマンや郷愁を感じさせるものだそうで。かつて戦車模型ブームを生きた少年にとって、戦車知識は模型を通じて得るものだった。その一方で、資料不足や販売戦略などの都合でもって模型についてくる解説書が史実的に正しいとは限らない時代でもあった。
 例えば、ヤークトティーガーという戦車が、有名な将校の名を取って「ロンメル戦車」として売り出されたものの当のロンメルさんはその戦車に乗ったことなんて一度もなかったりとか、そういう話?


 作中では「ヘッツァー改造キット」を購入してきて、いかにもプラモデル的な改造を施してるけど、この、多少現実面にムリがあろうがかつてのプラモデル少年達のあこがれを実現するーみたいな遊び心もまたガルパンが叶えたかった戦車ロマンの一つなのかも。そうでもないかも。
 かくいう私は戦車模型一度も造ったことないのが微妙にコンプレックスなんだけどなーまあそのうちねー。


 で。先に書いたけど、このヘッツァーちゃんは駆逐戦車である。
 砲塔がないので、細かく分類すると、通常言われる戦車とは別な区分となる。
 だけども三突ちゃんの分類である「突撃砲」でもない。「駆逐戦車」である。
 じゃあ突撃砲と駆逐戦車の違いは何かというと。当時のドイツ軍の偉い人たちがこんな会話をしてたらしい。


砲兵科「戦車いいなー。ウチにもくれよ。そもそも戦車って歩兵補助のための兵器だったんだから戦車科ばっかりに持って行かれても困るんだけど」
戦車科「ヤだよ。ただでさえ戦車の生産追いついてないのに。砲兵科は素直に砲を人力ででも引っ張ってろよ」
砲兵科「えー? そういうこという? じゃあ生産性あげるために砲塔造らずに車体に直接大砲のっければ、ほら。これ戦車じゃなくて大砲じゃん。歩兵とともに突っ込むから突撃砲と名付けよう」


 この突撃砲がすばらしく使い勝手が良かった。
 そこからしばらく。


戦車科「……突撃砲、調子いいよね。装甲厚くできるし対戦車砲のっける余裕あるし。ていうかさ、ウチがいちばん対戦車戦やんなきゃいけないからそれ、欲しいんだけど」
砲兵科「何言ってんだよ。砲なんだから砲兵科のもんだよ。悔しかったら砲塔のない戦車でも造れば? それでなくとも三突の工場爆撃されちゃって今後レアモノになる可能性あんのに」
戦車科「ひどいこと言うなあ……じゃあアレだ。三突工場が燃えた代用にチェコで製造が計画されてる無砲塔の新車輌。アレを対戦車用ってことにしてしまおう。そうだな。名前は駆逐戦車とかそのへんで。戦車戦車」
砲兵科「なんでそういうことするの?」


 という話で実質的な違いはないみたい?
 まあ突撃砲なら歩兵支援なんで榴弾とか撃つのに適した砲が、駆逐戦車なら対装甲用に砲身の長い砲がーとか傾向は分かれるだろうけど。



 余談が続いて性能面の話が後回しになってしまったのでざっくりまとめると。
 たいへん便利に使い回していた三突のメイン生産工場が爆撃を受けて大慌てしたドイツは、急ぎチェコの工場に生産を依頼する。しかし設備の問題でそう簡単に同じ車輌は造れない。ならばと、お蔵入りになった38t改修型を元に無砲塔車輌を製造しよう。という流れでもって急造されたのがヘッツァーたん。
 砲撃力も稼働率も良好で、しかも生産性も燃費もよろしい。困窮の兆しが見え隠れしていたドイツ軍には何もかもありがたい仕様でここぞとばかりに量産されたものの、急造品だけあって欠陥も少なくなかったらしい。
 一つは装甲が薄いこと。せめてもと傾斜装甲にしてとても愛らしい外見になったはいいものの、おかげで狭い。
 そして軽戦車だけあってエンジンに不足があり、見た目のコンパクトさの割には速度が出せなかった。ここに来てカメさんチームの別に果たされなくてもいいカメという面目が躍如された。
 あと、元々が軽戦車の車体に偉い人からの要求を満たすべくムリに砲を積んだもんだから、重量バランスがとれず静止状態だと右に大きく傾いてたらしい。なんてプリティー。
 ついでに、右から装填を行うよう設計されていた砲を急造設計のアヤでそのまんま搭載したあげく左側から行わなければならず、これも兵隊さんからは大不評だったそうで。
 38tからの一人多重兼任から解放された桃ちゃんはまだまだ受難の役目が続くようだけど。



 都合良くまとめるならば、為政者の都合を現場の工夫と努力とで補わなきゃなんない戦車である。
 これまで伏せていた廃校の危機という問題を仲間と共有し、同じ目線で戦うことを受け入れた会長が改めて搭乗するのに相応しい車輌、と言えるかも知れない。



B1bis お硬いだけじゃ生き残れない。

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 ガルパンではいまいち活躍の機会がないフランスの車輌。二次大戦最初期の戦車である。
 分類上では重戦車。こんなだけど。
 こんなだけど、とはいうものの、大洗の所有する戦車のなかではポルシェティーガーに次ぐ装甲厚を誇る(P虎が終戦間際に出てきたことを踏まえると、大戦初期にこんなモンを用意できていたというのはなかなかとんでもないことに思えるけど……そのくらい大洗の車輌の防御力がいまいちという話でもあるだろうか)。
 史実にて配備された二次大戦緒戦だとドイツ戦車では貫徹不能な重装甲を誇っていた。まあ緒戦のドイツ戦車ってどこでもこんな話があるけど。
 しかし、後世の視点から見ると、その重装甲思想が仇となりドイツの前に屈してしまった、という話になる。


 設計は先進的だった。
 二次大戦の極々初期から対戦車を視野に入れた長砲身を装備し、車体に据えた短砲身も限定的な旋回に限られたものの、車体そのものの旋回性能が優れていたため(なにせハンドルで操縦できる)照準は比較的容易。
 床下脱出ハッチや機械室との隔壁など搭乗員の安全にも配慮した設計も加えて、装甲厚のみならず防御面にも秀でていた。
 要するに、攻防ともにドイツ主力である三号戦車や四号戦車を上回る性能だった……にも関わらず、フランスはドイツの侵攻を阻むことはできなかった。
 その所以を一つ一つ追っていくと、いかにジャーマンタンクスの戦術思想と設計とがいかに優れていたかの証明ばかりになる感じ。

 一つは通信装備の差。ドイツは全車両に音声通話可能な設備実装とリッチなことをしてたけど、一方B1bisはモールス信号による通信が基本で実戦中にそんなことやってる暇なんぞなかったと察せられる。
 一つは搭乗員による作業効率の差。同時代、ドイツは三人乗りの砲塔を設計し、戦車長は指示に専念できるよう画期的な戦術をとっていた。けれどもB1bisの砲塔は一人乗りであって、砲手も装填手も射手も指揮も索敵もみんな一人でやらなきゃなんない。
 ……とかいうとどこぞの桃ちゃんと一緒だね。いばりんぼなガルパンキャラは過密な作業量を求められるという法則?
(まあ桃ちゃんは会長がサボってるからってのもあるけど!)

 もう一つは索敵効率の差。砲塔ののぞき穴の数が限られている上に、この砲塔にはハッチがなく、色んな戦車長がやってる上半身を出して周囲の監視ーという行為ができない。外の様子を子細に知りたければ後部の搭乗口から身を乗り出すという危険行為が必要となる。
 これに関していえば優劣の問題というよりかはそれを進んでやってのけたドイツ戦車長連中がちょっとクレイジーだったけの気もするけど。

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 欠陥となる不便さも女子高生がやるとカワイイ仕草になるんだからずるいよね(なにが。


 極めつけは運用思想の差でしょうか。
 ドイツは戦車の集中配備と運用を目的とした機甲師団をいち早く実現させることに成功したけれど、フランスは要塞の建設など国境の防衛に力を割いた結果、戦車は歩兵補助という思想から脱するのに遅れ、B1bisという運用次第ではドイツ戦車を圧倒できそうな車輌を歩兵部隊に分散的に配備することしかできず、結果として、一対多の状況を強いられ各個撃破されてったそうな。



 まあ、上述の格差は別にフランスが悪かったわけでもなく、各国どこも似たり寄ったりな境遇でみんなドイツの電撃戦にはびびらされたのだと察せられる。

 性能として優れた部分はあったものの、ドイツの戦車運用思想から大きく外れていたB1bisはフランス陥落から追加で生産されることはほぼなかったそうで、多少似通った境遇の38(t)と比べると結構な扱いの違いではある。
 そういえば生徒会チームも風紀委員チームもそれぞれ指導するべき立場な訳で、そこも似通う部分はある。それぞれの分岐になんとなく思いを馳せてみたくなるね。
 要するに、頑固(硬く)て不器用。そういう意味では風紀委員チームが搭乗するのに相応しい感じがする。するね。するよな。
 
 


三式中戦車(チヌ) 現実を知らない箱入り娘。

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 二次大戦末期の日本車輌
 あたまのひん曲がったトゲのようなアンテナのようなそれは機銃架。カワイイ。戦車道には無用だからと取っ払われてるんでしょうね。
 砲身根元下部の出っ張りは野戦砲を流用したんでただ余ってるだけの部分で特に意味はないらしい。カワイイ。
 八九式のしっぽとか、チハたんのハチマキとか、日本車輌にはカワイイポイントが多いことでありますな。
 アメリカさんが圧倒的工業力で大量生産しまくってるM4シャーマンに対抗すべく急造された日本陸軍最終兵器。ただし、生産時には送り届けるべき戦場ももはや遠く、本土決戦用に温存されたまま終戦を迎えることとなった。


 それにしても。
 ドイツ軍が「T34やべー。T34やべー」ソ連の傑作戦車にびびってるのと同じ頃。
 日本は戦車のM3スチュアートに泣かされてて
 連合軍がティーガーやべえ。まじやべえ。M4を束にしてぶっつけてもかなわねえ」と青ざめてるのと同じ頃。
 日本はそのM4の装甲を貫けるよう必死に戦車開発してたという話な訳だけど。
 なんだか侘しい。
 まあティーガーは同盟国の武器であって、連合国主力のM4のラインに合わせて戦車を新造するのは自然なことではあるけども。


 性能をざっくりいうと、攻撃力はM4シャーマンとそこそこ並べる。装甲は正直薄い。機動力も重量に比して出力が足りてるとはちょっと言い難い。くらいの性能に収まる感じでいいのかな。
 他、欠かせないステキ特徴として(ガルパンではまだ描写の機会がないけど)砲撃は縄を引っ張って行う。という点がある。
 M4の装甲を貫徹できる砲を求めた結果、野戦砲を流用するのが手っ取り早いと判断されそれを搭載したからそんな仕様だそうで。問題点としては照準を定める砲手はこの縄を引っ張れない。だから、撃発手という役目を誰かに負わせるか、その人員が確保できない場合は主に通信手が引っ張る予定だったらしい。
 要するに。
 戦車長が敵機の方向を指示し、砲手がそれに狙いを定めて、撃発手が合図に合わせて紐を引っ張って発射。と。
 うーん。チームワークを問われますね(控えめな表現。
 役割としては、戦車長兼通信手のねこにゃーが縄を引っ張る役目なんだろうか。


 ただの憶測だけど、TVシリーズにてももがーが、腕力が足りずむぎーってなってたあの描写は、この縄を引っ張る部分でも同じような描写をしたかったのではなかろうか。それがお蔵入りになった理由まではわかんないけど。
 であればこそ、劇場版の筋トレ描写に繋がるんじゃねーのかなー。どうなんかなー。


 そんで、なんでこの三式中戦車にネトゲチームが乗っかってるかを照らし合わせてみると。
 温存されてたわりに温存されてたほどの活躍ができなかった……とか(TVシリーズ11話)
 仮想戦力とのシミュレーションばかりで実戦となると……とか。なんだかアリクイさんチームに申し訳ない感じの推察ばかりになっちゃうな。




ポルシェティーガー 少女は泥にまみれて笑う。

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 二次大戦最中に設計されたドイツ車輌。の、俗称。
 ここでいうポルシェとはポルシェ博士のことであって、(私のような)クルマに詳しくない人間でも名前は知ってるかの高名な自動車メーカ-のポルシェのポルシェである。
 まあ今でも名の知れている自動車メーカー(というか重工業メーカー)はだいたい二次大戦に関与してるけど。当然と言えば当然か。

 かの高名なティーガーには競争開発による設計案が二種あった。いうなればティーガーの腹違いの兄弟というか、生き別れというか。
 それの競争に負けた側がこのポルシェティーガー。 
 選ばれなかった理由は明白で、そもそもまともに動かなかったのだ。

 ドイツは緒戦の勝利にて戦車運用の戦術的正しさこそ証明したものの、フランスでもイギリスでも敵車輌撃破に苦心した事実は無視できなかった。
 なので、それまで重視していた走攻守の調和した設計思想を一時的に放棄し、重火力・重装甲をコンセプトとした車輌の開発を急ぐこととなる。
 そこで問題になるのはやはり重量。
 単に足が遅くなるという話に留まらず、それだけ負荷がかかるモノを故障なく、スムーズに動かす必要がある。
 ……ならば、その負荷の大部分がかかる変速機を取っ払っちゃって電気モーターで動かしちゃえばいいんじゃね? というのがポルシェ博士のひらめきだった。

 しかし博士の発案は実らなかった。先進的に過ぎたのか、開発期間が足りなかったのか。
 大質量を動かすための大電流を生み出すべくがんばったエンジンは火を噴き、モーターは焼き切れた
 エリカが「この失敗兵器!!」と罵倒したのは彼女の口が悪いのではなく単なる事実なのだな。

 なので、本来であれば「幻の試作機」くらいに収まるはずの車輌だったのだけど、なぜだか採用試験をパスする前に車体が発注・製造されてたらしい(これの理由は博士が成功を確信してたからとか、ヒトラー総統のお気に入りだったからとか、それだけ実戦配備を急かされていたからとか色んな説を聞くね)
 ただでさえ物資に困窮する戦時中にそんな大量な鉄の塊をムダに寝かせるわけにもいかないんで、戦車とあらばとりあえず突撃砲に改造するドイツの例に漏れず、ポルシェ博士のファーストネームをとって「フェルディナント」と名を冠した重突撃砲として生まれ変わったそうな。

 余談を続けると、このフェルディナントは運用部隊からの評判がスゲー良かったらしい。
 指揮官からは「最高かつ最強の兵器」とまで評され、一方、相対したソ連兵は以降ドイツ側の突撃砲を全て「フェルディナント」と呼ぶようになったほどの衝撃だったとか。
 後に更なる改修を受けて「エレファント」と渾名されることとなるそうだけど……虎は生み出せなかったものの、象を生み出すこととなったこの博士はやっぱり天才だったんかなーという気になってくる。
 象を産みだしたに飽き足らず、ネズミ=「マウス」まで設計してるんだけどね。ポルシェ博士。


 とかで。なんでポルシェティーガーレオポンこと自動車部チームが搭乗してるかはもはやいわずもがなである。
 なんつったってスポーツカーで高名なポルシェの名を冠する戦車だし、これだけ整備に手間のかかる車輌もそうそうあるまい。
 それに加えて、あの宮崎駿監督がかつて連載していた「雑想ノート」の一篇である「泥だらけの虎」のオマージュも込められていると思う。
 昼も夜もなく、砲声の轟くただ中だろうと工具を手放すことなくかけずり回った整備兵のお話で、彼の随伴する車輌がポルシェティーガーなのだ。


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 ユーモラスながらも凄惨さの伝わる筆致。
 一方、これが自動車部となると、故障の度に、どこか嬉しげに、ほがらかに修理をするのだ。これはこれで、戦車道っぽくはある。